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減り続ける人口、その先は

ホームページを作り出しのが、1999年頃
その頃は、この島はまだ合併していなかった。
検索すればおわかりだと思うが、人口統計 予想はずっと前から、やっていた。

誰がみても、どう上と下から眺めても、危険だったからだ。


そういえば、合併直前に、リオのカーニバルじゃなかった、運動会?にちかいものをオールナイトでやっていたことを思い出す。

NPOも、平成の大合併も、光ファイバーも、バラ色に見えた合併の諸々も、現在は、人口減少という冷酷な結果しかでていない。

高齢化率が異常に高いのは当然で、子供が産める体制ができていない。
呉まで行くのはちょっとしんどいことだ。

これは大阪などの都会も同じで、産婦人科は年々 減っている。
東京もこれからは単身者高齢化と続いていく。

人口減少、独身性策、これは国策だったんだと痛感できる。

加入しているNPO団体も200名近い会員と関連団体の参加人数100を追加すると300名近くいるけれど、結婚していない独身女性、独身男性が、異常に多い。

NPOの性格上、カウンセリングに近いこともあるから、かなりの人数の事情は把握できる。

主に収入の問題、定職の問題、それプラス人との関わり合いが非常に希薄になっている。

人間関係のやりとりなどは、当然義務教育が教えてくれるものではない。
また、スムーズな人間関係なんてあるわけもない。

割り切りも、恋をする度胸も人生経験の一つだ。

失敗を恐れれば、ただ、年齢を重ねてくるばかりだ。

収入は得ても、相棒がいない
高齢化してくると、独身者は将来に不安を抱える

ある程度、家族・家庭をもつと集団生活を余儀なくされるから、人とのコミュニケーションは必要となっていくる。

どうしても、限られた範囲内ので交流だと、裾野が広がることは難しい。

子供が欲しくても相手がいない
理解者がいない
悪戦苦闘することになる。

都会は人を仕分けする産業装置ととらえるとわかりやすいけれど、ちょっと寂しい。

都会、田舎の2極論が日本人は大好きで、頭の悪い人間たちは、それに固守するけれど、自分の言葉で人生を語れる人の方が魅力的だし、人の人生は、自分で決めること 主観は大いに大切なことだ。
お金は必要だけれど、すべてがまかなえるわけではない。

時は一刻と迫ってくる。

田舎とか都会とか、こんなに日本全土を国交省の役人さんたちが、血眼になって開発してきた高速道路体系、空港 など全国が身近になり都会も田舎も実はあったもんじゃない。

身近にあるんだから、近づいて価値を確認してみればいい。


これからの日本は縦横無尽に距離を縮め個人個人の人間的コミュニケーションを深めちゃんとした相互理解の意味を見いださなければいけない。

人として、物だけの満足ならいいけれど、実は凄く寂しいことに遅くなって気がついてきた人が多い。

そうならないためにも、主体的に生きることは大切なことだ。


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東野村十景

父親の納骨をすますため、帰省した際、大望月邸によってきた。

ゴールデンウィーク期間中で、島外からきた観光のお客さんも多かったみたいだ。



私のホームページをみて、興味を持たれた方もいらっしゃったようで、うれしいような恥ずかしいような。
色々な方に、参考材料としてチェックしていただいている。
例のお化けの話まで、取り上げていただいているとは、驚いた。
話の主の学芸員の方も、おやめになられたようで、新しい女性の方が、担当されていた。

この大望月邸、改築費に5億円がかかったと言われている。
しかし、これは英断だ。
文化灯台として大崎上島を象徴する建造物ではあるし、木造船の文化も集約できたらいいなと思う。
木江側にあるけれど、いっそのこと、こういった船の文化を扱っている資料館は、連携がとれたほうがいいにきまっている。

そういった思いのつまった大望月邸

東野村十景という素敵な写真を紹介していただいた。

さっそくアップロードさせて、いただきます。
























紹介していただいた、方には、お約束の物をご紹介させていただきます。

ダウンロード

パスワード付きとなっていますので、ご自分の名字をローマ字でいれていただくとごらんいただけます。

浄泉寺

親父が亡くなり遺骨をお墓に納骨するために、35日にということで、木江に5月3日4日と帰省する予定

そこで、付き合いのある木江の浄泉寺に住職

そういえば、以前、井伏鱒二の「消えたおちょろ船」を文字興ししていたので、その紀行文のなかで登場するお寺が、おそらくこの浄泉寺だと思う。

再度、読み込んでみた。

なかなか面白い。
何度も読むことにより、熟成され違う観点から見えてくる世界がある。

現住職のお父さんが登場しているのかな?
本人は、この紀行文の存在をしっているのだろうか?

