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紫雲丸事故を通しての大崎上島を考える(諸々)

ちょっとしんどいかもしれないが過去に取りあげられた報道内容を時系列に列挙していく。
ニュースソースは中国新聞です。
理想は、1999年以前のデータが電子化されていて、整理できることですが、近畿圏ではそういった環境は無理な話です。

頭の整理をかねて読んでいただければと思います。



日時:
1999/02/16
分類:
行政
見出し:
竹原と大崎上島の関係
内容:
芸南地方の広域行政の中で、地方拠点都市として広域連携を引っ張る呉市に対し、もう一つの核である竹原市の求心力の低下が目立つ。従来の広域の枠組みが崩れ、地域リーダーとしての足元が揺らぎ始めているのだ。

「もともと竹原の広域行政は海で分断され、求心力は小さい」。竹原市を中心に豊田郡安芸津町と東野、木江、大崎の大崎上島三町の一市四町でつくる竹原広域行政組合の竹本進事務局長は地域の特殊性を説明する。

▽施設もダブり気味

区域内の人口は約五万七千二百人。広域連携を模索するなら域内にさまざまな施設は各一つでもいい。それが、し尿処理場は竹原、安芸津、島部にそれぞれ各一、可燃ごみ処理場もそれぞれ竹原、島部に置き、消防署も竹原、安芸津、島部の三カ所に配置する。海に分断されているとはいえ、竹本事務局長が「これほどの施設がある組合は極めてまれ」と語るほどなのだ。

さらに、島部の大崎上島三町は補助金などのメリットが多い離島振興対策事業と、広域事業とを使い分け、三町独自の広域圏の色合いを強める。最近では、島内に商業施設が整備され、買い物面でも以前より竹原に頼らなくてもよくなっている。

竹原市と接する陸地部の安芸津町でも変化が起きている。広島大の移転、新幹線駅の開業などで拠点性を高める東広島市とつながる県道安芸津下三永線を昨年整備。竹原市よりも東広島市との関係に重点を置き、ベッドタウンとして団地の開発計画も進めている。

同町の山脇弘史助役は「従来の広域の枠から言えば、本来は竹原市を中心に考えるべきだか、竹原広域は人口の減少と過疎化、経済的低迷などに悩む。小さな町にとっては寄らば大樹で東広島に向かうしかない」と話す。

▽介護保険でも乱れ

今年十月に申請が始まる介護保険の要介護認定業務でも同様の事態が起きている。広域内では大崎上島三町だけが共同で実施し、竹原市、安芸津町ともバラバラに行う。

医者が少なく、竹原市に多くの患者が通院する周辺町は本来、竹原市と協力して事業を進めることが最も効率がいい。竹本事務局長は「高齢化が進むこの地域では将来的に協力しないとやっていけない可能性が高い。だが、竹原市から話が出ずに実現しなかった」と残念がる。竹原市は「時間的な問題と、スタートの時点で一緒にやろうという声がなかったので独自路線を選んだ」と言う。

▽架橋構想に温度差

また、本土と大崎上島を結ぶ大崎上島架橋構想の実現にも竹原市の行動がカギを握る。広域事業として竹原市と大崎上島三町が実施しているバス路線は、竹原港とJR竹原駅を結ぶわずか約二・一キロの短い路線だが三年前から黒字化。島と竹原の結び付きの強さを表した。「島民にとって本土と陸続きになる橋の建設は悲願。だが、われわれ島民の思いに比べて竹原市の動きは鈍い」と大崎町の高田幸典総務課長はやるせない思いを打ち明ける。

都市基盤整備の遅れが目立ち、経済的にも低迷している竹原市。広域内部での求心力の回復のためにもう一歩踏み込んだ「行動力」が求められている。
写真:




日時:
1999/10/10
分類:
交通
見出し:
「オレンジライン」が開通して
内容:
芸予諸島の広島県豊田郡大崎下島と愛媛県越智郡岡村島を、県境を越えて2つの無人島と3本の橋で結ぶ広域農道「オレンジライン」が全通して6日で1年を迎えた。橋はミカン農家の作業の軽減など島民の生活に大きな変化をもたらしている。県境という見えない壁はまだ高いが、行政の壁を越えた人と人との交流は着実に始まっている。(川井直哉)

「橋がこんなにええもんとは思わんかった」。つながった無人島の一つ、中ノ島で農作業に追われる大崎下島、豊町大長のミカン農家越智道昭さん(62)はうれしそうな顔で橋を眺める。

▽弁当いらず

それまで畑への交通手段は農耕船と呼ばれる船しかなかった。その船は橋の開通でトラックに。畑から家まで車で五分、農作業に弁当がいらなくなった。狭い船内でのミカンの積み下ろし作業からも解放された。「これであと十年、農業をやる気になった」。越智さんのほおは緩む。

JA広島ゆたかでは「岡村島の耕作地の約三分の一は豊の出作地といわれ、橋の開通が高齢化の進む農家のやる気を起こさせた」と話す。

橋を通しての交流も進んできた。岡村島にある愛媛県関前村の農業村上隆人さん(72)は昨年七月、歯が痛くなり豊町の歯医者に駆け込んだ。「村には歯医者がおらず、今治市まで行ってたら時間がかかる。橋の心強さを感じた」と話す。

また、村職員の村上正人さん(31)は、趣味のバドミントンを通して豊町のチームと交流、友人もできた。家族で食事に出かけることもできるようになった。

人口約千人の関前村からみれば人口約三千二百人の豊町はにぎやか。医療や買い物に訪れる人も多い。また、夏には、海水浴場のない豊町から関前村の海水浴場に多くの人が訪れ、人の行き来が増えている。

▽介護も支援

来年四月から始まる介護保険でも橋は大きな役割を期待されている。関前村は、人口に占める六十五歳以上の割合を示す高齢化率は四六%で全国三番目。人口が少なくヘルパーなど自前で用意するのが難しい。地理的にも愛媛県から離れているため、「ヘルパーが来てくれるのか」と不安が襲う。

そんな時、助け舟を出したのは橋でつながった隣の島だった。「命がかかわることに県の違いを言うとられん」。豊町と先に豊浜大橋でつながった豊田郡豊浜町の社会福祉協議会が、関前村の社協と連係を開始した。豊町と豊浜町が新たに設置した特別養護老人ホームの「豊寿園」で関前村の住民のショートステイを受け付け始めた。

とはいえ、目に見えない県境の壁はまだ厚い。例えば豊町と豊浜町が、呉市消防局に委託して十月からスタートした初の常備消防。豊浜町に呉市東消防署大崎下島出張所を置き、職員十八人が三交代で対応。救急艇、消防ポンプ車、救急車などを配備し、高齢化が進む両町の消防・救急業務の拠点として早くもフル稼働している。この常備消防設置に当たって、豊、豊浜両町は「陸続きになった関前村も誘ったが、いい返事を得られなかった」(長本憲豊町町長)という。

