この写真は昭和初期の頃の木江櫂伝馬競争の時の写真(龍尾さん所蔵)
目の前の大三島の位置といい、海に面した建物の場所といい、中央区だと思う。
櫂伝馬の基本スタイルは、7人×2の14人編成だと思う。
この写真だと、そうなっている。
しかし、最初の写真は、8人×2であるのではないかと思う。(もしくはそれ以上かも)
決定的なのものは、ふれあい資料館で撮影した昭和初期とされる櫂伝馬の写真
船首は長く、今の櫂伝馬よりも大きく、どうみても、20人以上は水主(かこ)が乗っている。
祝島の櫂伝馬を見ると、この写真と同じ10人×2となっている。
現在もそうだ。
櫂伝馬の大きさをいつからか変更したのだろう。
もしそうだとしたら、どなたかこの経緯を教えて頂けたらと思います。
櫂伝馬の歴史を考察する1
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