興味深い



風前の灯火となって、非常に寂しい場所となった木江。

今では、都会のパフォーマンス的手法が目につくけれど、もともと、田舎はその価値に気づいている人が、生活視点で暮らすのが本道だ。

無理なアクロバット体操は、本人も地域も骨折しかねない。

静かな田舎がいいな。

時代なんて、追いかけるものじゃない、ぐるぐる回るのが時代だ
盛者必衰

利口を装うより、

錯覚するより目の前を直視し、大切なものをつかんでおいた方がいい。

何かと、騒がしい都会は、好きではない。

静かな大人の町にもどって欲しいものだ。

ありがとう 木江 

さようなら 親父 木江にもどってきた

親父の告別式に参列してくれた、みなさま ありがとうございました。

こんな立派な葬儀を終えることができて、親父もうれしいことでしょう。

参列 された多くの人は、生前 父親を支えてくれた人ばかりです。

今まで、多くの人に迷惑をおかけし、そのたびに、身内以上に愛情をかけて励ましていただき、こうした、立派な葬儀を行えることができたことに、感謝の念でいっぱいです。

木江の町

父親にとって木江は、すべてでした。
どうして、こんなに固守するのか、当時はわからなかった。

しかし、葬儀の参列者をみるとやはり親父をささえてくれた人がいかに多かったか、改めて直面することになり、とにかく驚きばかりでした。

亡くなる前日、酸素マスクを取り外し、しゃべったこと

うちの嫁に「としこさん、よろしく頼む」

私に対して、「すまんの~」の一言

肺に水がたまりちゃんと呼吸が整わない状態で、告げた言葉でした。

翌日の早朝、4時18分 容態が悪化した、その後亡くなったのと報告を電話で母親から連絡を受けました。


本当に亡くなったのか?

あまりに急な容態の悪化であっけなく死んでしまった。
最後に告げたことは、親父の本心だったのか?

親父の死に顔をみて、安らかな顔をしている

人の最期は、その人の人生を表すといわれていますが、あまりにあっぱれな死に様だった。

日常で悩んで結論がでなく、うやうやした状態がおおかった精神状態とは違った。

不思議だった。

木江の懐の深さ 人間力の深さ、地域の懐の深さを痛感しました。

亡骸は、木江の町の見える丘に納めます。

木江の町が家族以上に大好きだった、親父にはお似合いの場所だと思います。


ありがとう 木江

ありがとう おやじ

人として82年の人生が、この町で成就できたと思うと、万感の想いです。


同郷の先輩と

仕事で得意先に、木江の木江
つまり、地元の大先輩がおられる
東京家族がきっかけでであうことになった。

遠く大阪にいても、田舎は一緒
「同級の○○さんが亡くなった」

そんな会話は、ここに住んでいても同じ

望郷の念は一緒

気持ちいい時間を過ごすことができる。
お互いが健康であれば、また出会うことも可能だ。

雪化粧した神ノ峰

久しぶりに、見舞いをかねて家族との帰省
雪化粧した神ノ峰
小さな町だけど、大きかった町 木江

最近は、芸能人の一人旅が多いそうだけど、何を彼らは感じるんだろうか?

それと、メールでやりとりしたことのある穂高さんの書かれた本の評価が高い
http://www.hodaka-kenich.com/

震災文学として、新しいチャレンジだ。

好きでもない大阪に仕事できて、結婚して子供もできて、早20数年

田舎にすんできた宝は大きい

井伏鱒二の小説に登場してきた町 しかも実存の人物
サッカーだって、ずいぶん 先輩 後輩 がんばっている
清風館だって、大阪からツアーコースで有名だ。

旅行雑誌にはのっていない、すばらしい景色は日常の生活のなかにとけ込んでいた。
お金はないけど、それ以上の幸せは存在していた。

東京家族だって、詳細に脚本から、撮影のきっかけ、趣旨まで説明できる。

時間がたって振り返ってみると、幸せな人生、時を過ごすことができた。

都会が贅沢で幸せな場所とは思えない。
ローンで購入した鳩部屋と称する新築マンション群、借金まみれの高速道路
作っては壊す経済循環の中での建造物の破壊と再生の繰り返しは、まともな神経ではいきれない。

都会はいいところなんて、大阪の周りの知り合いなんて、思っている人はほとんどいない。
裕福どころか、貧困の連鎖は、家族も家庭も、個人にも続いていく。

おしゃれなんて、言葉はギミックで、むしろ 苦しいが正解
貧困ビジネスまっさかりじゃないか。

もともと、大崎上島にしても、高校が2つもあり、国立をあり、そんな高等教育を島で受けれる環境では、必然的に、交流人口は閉鎖的であるはずもなく、むしろ活発であり、島にいるほうが、全国の情報が入ってくる可能性が高い。

大阪の街中でみるよりも、お盆など連休中は他府県ナンバーで島はあふれている。

ただ、経済原理の中での島の存在は廃れていくのは間違いない
いえることは、経済原理、マクロ的な発想では島はもう存在しない。

しかし、逆は、そうではない。

逆転の発想こそ、島の真の価値であり、つきあい方もそこから変わってくる。



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