県の違う関前村は既に愛媛県の組織に加入し、新たな分担金は負担が大きすぎた。関前村の井村旦助役は「島に常備の救急艇もなく、本音を言えば一緒にやりたかった。しかし、財政を考えれば手が出なかった」と唇をかむ。

▽離島脱却へ

今年三月、島民の夢だった本土へと続く最後の橋、豊島と上蒲刈島を結ぶ安芸灘三号橋の実施設計費がついた。三号橋が完成すれば、オレンジライン―豊浜大橋―安芸灘三号橋―蒲刈大橋―安芸灘大橋と結んで岡村島を含む五つの有人島が本土と直接結ばれる。

「三号橋の実施設計決定以来、島民の顔に自信があふれ、島が明るくなったようだ」と北山峯生豊浜町長。オレンジライン開通から一年。離島脱却の夢はさらに大きくなり、実現に近づいている。県は違っても、助け合って生きてきた島の人の心の豊かさは健在。橋は、物理的なつながりだけでなく、人の心と心のきずなをも着実につないでいる。

《オレンジライン》広域農道として建設され大崎下島と岡村島を、無人島の中ノ島、平羅島を経てアーチ形の岡村大橋(二百二十八メートル)、中の瀬戸大橋(二百五十一メートル)、斜張橋の平羅橋(九十九メートル)で結ぶ。総延長千七百八十メートル。一九九二年に着工した。建設費は約六十四億八千万円。

芸予諸島と本土を八本の橋で結ぶ広島県の安芸灘架橋構想の一環。同構想は来年一月には同県安芸郡下蒲刈島と本土をつなぐ最長橋の安芸灘大橋が完成し、都合六本が実現する。豊島と上蒲刈島を結ぶ安芸灘三号橋は、現在、実施設計中。来年度から用地買収に入るが、着工、完成時期は未定。残る大崎上島と岡村島間の八号橋は構想段階。
写真:




日時:
2000/02/15
分類:
交通
見出し:
大崎上島架橋 期成同盟会を設立
内容:
竹原市と豊田郡の大崎上島を結ぶ大崎上島架橋の早期実現に官民挙げて取り組む「大崎上島架橋促進期成同盟会」が十四日、同市内のホテルで設立された。竹原市と同郡安芸津、東野、大崎、木江町の一市四町から各首長、議長、商工会議所・商工会の代表らが参加。会長には中尾義孝市長を選んだ。

大崎上島架橋については、九四年に竹原市を中心に一市四町の首長と議長で大崎上島架橋構想促進協議会を設立。三年間かけて架橋ルートの調査をするなど活動を行ってきた。

しかし、いまだに芸南地方の八島を橋でつなぐ県の「安芸灘架橋構想」の九号橋として認められておらず、県の交通総合計画の中で、二〇二八年を目標年次に位置付けるにとどまっている。昨年二月に竹原商工会議所(平健一郎会頭)が、大崎上島架橋促進特別委員会を立ち上げるなど、民間での機運が高まってきたため、官民が一体となった組織を新たに結成した。

大崎上島架橋は、大崎上島から竹原市の阿波島を通って本土につながるルートが構想され、総工費は約千八百億円と見込まれている。期成同盟会は新年度から国や県などに早期実現を働きかけていく。

◎大崎上島架橋へ期成同盟会 来月にも設立(広島県)

豊田郡の大崎上島と本土を結ぶ架橋の実現を目的に、竹原市や同郡安芸津、東野、木江、大崎町の一市四町でつくる大崎上島架橋構想促進協議会は五日、広島市中区で総会を開き、各町商工会など民間と協力して十一月中にも大崎上島架橋促進期成同盟会を新たに立ち上げることを決める。

これまで同促進協議会は、県中部島地域架橋促進期成同盟会の下部組織として陳情などを行ってきた。県内で一万人以上住む島で本土と橋でつながっていないのは、大崎上島だけで、現在も「大崎上島架橋」は構想段階にとどまっていることから、民間の活力も加えてより活発な運動を展開するために設立する。

既に竹原商工会議所は今年二月に、大崎上島架橋促進特別委員会を設置するなど、民間レベルでの建設促進への体制づくりは進んでいる。竹原市は「まずは大崎上島と本土間の橋を県に安芸灘架橋の九号橋として認めてもらい、調査費がつくように頑張りたい」と話している。
写真:



日時:
2000/05/23
分類:
行政
見出し:
「大崎上島架橋促進期成同盟会」開催
内容:
竹原市と豊田郡の大崎上島を結ぶ架橋の早期実現に官民が一体となって取り組む「大崎上島架橋促進期成同盟会」(会長・中尾義孝竹原市長)の総会が二十二日、同市中央五丁目の竹原商工会議所であった。

中尾会長は「約二千億円の事業費が見込まれるが、地域活性化や中四国地方の交流を図る橋として実現を目指したい」とあいさつ。芸南地方の八島を橋でつなぐ県の安芸灘架橋構想の九号橋としてまだ認められていない「大崎上島架橋」の具体化を求める要望書を採択し、六月から七月初旬までに県庁を訪れて要望活動をすることを決めた。

この日は、広島大学学校教育学部の地井昭夫教授による架橋と地域づくりをテーマにした講演会もあった。

地元経済界でも架橋建設に向けての機運が高まってきたため、同盟会は今年二月、設立された。竹原市と同郡安芸津、東野、大崎、木江町の一市四町の首長、議長、商工会議所・商工会の代表らが参加している。
写真:



日時:
2000/05/24
分類:
交通
見出し:
広島県大崎上島で架橋の夢膨らむ
内容:
しまなみ海道や安芸灘大橋の開通など、瀬戸内海の島々が次々と 本土と橋で陸続きになる中、豊田郡大崎上島でも本土架橋建設への 期待が高まっている。過疎と高齢化が進んで十年後や二十年後の島 での生活に不安を覚える島民と、地域活性化の起爆剤として架橋を 熱望する本土側の竹原市が、官民一体で「夢の懸け橋」の実現に向 け、動き始めた。(川井直哉)

大崎上島には、豊田郡東野、木江、大崎の三町がある。約四キロ 離れた竹原港とフェリーで三十分、高速船だと十分で結ばれてい る。

しかし、竹原発の最終便は午後九時半。年に何度かは天候不順の ため欠航する不便も強いられている。船にだれが乗ったかが分かる ため、プライバシーにこだわる若者にとっては、「関所」にもなっ ている。

■65歳以上3~4割

かつて造船とミカンで栄え、ピーク時には三町で約二万三千人い た人口も現在は約一万一千人と半減。六十五歳以上人口の割合は三 割から四割と高く、将来の生活に不安を感じる島民も多い。

