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なにわの海の時空館

仕事の合間になにわの海の時空館に行ってきました。

年間に、5回ぐらいはいっていると思いますが、この場所は、菱垣廻船 浪華丸が展示されている場所です。

場所は、ATCのすぐ隣です。



受付センターでチケットを購入して、エレベータで地下の海底トンネルをとおってドームに行きます。



浪華丸は、全長30メートルもありますから、海上クレーンでつり上げて、このドームの中に固定させました。

知っている社長さんのところが担当されたそうです。
この業者さんは、琵琶湖の零戦を引き上げたり、現在では種子島のロケット運搬などされています。



近くにあるATCもオープン時の全盛期をしてっていますので、寂しい状態です。

橋本さんが庁舎を移転、特区として法人税免除などを打ち出しています。

税負担だけでも、ものすごい効果があります。

有効活用して活気を取り戻して欲しいと思います。



浪華丸です。

朝の10時オープンと同時に入館しました。

なにわの海の時空館ですが、館内はいつも本気モードで接客をしてくれます。

スタッフの皆さんは、いつも真剣です。

この空気って民間会社と同じ空気です。

メルマガを登録していますので、案内はいつも頂いています

子供の日も特別に家族無料とか粋な計らいもしてくれます。



案内の女性、男性の方も挨拶、説明など、積極的にお客にアプローチしてくれます。

これは、実に立派なことです。



しかし、残念なことに、やはり集客が少ない!



ここでは実際に浪華丸に乗せてくれます。

江戸時代の恰好にふんした学芸員の方が詳しく船内の構造や、米俵の積み方などレクチャーしてくれます。



スタッフは、20代~30代の若手で構成されていますが、しっかり勉強されています。

少々、難しい質問でも答えてくれます。


この船の防水に、槙肌が使われています。

私のこのホームページは、木江の槙肌の事も書いていますので、船舶関係の方で検索されて見に来られる人が多いです。

実際、槙肌の防水の行程をビデオで見たことがあるのですが、ネットなどでは、ほとんどデータがありません!

また、私のブログはずさんなホームページの管理をしているので、データのリンクが上手く出来ていません。

ブログの扱いが下手なのか、どうも苦手ですね。

ブログは、(>_<)

槙肌に関連する資料は、テキストで保存していますので、いずれ時間があればまとめます。




どうしても、テーマ別でブログを作っていくと、一覧性が悪く、過去に書いた記事でも、埋没してしまって、作った本人でさえ探すのに苦労します。

資料に本を購入し、工事中でしたので、特別にメモ帳をなにわの海の時空館の受付のおねえさんに頂きました。

やはり、予算カットの見直しがあるのでしょうか?

館内に資料として印刷物があったのですが、デジタル化のみとなっており、持ち帰り出来なくなっていました。

橋本知事も、庁舎が移ってきた折には、この貴重な文化施設が、文化交流の場に活かせるよう、是非ともお願いしたいものですね。




いつも思うことですが、

いくら立派な施設を作ったからといって、必ずしも計画通りにはいかない。

結局のところ、予算だけの問題だけではなく、

人間の熱意、アイデア、創意工夫、

こういったものの、有る無しが、存在意義を決めてしまうこと。

大崎上島にも、文化施設は、月並みに点在するが、

それは、施設として作っただけであり、創意工夫、熱意まで到達しているのだろうか?




私のホームページは、島出身者だかといって、すべてに迎合する姿勢、八方美人になることは、避けてきた。


地域に対して果たして永続性がある事業であるかどうか、

住民の立場で考え、正当性があるかどうか、



広島という保守的な立場が美徳である特徴を考えると、ちょっと「おかしい」ことかもしれない。

しかし、デジタル時代なのだ。

情報化の波は、避けて通れない。


島の存在意義が認められれば、究極的には橋が架からなくても、

知識という橋がかかることが可能だろう



旧世代の出した答えが正解だったなら、こんな日本に、こんな島になっていただろうか?

