気恥ずかしい部分と、田舎とは関係がないからということが主な理由だ。
島関連だと、ほとんどすべて個人と島がリンクして書かれるけれど、島を離れて30年以上も過ぎると、帰省した前後は、田舎の印象をイメージすることができるが、一定の時期が過ぎると、ほぼ忘れてしまう。
しかし、たまには自己紹介ということで書くのも行間を埋めるには楽な作業だ。
さて3月ともなると、次年度のこともあり、ほぼ個人で部を担当していることから得意先の契約の問題、賃下げ交渉、また法令の改正にともなう労働時間の増加など、対応に苦慮している。
また仕事以外にも、NPO団体にも所属しており、色々な職種の人たち、学校の先生、大学の職員、医療メーカーから看護士、正社員、派遣社員、弁護士、前職の関連で局関連のOBとの付き合いが結果的に増えてしまった。
あくまで好きにこうなったのでなく、結果的に増えてしまったことを強調しておく。
「ホームページの管理をやってくれないか」との依頼があったことは、昔にも書いたが、複数の項目をまとめるのに、データーベース化の提案をあげ、自分の推奨するソフトを使わしてほしいとの意見を述べたが、MSのアクセスしか知らない人がほとんどであったこと、またノートPCを持ち込んで作業するため、IP制限をかけているネット接続を別個に専用に振り分けてほしいとの要望も、棚に上がったままだったので、「それならあんたらの好きにすればいい」、と思い放置していた。
よくあることだけど、まとまりのない組織は実行力がないため、前に進まない
役員が入れかわった年はとくにそうだ
結局は手を上げる人間がいなくなり、再度 私にお願いということになった。
また「土曜日も仕事をしているので、日曜日に事務所をあけてくれるなら、いいですよ。」
と返答した。
実際に忙しいから。
広報誌にしても10年前から月一で発行しているので、「とりあえずテキストデーターをください。」と念を押した。
これまでの事例の文書は、コピーしてファイルにとじて管理していただけなので、調べるのに苦労する。
せっかくの貴重な経験が埋もれて見つけることができないのは、財産を失うことと等しい。(なにかでよく似たようなことを書いているけれど)
複数の人間、色々な立場の人たちと折衝したり、その過程で予期せぬ結果が出たり、再度調整したり、人のことが初めて深く理解できたりと、田舎では味わえなかった生き方も案外自分の性にあっているのかなと思うようになった。
最近なって、マイナスからのスタートが実はプラスじゃなかったのかなと、振り返ると思うようになった。
島から出て数十年経過したが自然と仲間が増えてきたことは自分にとってありがたいことだ。
島の縁も全く頼らず、時には過去を振り返り耐え難い「悪意」に怒りを感じることも多々あったが、実直に生きてきたことが、唯一の誇れることであった。
不器用に生きてきたけれど、生き方に共感を覚えてくれる同士も増えた。
本当に苦しい時に、その人の人柄なり経験が、如実に表現されてしまう。
発言と行動を冷静に いや 冷酷に みなさん 観察している
全ては結果論だけれども、所詮人生なんて、喜劇のようなものなのだろう。
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