本土架橋の建設に向けて本格的な取り組みが始まったのは一九九 四年。

芸南地方の八島を橋でつなぐ県の「安芸灘架橋構想」によると、 大崎上島は愛媛県岡村島と「八号橋」で結ばれ、豊田郡川尻町と地 続きになる構想に組み込まれている。しかし、橋がつながっても川 尻町まで車で一時間かかるほか、生活圏も違う。九四年、竹原市と 豊田郡安芸津町、大崎上島三町の首長と議長で「大崎上島架橋構想 促進協議会」を設立し、島北端の東野町鮴崎(めばるざき)から佐 組島と唐島、阿波島を経由して竹原市にいたる全長約六千二百メー トルのルートを選定。国や県に陳情してきた。

しかし一方で、建設費が約千八百億円と見込まれたことから、 「現実味が薄い」として活動がトーンダウン。そんな状況が一変し たのは、昨年二月、竹原商工会議所がこれまでの行政主体だった活 動から、民間主導の官民一体活動を目指し「大崎上島架橋広域交通 促進特別委員会」を立ち上げてからだ。

■7月初旬には要望

それまでの架橋構想促進協議会が一市四町の首長と議会だけだっ たのに対し、それぞれの商工会や呉市にも呼び掛けて今年二月、官 民一体の「大崎上島架橋促進期成同盟会」(会長・中尾義孝竹原市 長)を発足させた。今月二十二日の総会で中尾会長は、「官民合わ せた活動で、まずは安芸灘架橋構想の九号橋として県に認めさせた い」と語った。七月初旬までに県へ要望する。

橋がもたらす島民や周辺地域への影響は、経済効果だけでは計れ ない。約十年後に安芸灘架橋の三号橋で地続きになる豊田郡豊浜町 では昨年、橋ができることが決まっただけで町民の顔が明るくなっ た。木江町の徳森和範総務課長は、「九号橋をつくって、島をルー プ状につなぐことが、全ての橋のメリットをいかすことになる」と 熱っぽく語る。
写真:



日時:
2000/05/24
分類:
交通
見出し:
架橋の夢膨らむ 竹原・地域活性化の起爆剤 大崎上島・高齢化の不安解消へ 民間主導で弾み
内容:
しまなみ海道や安芸灘大橋の開通など、瀬戸内海の島々が次々と本土と橋で地続きになる中、豊田郡大崎上島でも本土架橋建設への期待が高まっている。過疎と高齢化が進んで十年後や二十年後の島での生活に不安を覚える島民と、地域活性化の起爆剤として架橋を熱望する本土側の竹原市が、官民一体で「夢の懸け橋」の実現に向け、動き始めた。

大崎上島には、豊田郡東野、木江、大崎の三町がある。約四キロ離れた竹原港とフェリーで三十分、高速船だと十分で結ばれている。

しかし、竹原発の最終便は午後九時半。年に何度かは天候不順のため欠航する不便も強いられている。船にだれが乗ったかが分かるため、プライバシーにこだわる若者にとっては、「関所」にもなっている。

▽65歳以上3―4割

かつて造船とミカンで栄え、ピーク時には三町で約二万三千人いた人口も現在は約一万一千人と半減。六十五歳以上人口の割合は三割から四割と高く、将来に不安を感じる島民も多い。

本土架橋の建設に向けて本格的な取り組みが始まったのは一九九四年。

芸南地方の八島を橋でつなぐ県の「安芸灘架橋構想」によると、大崎上島は愛媛県岡村島と「八号橋」で結ばれ、豊田郡川尻町と地続きになる構想に組み込まれている。しかし、橋がつながっても川尻町まで車で一時間かかるほか、生活圏も違う。九四年、竹原市と豊田郡安芸津町、大崎上島三町の首長と議長で「大崎上島架橋構想促進協議会」を設立し、島北端の東野町鮴崎(めばるざき)から佐組島と唐島、阿波島を経由して竹原市にいたる全長約六千二百メートルのルートを選定。国や県に陳情してきた。

しかし一方で、建設費が約千八百億円と見込まれたことから、「現実味が薄い」として活動がトーンダウン。そんな状況が一変したのは、昨年二月、竹原商工会議所が行政主体だった活動から、民間主導の官民一体活動を目指し「大崎上島架橋広域交通促進特別委員会」を立ち上げてからだ。

▽7月初旬には要望

それまでの架橋構想促進協議会が一市四町の首長と議会だけだったのに対し、それぞれの商工会や呉市にも呼び掛けて今年二月、官民一体の「大崎上島架橋促進期成同盟会」(会長・中尾義孝竹原市長)を発足させた。今月二十二日の総会で中尾会長は、「官民合わせた活動で、まずは安芸灘架橋構想の九号橋として県に認めさせたい」と語った。七月初旬までに県へ要望する。

橋がもたらす島民や周辺地域への影響は、経済効果だけでは計れない。約十年後に安芸灘架橋の三号橋で地続きになる豊田郡豊浜町では昨年、橋ができることが決まっただけで町民の顔が明るくなった。木江町の徳森和範総務課長は、「九号橋をつくって、島をループ状につなぐことが、すべての橋のメリットをいかすことになる」と熱っぽく語る。
写真:




日時:
2000/10/06
分類:
行政
見出し:
「なぜ今、三町だけでの合併なのか」その背景
内容:
瀬戸内海の中央に位置する大崎上島の豊田郡の東野町、木江町、大崎町の三町が二〇〇三年春を目標に合併に向けて動き始めた。今年八月には、東野町に大崎上島合併問題対策室が発足。事務レベルでの準備が始まっている。「なぜ今、三町だけでの合併なのか」。背景には、厳しさを増す町財政、過疎・高齢化があり、「島への関心が薄い本土と合併するよりも島だけでやっていきたい」との島の思いが見え隠れする。(川井直哉)

先月十三日、豊田郡豊町であったJA大崎上島、JA木江町、JA広島ゆたかの合併の予備契約調印式に出席した大崎町の長岡昇町長はあいさつの中で、「次は三町の合併調印式に臨みたい」と、意気込みを語り、参加者から盛んな拍手を浴びた。

前日には、県広域行政検討委員会が、県内の市町村の合併パターンを発表。三町については、竹原市と豊田郡安芸津町との合併案のほか、島だけの合併案が示され、合併への関心はいや応なしに高まっていた。

三町では、これまでも何度となく合併話が出た。しかし、合併しても市に昇格するほど人口がおらず、島のほぼ中央にある神峰山で地形的に区切られている三町は、「合併は必要だが、まだ単独でもやれる」と、それぞれ独自の町づくりを進めていた。