間違いならば、訂正すればいいだけではないだろうか。


話が大きく脱線してしまいました(>_<)



※デジカメも、初期のSONYの CYBERSHOTを最近はわざと使って撮影しています。
今らか約10年前の製品です。取り方次第では味がでると思っていますので、練習がてら限られた機能の中から選択して、撮り方を考えています。

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空洞化から始まる負の連鎖

 「福祉の町」を標語に力をいれている大崎上島町です。
広島県では、高齢化率は、3位。
島の中では、空洞化の激しい木江地区、東野地区などはもっと高い割合だと推測されます。

 下の表は、平成20年度のデータですが、上位3位は僅少差です。
逆転の可能性は大であり、県の平均の22.3%と比べ、約2倍と極端な高齢化率となっています。

それだけ真剣に状況を認識しなければいけないと思います。



5歳階級別比較(%)
平成19年人口動態統計年報(第36号)から





5歳階級別比較(実数)

 お隣の下島には、呉から橋がかかり、陸続きとなり大崎上島の交通環境が更に悪化する結果になりました。
昨年は、年初から原油高で燃料費高騰、そしてアメリカ発の世界経済破綻、利用客の減少から船舶会社は、メバル、木江、沖浦、大長の高速船の廃止が決定しました。
まさに、この葉のごとく風にたなびく大崎上島です。
経済第一の政策は、住民の利便性を考慮してくれません。





必ずしも、橋が架かれば、問題が解決することではない。

東北新幹線が開通して、東北地方の人口を観察すれば、逆にストロー現象で人口減となっている。

大三島に橋がかかったからといって、人口は増加してはいない。

しかし、目に見えない安心感は大きい。

高齢化の先で、待ち受ける最後の時、「死の瞬間」なのだろう。


この地域には、

橋もない、

交通の便は人口規模からいって一番悪い場所になっているのかもしれない、


しかし、ない、ない、の先は、失望しか残らない。

総轄すれば、人間は気の生き物であり、気が抜けたときに、老いがおそってくる。

それでは、気を抜かずに目的をもって生き甲斐を持って、地域社会を支えることが、地域の利益に結びつく。

予防医療は、最善の策なのかもしれない。

地域のアイデンティティの確立に向けて、知恵をだしていかなければいけない。








寄宿港で栄えた大崎上島の各港

これは、以前のサイトで載せていたものです。


「北前船」が、交易船として日本海に踊り出るのは18世紀後半

当時の日本は、幕府は江戸に置かれていたが、経済の中心は大阪、京都などの、いわゆる上方と呼ばれる地域であった。


蝦夷地、現在の北海道や東北からの物資は、もっぱら福井の敦賀、小浜の港を経由して上方に運ばれた。


敦賀、小浜から陸路を経由して琵琶湖に入り、琵琶湖の交易船「丸子船」に荷物を載せ、京都、大阪へ渡った。


しかしこのルートは、海と陸を何度も経由することから、荷物の損傷や、運賃コストがかさみ、新たなルートの開拓が待たれていた。


それが、山陰から瀬戸内を回って大阪に入る、「西廻り」航路である。




そしてこの西廻り航路に最初に挑戦したのが加賀藩三代藩主、前田利常であった。


1639年、加賀藩の蔵米を大阪に運ぶため、試験的に実施したものだった。これを機に前田家は、1650年代に入って大阪へ大規模な蔵米輸送を行っている。



その後、1671年に、河村瑞賢が幕府米を運ぶための西廻り航路を拓いたが、そもそもの生みの親は前田利常だったといえよう。


以来、西廻り航路は日本海交易の主流となっていく。

北海道から内地にもたらされた交易品。その最大の目玉は、ニシンと昆布である。


石川の船主たちは、そのニシンを求めて小樽、江差、松前に渡った。


隆盛を極めた北前船は、明治の半ばを過ぎると、衰退の一途をたどっていく。
汽船や通信技術の進展などで、より早く、大量に荷物や情報が各地を縦断するようになり、物流の主役の座を取って代わられた。

参考サイト 北前船~未来海道ものがたり~

動画

浪華丸で防水用に使っているまきはだ

大望月邸ギャラリー企画展


大望月邸では、2月21日から長屋門ギャラリーで、企画展「足利浄圓(あしかがじょうえん)師と生野島・そして迦洞無坪(かとうむへい)氏」を開催しています。

かつて、生野島に農と法悦の理想郷を求めて入植、先の戦争で挫折するまで、その崇高な理想・理念と実践で多くの人々を引き寄せた僧侶足利浄圓師の人となりと足跡をたどります。