そんな町の合併が現実味を帯びてきたのは、国や県の財政悪化と止まらない過疎と高齢化が背景にある。

大崎上島は、古くから造船業とミカンづくりで栄え、一時は国内の小中型鉄鋼船建造量の三割を生産し、活気にあふれていた。

▽特効薬なく人口減

しかし、産業構造の転換や離島という地理的ハンディもあり、特効薬のないまま人口は減少。一九四七年に約二万四千人いた人口は、現在、約一万人に減少し、三人に一人が六十五歳以上。十年後の将来人口の予測でも過疎と高齢化は止まらず、約七千人に減少。十人に四人が六十五歳以上という超高齢化社会に突入する。

財政面でも、既に自治省は九八年から人口四千人未満の町村への地方交付税の配分を段階的に縮小。自主財源が一割程度の島にとって、収入の大きな割合を占める交付金の減少は直接、住民生活に影響し、現在のサービスレベルの維持ができない不安も出てきた。

▽「10年は予算確保」

一方、国は市町村の合併を促進するため、地方交付税の保障期間を五年から十年に延長するなど新たな優遇策を盛り込んだ市町村合併特例法を昨年七月に改正。「法律の効力が切れる二〇〇四年度末までに合併すれば、十年間は予算が確保でき、島民の生活が維持できる」と、三町が合併に一気に傾いた。

木江町の藤原正孝町長は、「十年間あれば、合併後の職員削減など、ゆっくりと問題解決ができ、町民への影響や負担も少なくてすむ」とメリットを語る。

島の三町は、古くから交流が深く、竹原広域行政組合の中でも三町で島に、消防やゴミ処理場などを共同で設置し運営している。九七年度には県の中山間地域対策モデル地域に指定され、大崎町に老人ホームを三町で建設したほか、木江町に観光物産館を計画するなど共同の事業を進めている。介護保険でも認定作業を三町で実施するなど、合併へ向けての下地が作られてきた。

▽来月に研究協発足

島だけが先行して合併することについて東野町の浜田紀幸町長は、本土住民の島への関心の薄さを指摘する。「われわれは、本土に行く時、必ず竹原を通るが、竹原の市民は島を訪れたことがない人がほとんど。このままの状態で、本土と合併すれば、島の意見は通らず、ますます寂れる」と訴える。

来月には、三町の町長、議員、町民代表の二十七人で構成する任意の大崎上島三町合併研究協議会(仮称)が発足し、住民を交えた話し合いが始まる。「あと十年は島だけでやっていきたい」。二十一世紀に、島のアイデンティティーを残すため、三町は利害を超えて合併へ向けて動き出した。
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日時:
2005/02/00
分類:
行政
見出し:
合併してもいい事はないのぉ
内容:
自主・平和・民主のための広範な国民連合
『日本の進路』地方議員版26号(2005年2月発行)

大崎上島町の合併の現状
合併してもいい事はないのぉ
広島県大崎上島町議会議員 松本 進
はじめに

2003年4月1日に大崎上島にあった3つの町、大崎町、東野町、木江町が対等合併しました。新町名は、大崎上島町で人口約1万人、世帯4600、面積43K㎡の島の町です。もう半年を迎えますが、まだ新町の機能がうまく行っていない現状です。検証が、まだ十分でなく丁寧な報告できませんが、県内でもいち早く合併をした町であり、現状と問題点などを報告します。

「合併してもいい事はないのぉ」

この言葉は、最近住民から時々聞く言葉です。町民から見れば、この間合併の話が起こり、実施になるまで、合併は仕方がない。合併してもあまり関係ない。無関心。これが多かったです。
少子・高齢化が進んでおり高齢化率は35%。私のいる旧木江町は43%で2人に1人が65歳以上で50代はまだ若者といった感じです。いいことは無いと言われるのは、

(1)最近行われた敬老会が、これまでは町内2カ所で行われていたものが、1カ所にされた。そして皆に出ていた祝い金がなくなった。
(2)役場のどこへ要望や苦情などをいったらいいか分かりにくい。
(3)いいことが見当たらない。
(4)役場が動かない、仕事が減った。組織機構が悪い。
(5)「負担は安い方に」といっていたが、健康診断の料金が高くなった、旧木江町にあった出産や入学時の祝い金がなくなった。

等々、町民からの素直な声です。

同じ島内でも3町で制度や仕組みが違っていた。条例、規則など2町以上で実施していたものは継続、一町でしていたものは大方廃止や見直し。そのもとで地域固有の良いもの、住民要望や、過去の経緯で制度化されたものがなくされていった。行政の根本狙いが、経費の削減、効率化にあり、面倒なことは後回しになったと思います。スケールメリットといっていたが目に見えるメリットはなく、県から買っている用水の契約見直しで、一世帯水道の基本料が100円安くなったぐらいです。

合併問題研究会、そして法定合併協議会が作られ合併が実現化するまで丸2年間。強引にお膳立てされ、十分な議論、意見集約もなく突き進んできたことは否めません。当時の会長(町長)はまず、合併時期を早め、県内トップクラスで行きたいと意欲を誇示していました。その強引さ、性急さ、そのようなツケが現在に回ってきているといえます(一応は、合併協で図り、決定してきたといい訳はするが)。

新町建設計画、予算

合併に伴い新町の建設計画を作るようになっています。町村の長期総合計画のようなものです。町建設の基本方針、10年間のハード、ソフトの事業、財政計画などです。町民アンケートで要望を聞きそれを基にしていますが、これまで作成されていた、過疎地活性化計画や離島振興計画事業に示されていた大型事業などを踏襲しています。

アンケートは、2001年10月に島内の18歳以上約9000人を対象に行われました。答えたのは4700余人で回収率は52.8%でした。島内では、初めての大がかりな住民の声の集約であったと思われます。この結果は、今後の町の運営に私たちの政策にも反映させたいと思います。聞いた要望の柱の一つに「安心して暮らせる、医療と福祉のまち」があり、これを選んだ人が3600人とダントツで1位でした。その他合併後の施策要望には、(1)診療所の整備(2400人)、(2)船・交通の整備、(3)本土との橋(2000人)と続いていました。
日頃、議会の中で福祉の充実を追求すると、町長は「福祉は金がかかる。財政の許す範囲内でする」と答弁しています。これまでしなかったものを、合併したらしますとはとはならないでしょう。しかし、町民からは、生活の中からの声として前記のような強い希望があるわけです。
財政計画の裏づけなどは議員もよく分かっていません。概要も公表していませんし、分かる人はほとんどいない中で決まった状態となっています。10年間は国の交付金額旧3町分を保障するといっていましたが、既に小規模自治体は毎年金額が削減されてきています。
合併協議会で提出された財政計画の推計を見ると、2001年度3町の一般会計の予算規模は94億円。合併初年度の03年度は、84億円。10年先の12年度は、62億円。その後5年間で毎年交付金額を逓減させていきます。合併10年間の普通会計総事業費は、243億となっていますが、今でも起債は、過疎債を使いますが、合併特例債を使わなくても同様な条件で事業はできる仕組みです。
ただ、起債は、言うまでもなく町の借金であり、先で返さなければなりません。長い時間と労力をかけ町民に約束した建設計画ですが、議員の中には、計画が始まる前から、既に事業の見直しや廃止の声を出している人がいます。見直しがなくても良いとは言いませんが、合併間無しにこんなことがボンボン発言に出ることに、何のための合併だったのかと憤りを感じます。私たちは、せめて、住民要望や、福祉や、暮らしを守るように監視や、提言をし続けねばと強く思います。
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大崎上島架橋促進期成同盟の会長であった中尾義孝元市長は昨年お亡くなりになりました。

また地元選出の池田 行彦さんも2004年に亡くなられています。
また姪にあたる、寺田稔さんも今回の衆議院選挙で落選。

ここにきて権力の構造が完全に逆転しました。

理解者であった地元選出の有力者と縁がきれた訳です。



大崎上島町の選挙結果を見ると

投票結果 当日の有権者数 7,416人(男3,334人 女4,082人)
     投票者数    5,828人(男2,652人 女3,176人)
     投票率     78.59%(男79.54% 女77.80%)
     有効投票数5,747人 無効投票者数80人
*有権者数・投票者数には在外投票者を含む
開票結果(得票順)
     てらだ 稔  3,395票
     三谷 光男  2,314票
     塚本よしてる   39票

8月30日に行われた衆議院比例代表選出議員選挙(中国選挙区)の大崎上島町開票区の結果をお知らせします。
投票結果 当日の有権者数 7,416人(男3,334人 女4,082人)
     投票者数    5,828人(男2,652人 女3,176人)
     投票率     78.59%(男79.54% 女77.80%)
     有効投票数5,592人 無効投票者数236人

となっています。


与党でなければ予算執行権などありません。
中央からも完全に分離した状態となりました。

地方行政の流れをおさらいすると、
官から民への小さな政府の樹立
中央集権から地方市民主体の地方分権の確立
また市場競争原理の一部導入でした。

ただ、当然段階がありますので、地方自治体を司る住民から依託された人には、
地域特性の分析(メリット・デメリットの把握)
問題提起能力を含め交渉能力が含蓄された人でなければ地域社会は維持管理できません。

医療問題と同様に交通問題解決は、住民の非常に切実な願いであり優先順位の高い案件であるにもかかわらず、住民主権不在の金太郎アメ的手法でリスク回避を繰り返していては、だれの主権の島なのかわからなくなります。

交通問題を含め諸問題を住民に喚起することは、実は地域社会が活性化する一番の近道なのです。



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紫雲丸事故を通しての大崎上島を考える

本四架橋ができるまでの経緯(事故)をまとめてみた。


せきれい丸沈没事故
1945年12月9日の明石海峡は台風並の突風が吹き荒れていた。当時は、船舶の運航権限は全て船長に任されていて、播淡連絡船せきれい丸の船長も欠航の予定であった。しかし、淡路島から対岸の明石市や京阪神方面の闇市に買い出しに行く人や、生鮮品の行商人にせがまれて岩屋港を出航し、対岸の明石港に向かったものの、9:00頃、松帆崎2Km沖合で突風に吹かれて転覆沈没した。付近で操業中の漁船が45人を救助したが死者・行方不明304名を出す惨事になった。

時代は戦後の混乱期であり、戦前の古い船舶に定員以上の乗客を乗せるのが当たり前のように行われていた背景がある。


紫雲丸事故
1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、上り第8便で運航中、同じ宇高連絡船・下り153便大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。最大の被害を出した事故であり、国鉄戦後五大事故の1つでもある。「紫雲丸事故」といった場合はこの事故を指すことが多い。修学旅行中の広島県豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)の児童などを中心に死者168名を出した。



犠牲者

この事故での犠牲者は168名に上り、うち児童生徒の犠牲者は100名を数えた。 犠牲者の内訳は次のとおりである。



紫雲丸関係者 2人(船長他1人)
一般乗客 58人
修学旅行関係者 108人 〔児童生徒100人(男子19、女子81) 引率教員5人 関係者(父母)3人〕
愛媛県三芳町立庄内小学校:30人(生徒77人中29人、PTA会長1人)
高知県高知市立南海中学校:28人(3年生117人中28人)
広島県木江町立南小学校:25人(6年生97人中22人、引率教員3人)
島根県松江市立川津小学校:25人(6年生58人中21人、引率教員5人中2人、父母3人中2人)



第五北川丸沈没事故
1957年(昭和32年)4月12日は穏やかな天気であり、「西の日光」といわれる生口島(当時:広島県豊田郡瀬戸田町、現在:広島県尾道市瀬戸田町)・耕三寺には大勢の団体参拝客や花見客が訪れていた。午後0時半に瀬戸田港から尾道港への帰途についた芸備商船の定期客船であった第5北川丸(総トン数39t、旅客定員77名、船員7名、合計定員84名)が出航した。この客船は、定員が84名であったにもかかわらず、235名(うち子供12名)という旅客定員の3倍超の乗客と乗員4名を乗せていた。しかも同船は建造から33年(1924年建造)経過した老朽木造船であり、乗員5名のうちひとりを別の用事のために下船させたため、船長自らが切符整理を行い、舵を当時16歳の甲板員見習(事故により死亡)に任せていた。生口島瀬戸田港から尾道港に向け出航しておよそ10分後、佐木島西方にある寅丸礁(事故後、灯台が設置された)と呼ばれている暗礁に座礁・転覆し、あっというまに沈没してしまった。付近を航行していた運搬船や漁船がただちに救助に当たったが、船内に閉じ込められるなどして死者・行方不明113名、負傷者49名を出す惨事になった。

海難審判(1959年3月26日・言渡)では操船を未熟かつ資格のない甲板員見習にまかせた船長の職務上の過失に加え、老朽木造船に安全性を省みずに多くの乗客を乗せるなど運航会社による運航管理が不適当であったとして責任があるとされた。


事故の後、海上保安部による停船勧告基準が厳しくなり、宇高連絡船は一切人身事故を起こすことはなかった。しかし、初夏から梅雨にかけての濃霧でたびたび停船勧告が出されるようになったことが輸送上の障害となったため、瀬戸大橋の建設機運が高まることになった。これは、本州四国連絡橋の3計画ルートのうち、児島・坂出ルートが最初に建設されることにもつながっている。


先の事故を契機に各ルート沿線自治体で架橋推進協議会が発足し、架橋誘致運動が活発化。架橋協力預金制度や、「歌」「架橋音頭」まで作られた。なお、1954年の洞爺丸事故を含めて被害者救済が国会で問題になり、船客傷害賠償責任保険が整備され、今日に至る。