また、俳人の種田山頭火が一度ならず訪れ滞在した「阿伊庵」の陶芸家迦洞無坪氏の作品を写真で紹介しています。

展示期間 平成22年5月9日(日曜日)まで

足利浄圓師と生野島・そして迦洞無坪氏

学徳高き「足利浄圓師」の人なりと足跡について、島内ではあまり知られていない。

浄圓師は法悦溢れる理想郷を生野島に求めて「念仏道場・新しき村」づくりにかかり、その土台を築きつつあるとき、太平洋戦争が始まり、そして悲惨な敗戦という未曾有の事態に遭遇。理想郷・新しき村づくりの中止の止むなきに至ったのではないかと思われる。


また、戦後の国・県の農業振興政策のもとに進められた生野島の開拓事業も将来を勘案した計画ではなく、場当たり的な柑橘類栽培の奨励であったため、全国的な生産過剰と重なり、価格の暴落で将来の生活に見通しが立たず離島者や荒廃園が続出した。

秋には全島色づくミカンの収穫を夢見て、額に汗して開墾植栽した柑橘園地の大半が今では元の山野に戻っている。そして今も残る島の柑橘園は旧態依然とした段々畑であり、高齢化と後継者不足がさらに荒廃園化に拍車をかけているのが現状である。


足利浄圓師の理想に共鳴し、行動を共にした多士済々の方々は、生野島の「念仏道場・新しき村」の実現を夢見て来島したが、予期せぬ戦争・敗戦という情勢の中で翻弄され、理想郷「新しき村」は夢となって消えて行った。


異色のある意味での国宝的陶芸家「迦洞無坪氏」もその一人であった。生野島での無坪氏は住居を「阿伊庵」と称し、土地を耕作しながら作陶生活を送っていた。

その晩年は好んで聖徳太子像をはじめ、観音像・菩薩像など、素焼きの多くの仏像を制作している。当大崎上島の各寺院にも安置されているが、あまり知られていないので、ここに写真を展示している。


○ 島 内・・・正光坊・興昭寺・浄泉寺・圓妙寺
○ 他市町・・・長善寺・徳善寺
○ 他・・・・・当資料館(蔵2 階展示コーナー) 豊町・下梶憲氏


人脈は海を越え、迦洞無坪氏から種田山頭火へ、そして正光坊に更に世界的な版画家「秋山巌氏」につながっていった。



海と島の歴史資料館・大崎上島町教育委員会





以上案内抜粋




実は、生野島には、私は行ったことが一度もない。

実際、一度は訪れてみたいと思っている。

生野島には、同姓の方もおられるし、ネットで偶然ヒットしたのだが、恩師である福本性が今も存在しているみたいである。

まさか、現在も生きられていたら、何歳になるか想像できないが、末裔の方かも知れないがあって話を聞いてみたい。

色々なドラマがある島である。

文化・人間ドラマを考えると、非常に興味のある場所である。

旧東野町の有志の方が文化保存で、尽力されているそうだ。

この島で残念なことは、島という大きな視点でこういった文化遺産に対してアプローチされる方がネットではほとんどいないということだ。

お金のなる木には、自然と人が集まるが、そうでないと我関せずでは、度量が狭いとしか思えない。

どちらにしても、大望月邸が文化灯台として、島の情報発信になっていただければと思う。



大望月邸に関しては、昔のサイトで載せていた記事をあげてみたいと思います。


議会だより第27号2010年2月5日号を読んで

議会だよりを読まさせて頂いている。

町民の意見を反映する選出された議員だからその責任は重い。

議会での質疑内容を読むと、一番いいなと思えるのが、

中村修司議員の質問内容だ。

今回は、

「産婦人科医の地元定着に向け最大限の取り組みを」
の内容では、

定住促進特別委員会において、大崎上島町に定住意思をもたれている産婦人科医師の存在が情報提供されましたが、町内での産婦人科の開業が実現できれば、大きな不足医療の充足となり、定住促進の契機となる。