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2004/05/11 【共同通信】
紫雲丸事故の同期生ら 沈没現場で花ささげる
 旧宇高連絡船・紫雲丸の衝突沈没事故犠牲者の50回忌に当たる11日、乗船して助かった高知市立南海中学の同期生や遺族ら約90人が事故から約半世紀ぶりに沈没現場海域を訪れた。  現場で停止した船から一人一人が海に向かって花束を投げ、手を合わせて犠牲となった生徒の冥福を祈った。  親友を事故で亡くした無職若松幸三郎さん(63)=高知市=は「(事故当時は)地獄のような光景だった。元気な姿を親友に見せることができたと思う」と話した。  同期生のうち約40人は事故で中断した修学旅行に出発。犠牲者の遺影とともに、京都へと向かった。  現場訪問に先立ち、高松市の西方寺で開かれた追悼行事には、犠牲者を出した松江市西川津町の川津小学校から卒業生5人が参加。広島県大崎上島町の木江小学校でも、同期生や遺族ら約70人が追悼法要を営んだ。

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本四架橋実現に、これら海運事故が要因となったのは有名な話である。
また、大崎上島では、事故にあった遺族の方の深い悲しみと伴に、引率で同伴し難を逃れた先生達に浴びせれた非難は凄かったと聞いている。


事故から50年近くが経過し、改めて、この事故の持つ意味を多方面で考えなければいけない。

25人の犠牲者がでた、今では離島となった大崎上島は、特に考えなければいけない。

政争、利益誘導の道具ではないのだ。

人道的見地からみて矛盾がある。

本四架橋ができるきっかけとなった要因となった大崎上島には、未だ橋が架かっていない。

今回の写真も、毎日新聞、本四公団に記載されているものである。


もっとも橋と遠い場所になってしまった大崎上島

時代の波に主体性を持つことなく翻弄され続けているこの島を反映している。


交通問題にリンクして諸々を次の号で列挙していく。


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参考サイト

JB本四高速:会社・IR情報:沿革

広報誌 【No.89(2003年11月発行)】


紫雲丸の悲劇は終っていない

宇高連絡船紫雲丸はなぜ沈んだか (単行本)

小池造船海運株式会社

独創的技術で船を造ている小池造船海運株式会社です。

エアクッション船で特許を出願されています。







【発明の名称】 エアクッション船
【発明者】 【氏名】小池 英治
【住所又は居所】広島県豊田郡大崎町大字中野5924番地 小池造船海運有限会社内

【要約】 【課題】縦仕切板6に横仕切板7に沿って整流板11を設けることにより航走速度の向上を図る。

【解決手段】船底に凹設したエアクッション室を縦仕切板6と、横仕切板7とで縦横に区画している。縦仕切板6は側壁2の下端縁位置を同一水平位置にし、横仕切板7の下端縁位置を縦仕切板6の下端縁水平位置よりも上方に位置させている。各エアクッション室8の区画壁となる仕切板6、7には空気流通孔を穿設している。縦仕切板6の下端縁には、横仕切板7に沿って水平な整流板11の後端縁を取り付けている。エンジン冷却水用配管13は、エンジンルーム12より横仕切板7を貫通してエアクッション室8を通り、最も船首側に位置するエアクッション室8で山状彎曲部13a、13bを形成している。山状彎曲部13a、13b間には空気取入管14が連通接続され、谷状彎曲部を通る海水の遠心力により空気をエンジン冷却水用配管13に取り入れ、各エアクッション室8に均一に空気を供給する。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
船体の左右側壁と、船底外板と、船首シール及び船尾シールとで囲まれ、下方を開口したエアクッション室を船底に設け、該エアクッション室に複数の互いに平行な縦仕切板を船体の進行方向に沿わせて前記船底外板に垂設すると共に複数の互いに平行な横仕切板を船体の進行方向に対して直角をなして前記船底外板に垂設し、縦仕切板と横仕切板を区画壁として前記エアクッション室を区画し、この区画された各エアクッション室へ圧縮空気を供給して船体を浮上させるための圧縮空気供給手段を備えてなるエアクッション船において、
前記縦仕切板と前記船体左右側壁の下端縁位置を同一水平位置にし、前記横仕切板の下端縁位置を前記縦仕切板の下端縁水平位置よりも上方に位置するようにし、前記各エアクッション室の空気量を均一化するために、前記縦仕切板と前記横仕切板の下部には各区画毎に空気流通孔を穿設し、前記縦仕切板の下端縁に於ける前記横仕切板の下方位置には水平な整流板の後端縁が取り付けられてなるエアクッション船。
【請求項2】
上記区画された各エアクッション室のうち最も船首側に位置するエアクッション室内に、エンジン冷却水用配管の排水側部分が延設配置され、このエアクッション室内で前記エンジン冷却水用配管が少なくとも2の山状彎曲部を有するように上下方向に彎曲形成され、上端が船体の上方で開口した空気取入管から取り入れられる空気が前記エンジン冷却水用配管と合流して前記エアクッション室内で使用済み冷却水と共に排気され、この排気された空気が前記エアクッション室に供給されるように前記エンジン冷却水用配管に於ける前記山状彎曲部間には前記空気取入管の下端が開口連通されてなることを特徴とする請求項1記載のエアクッション船。
【発明の詳細な説明】【0001】
【発明の属する技術分野】
本発明は、エアクッション室からの空気の洩れを防止し、船の総トン数を変化させることなく積載貨物重量を一層増量可能にし、しかも船の速力を向上させたエアクッション船に関する。
【0002】
【従来の技術】
船底に、下方に開口する凹形のエアクッション室を設け、該エアクッション室に圧縮空気を供給するための圧縮空気供給手段を備えてなるエアクッション船としては、例えば実開平5-49600号公報、特開平7-89435号公報、特開平10-100985号公報に示すように船底と水との摩擦を小にして速度の向上を図った小形船に関するものが存在する。実開平5-49600号公報開示の考案は、船体を船首と船尾を略同一形状に形成し、船底には、下方に開口し、船体の左右両側壁(両舷)、船首及び船尾で囲繞された凹形のエアクッション室を設け、船体の左右両側縁にウォータージェット推進機を対設し、前記エアクッション室に供給した空気の空気圧により船体を浮上させて浅吃水とし、浅い水域での航行を可能にすると共に、船首、船尾方向共に同等の航行を可能にしたものが存在する。特開平7-89435号公報には、2のエアクッション船が開示されている。第1のエアクッション船は船底に下方に開口し、船底外板、船体の左右両側壁、船首及び船尾で囲まれた凹形のエアクッション室を設け、船底にエアクッション室に下端が開口する浮上用ファンを内装したダクトを設け、このダクトは船底内において中途部位で分岐し、バルブを介装して船体船首部よりの左右両側壁下面に開口する多孔質板を備えた空気吹き出し箱と連通して構成されたエアクッション船であり、第2のエアクッション船は凹形エアクッション室に開口するダクトに浮上用ファンを内装し、エアクッション室を囲む船首部寄りの左右両側壁には、側壁下面に開口する多孔質板を備えた空気吹き出し箱を設け、この多孔質板の空気吹き出し孔と連通する連通管は船体の左右両側壁内に配管され、上端はエアクッション室に開口連通してダクトよりエアクッション室に送り込まれた圧縮空気を空気吹き出し孔より船体外に出すように構成されたエアクッション船である。これらのエアクッション船は、浮上用ファンで発生する圧縮空気を利用して航走時の船体浸水面へマイクロエアバブルを添わせ、マイクロエアバブルを船首部寄りの部分から船尾方向へ流し、気泡流が航走中は常時浸水面を覆うようにして専用のエアコンプレッサーを用いることなく船体の摩擦抵抗を軽減するようにしている。特開平10-100985号公報には、船底に船底外板、船体の左右両側壁、船首及び船尾に囲まれた凹形エアクッション室を設け、このエアクッション室に船首から船尾にかけて船底外板に垂直に縦仕切り板を互いに平行な位置関係となるように複数取りつけ、凹形エアクッション室における船首から船尾にかけての略中央位置に側視2等辺三角形状の横仕切りを頂部がが下向きになるように横方向に設けて、前記縦仕切りと前記横仕切りとで凹形エアクッション室を区画し、これら各区画に圧縮空気を供給するように構成し、船が横揺れ等により傾いた場合に、仕切りにより溝内の空気が船体外へ漏出することを防止するようにしたエアクッション船が提案されている。
しかし、実開平5-49600号公報、特開平7-89435号公報開示のエアクッション船は、エアクッション室を構成する左右内側壁が互いに平行に対向するように船底外板に垂設されており、船の横揺れ等により左右両側壁の下方から空気が外部へ漏出する場合があり、航走中は常時圧縮空気を供給しなければならず、エネルギーを要するという不具合があった。
特開平10-100985号開示の発明は、エアクッション室に区画を設けるため、前記実開平5-49600号公報、特開平7-89435号公報開示のエアクッション船と比較して、エアクッション室に充墳された空気が船底を除く部分から漏出しないという長所があるが、両舷内側壁が船底外板に対して垂直に設けられているため、横揺れの際に左右両側に位置する区画内の空気が両舷下方から船体外へ容易に漏出し、しかも船首シール及び船尾シールの下面延長線上で空気層と水が接触する構造であるため、極めて容易にエアクッション室の空気が舷下方から船体外へ漏出するという不具合があった。又、縦断面2等辺三角形状の仕切り堰を船底の船首船尾方向の略中央に船体の進行方向に対して直交して設けているので、特開平10-100985号公報第4ページ図12に示すように、航走中に空気層が船尾方向に上向きの勾配を設け、水が区画内に入り込み、仕切堰の船首側面及び船尾シール内側壁から抵抗を受け、船体の航走速度が遅くなるという不具合があった。
ところで、船舶及び人命の安全を確保するため、船舶安全法第3条により満載吃水線の標示を必要とする。上記従来技術であると、エアクッション室の空気の容積が一定化せず、満載吃水線が一定化しない。そのため、潮流や船体の揺れ等によりエアクッション室の空気が舷若しくは船尾シールより船体外へ漏出すると、船体及び積荷の重量により、船舶は沈没するという危険性があるという不具合があった。
上記不具合を解消するために、本願発明者は、船体の左右内側壁(両舷)を内傾して船底開口横幅を船底外板の横幅よりも狭く形成し、縦仕切り板と横仕切り板とで区画されたエアクッション室を前記左右内側壁の高さ方向中途位置まで設け、水平な下部を有する横仕切り板を船尾方向に後傾させることにより、潮流や船体の揺れ等の原因によっても、エアクッション室の空気層の形状及び容積があまり変化せず、且つ空気を舷から船体外へ漏出せず、船底に於ける空気と接触する海水の流れを静流にして安定的な航走を確保可能にすると共に、満載吃水線標示位置を変化させることなく、従来の貨物船と比較して積荷重量を増量し得ることを見出し、特願平11-324485号として特許出願をし、特許第3077032号を取得した。
【0003】
【発明が解決しようと課題】