行政として情報の確認を行いながら、受け入れ準備を進めるべきと思うが、町長の考えは。

また、島に出張診療を考えたいとの眼科医師に対する取り組みは、どう進行しているのか伺いたい。



「地元産品の直販体制整備を進めるべきでは」 
では、


農水産物の価格低迷などにより、生産者自ら価格を付け販売する施設が全国いた
るところに整備され、地域の活性化に大きく関与している。

当町においても、地産地消を進める目的も含め、施設整備を進めるべきではないか。

又、直販体制を継続的、組織的なものとしていくためにも、専門家と生産者に
よる検討会を立ち上げる必要があると思うが。



と質問されている。

すごく当たり前な質問ではあるが、ちゃんと正確に町の要望を簡潔に発言できるのは、過疎の島の議員にとって最低限必要な能力だろう。

これ以外にも、過去の発言を見ると、はっきりと町行政に対して懸案事項の取り組む姿勢、進捗状況を追求する姿は、模範となるべき議員の鏡といえるだろう。

とかくリスクを避ける傾向のある場所で、真っ正面から問題提起する姿は、島にとって必要な姿勢だと思う。

他には、

信谷俊樹議員の、

「健常者と要介護者の間の対応対策は」

に関する、予防医学のことに関するプログラムの内容も、一考に値する。


せっかくこの島のためになる問題提起をされていても、それを活かす器(住民の向上心)がなければ、意味がない。

議会運営に、多くの人が参加・傍聴して欲しいものだ。

結局は、住民の利益に結びつくし、小さな島の地域間ナショナリズムなど、あっても意味がないことがわかるだろう。

議会の傍聴も二,三人、

行政の話題は御法度、

大崎上島関連でネットで見れる内容は、

娯楽、個人の楽しみ、だけでは、情けない。

民意を反映できるのは、地域社会の住民の関心度・意識が根底にある。

住民の要望に応えることも、地域行政のサービスのひとつだろう。

合併前に、あれだけの時間を割いて、諮問組織を作り、討議、問題提起したのは、一体なんだったのか?

また、そういった問題点の中でどれだけ解決に向け動いているのか、住民の監査なくして、正常な行政運営などありえないだろう。





都合のいい田舎

チリ地震の影響で津波到来など、(実際はほとんど影響なし)

忙しく動いた一日だった。


さっそくだが、公式ページがリニューアルされていた。

化粧替えということで、

一体以前のMSに推薦発表されたホームページにはいくらの税金がかかったのだろうか?

結局のところ、作ってもらってみたところ管理できるスキルがなかったということでしょう。

費用対効果云々を一般企業とか、通常の役所では、責任を問われるケースがあるけれど、まずここでは、そんなことは、ありえないことなんでしょう。


二ヶ月遅れの公報だけれど、さっそく見させて頂いた。

20年度の歳出歳入が円グラフで載っていたが、

肝心の細目がのっていない。



最近の行政にしても、公共とながつくところの監査は、非常に厳密で、

公認会計士が連日照合作業するなど、言わば戦いが繰り広げられているのが現状だろう。

もう時代はそういう厳しい時代に入っている。

予算を潜り込まして、その場を茶化す方法もいずれは通用しなくなる。

しかし、田舎では、逆に、そういうレベルで接すると、煙たがられたり、嫌がらせにあったり、公共心と私欲が逆さまになったりするケースがほとんどだろう。


タブーのレベルが違うのだ。


住民に対するサービスのアンケートなどもっともたるもので、

本来だと町役場の職員が行う仕事を、

商船にしてもらっていることは、行政マンとしてもプライドを持ち合わせているのだろうかと思える。


江田島市議会議員 胡子雅信さんのページは参考にさせていただいているが、

議員定数

議会報告会

など、前向きな発言がたくさんでてくる。

地域の競争力は人であると痛感する。

つまり自己改革できないと、自然淘汰されてしまうことだと思う。

個人にとって都合のいい田舎などなく、

ここまで、人口減となると、

如何に島外の多くの人に大崎上島の活用頻度を上げるかにかかっているだろう。

閉ざされた場所を指向するよりも、

正面から政策論争したり、ちゃんとした根拠を基に国にたいして利益誘導を働きかける人材が必要なのだ。

内部活性化し、外部に自主的にアピールできる場所になれば、

また違った世界が見えてくるだろう。

どちらにしても純血では限界が近づいてきてる。


統廃合したとしても、

慣習はなかなかぬけだせないものなのだ。

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