上記特許第3077032号の発明は、他社出願の従来例と比較して速力が大幅に改善され、積荷重量の増量も可能になった。しかし、船底に於ける空気と接触する海水の流れが、図7(a)、(b)に示すように海水と空気が混じり気泡を生じ完全な静流にならず、軽度の乱流が生じている。又、この乱流によりエアクッション室からエアクッション室の空気がエアクッション室下方開口より僅かずつ抜け出ていくため、圧縮空気供給手段により空気を供給しなければならない場合が極めて稀に生じる場合があった。
そこで、本発明はエアクッション室を区画する縦仕切板と横仕切板の高さ方向の長さを横仕切板の方を短くし、縦仕切板の下端縁には横仕切板に沿って整流板を水平に設けることによって整流板を中心とし上下方を流れる海水の流速を異ならしめることにより、エアクッション室の空気の漏れを一層減少させ、航走速度の向上を図ることを目的とする。
【0004】
【課題を解決するための手段】
上記目的を達成するために、本願発明のうち請求項1記載の発明は、船体の左右側壁と船底外板と、船首シール及び船尾シールとで囲まれ、下方を開口したエアクッション室を船底に設け、該エアクッション室に複数の互いに平行な縦仕切板を船体の進行方向に沿わせて前記船底外板に垂設すると共に複数の互いに平行な横仕切板を船体の進行方向に対して直角をなして前記船底外板に垂設し、縦仕切板と横仕切板を区画壁として前記エアクッション室を区画し、この区画された各エアクッション室へ圧縮空気を供給して船体を浮上させるための圧縮空気供給手段を備えてなるエアクッション船において、前記縦仕切板と前記船体左右側壁の下端縁位置を同一水平位置にし、前記横仕切板の下端縁位置を前記縦仕切板の下端縁水平位置よりも上方に位置するようにし、前記各エアクッション室の空気量を均一化するために、前記縦仕切板と前記横仕切板の下部には各区画毎に空気流通孔を穿設し、前記縦仕切板の下端縁に於ける前記横仕切板の下方位置には水平な整流板の後端縁が取り付けられてなることを特徴とする。
請求項2記載の発明は、区画された各エアクッション室のうち最も船首側に位置するエアクッション室内にエンジン冷却水用配管の排水側部分が延設配置され、このエアクッション室内で前記エンジン冷却水用配管が少なくとも2の山状彎曲部を有するように上下方向に彎曲形成され、上端が船体の上方で開口した空気取入管から取り入れられる空気が前記エンジン冷却水用配管と合流して前記エアクッション室内で使用済冷却水と共に排気され、この排気された空気が前記エアクッション室に供給されるように前記エンジン冷却水用配管に於ける前記山状彎曲部間には前記空気取入管の下端が開口連通されてなることを特徴とする。
【0005】
【発明の実施の形態】
以下、図を参照にして本発明の実施例について説明する。
【実施例1】
図1はエアクッション船の実施例における要部を示す縦断面図、図2は要部を示す一部切欠横断面図、図3は要部を示す一部省略底面図である。これらの図において、船体1の船底部には、船体1の両側壁2と船首シール3及び船首シール4とで囲まれ、下方を開口した縦断凹形のエアクッション室を設ける。側壁2は1枚の鋼板よりなり、船底外板に対して垂直な外側部分と、内方に湾曲する下端部と、この下端部から内方において上方に立上がる内側部分とよりなる。船底外板5には、船体1の進行方向に沿って複数の互いに平行な縦仕切板6を、船底外板5に対して直角かつ船体1の両側壁2の下端対応位置まで垂設している。また、船底外板5には、船体1の進行方向に対して直角をなす複数の互いに平行な横仕切板7を、船底外板5に対して直角かつ両側壁2の高さ方向中途位置まで垂設している。横仕切板7と縦仕切板6の下端位置の距離差は船舶の種類により異なる。横仕切板7の下端位置は、縦仕切板6の高さ方向の長さが25000mm程度の場合は、縦仕切板6の下端位置よりも200~400mm上方に位置する。縦仕切板6と横仕切板7とでエアクッション室を区画し、これら区画された各エアクッション室8の縦仕切板6と横仕切板7よりなる区画壁の下部には空気流通孔9が穿設されている。空気流通孔9の直径は25mm程度であることが好適である。区画された各エアクッション室8に公知の圧縮空気供給手段で圧縮空気を供給可能に、船体1に設けたエアコンプレッサー室(図示せず)と空気タンク(図示せず)を介して連通した空気供給管10の管端を、区画された各エアクッション室8に対応する船底外板5に夫々開口している。本実施例では、上記公知の圧縮空気供給手段は特許第3077032号に記載されているものを用いる。
横仕切板7の下方には、横仕切板7に沿って整流板11を平行に設けている。本実施例では、整流板11を、水平に形成された船底外板5と平行な位置関係となるように設けている。つまり、縦仕切板6の下端に於ける横仕切板7の下方対応位置には、所定縦幅を有し横方向に著しく長い平視矩形の整流板11の後端縁を、船底外板6と平行な位置関係となるように、溶接手段等により縦仕切板6に一体的に固着している。整流板11の大きさは、船舶の種類により異なるが、例えばエアクッション室の全長が35000~38000mmで、縦仕切板6の高さ方向長さが2500mmの場合には、肉厚が14mmで縦幅が1000mm程度のものが好適である。
次に作用について説明する。空気供給管10より各エアクッション室8に圧縮空気を供給すると、各エアクッション室8の空気量は、空気流通孔9により均一化し船底外板5から横仕切板7の下端縁に亘り空気が充填され、船体1は浮上する。海面は横仕切板7の下端縁に位置する。図1中の1点鎖線の矢印で示すように、航走中は、海水が船首シール3の下面より船底内に入り込む。入り込んだ海水は整流板11の上面と横仕切板7との間に於いて流速の遅い静流となり、エアクッション室8の空気は横仕切板7の下端縁より船外に出ない。つまり、整流板11は、船体1の下方を流れる海水を上下に2分し、2分された海水のうち整流板11の上方を流れる海水は流れが遅くなり、整流板11の下方を流れる海水は流れが速くなる。整流板11の上方を流れる海水は、流れの速い整流板11の下方の海水に引き寄せられ、整流板11の上方を流れる海水はエアクッション室8の空気に混じらず空気を外部に漏らさない。
【0006】
【試験例1】
本実施例のエアクッション船を6~10ノットの低速で航走させると、空気層が横仕切板7の下端縁水平位置より海面方向に若干膨出するが、横仕切板7の下端縁からの空気漏れも極めて少なかった。
10~13ノットの高速で航走させると、空気層と海面との境界面は、徐々に上方に位置し、横仕切板7の下端縁水平位置に位置する。エアクッション室8からの空気漏れは殆ど生じず、空気層と海面の位置関係が安定化した。又、図4(a)、(b)に示す通り、空気と海水の乱れは、図7(a)、(b)と比較して減少し、空気層と接する整流板11の上方の海水の流れは一層静流化し、その結果、エアクッション室8からの空気漏れも減少したことが判かる。
【0007】
【実施例2】
図5及び図6を参照にして実施例2について説明する。説明を簡単にするために図1~図3と同様の作用をなす部分は同一符号で説明する。エンジンルーム12には、船体1の下方に開口するエンジン冷却水用配管13を設けている。エンジン冷却水用配管13のうち排水側部分はエアクッション室8を経て船首方向に延設されている。つまり、エンジン冷却水用配管13のうち排水側部分は、横仕切板7を貫通し、区画されたエアクッション室8のうち最も船首側に位置するエアクッション室8に於いて2の山状彎曲部13a、13bを有して上下方向に彎曲形成され、管端がエアクッション室8内にて下向して形成されている。山状彎曲部13a、13b間には空気取入管14の下端が開口接続され、この空気取入管14の上端は船体1の上方で外部から空気を取入可能に開口している。
次に作用について説明する。上述の図1~図3に示される実施例1と同様に、圧縮空気供給手段により区画された各エアクッション室8に空気を供給して船体1を浮上させる。航走中は、取水側開口から取水した冷却水(海水)からエンジン冷却水用配管13を通ってエアクッション室8内にて排水される。エンジン冷却水用配管13には山状彎曲部13a、13b間に空気取入管14を連通接続しているが、山状彎曲部13a、13b間の谷状彎曲部を通過する水に対して外側方に遠心力が働らき、この遠心力により空気取入管14の上端開口より空気が吸引される。吸引された空気は、エンジン冷却水用配管13との合流部で海水が80%で空気が20%の割合で海水と共に最も船首側のエアクッション室8で排出される。排出された空気は最も船首側のエアクッション室8内に供給され、空気流通孔9を流通して区画された全エアクッション室8の空気量が均一化される。空気と共に排水された使用済冷却水(海水)は、エアクッション室8の下方開口より直接海に排水される。このようにエンジン冷却水用配管13の山状彎曲部13a、13b間に空気取入管14を連通接続し、冷却水の遠心力を利用して空気をエンジン冷却水用配管13に取り入れ、さらに空気をエアクッション室8に供給可能に構成されているので、従来の如くエアコンプレッサーを用いてエアクッション室8に空気を補給する必要がないので、経費の軽減を図り得るという効果がある。
又、総トン数19(G/T)のエアクッション室を有しない公知の船の積トン数が80tであるのに対し、総トン数19(G/T)の本実施例のエアクッション船の積トン数は1800tであり、積トン数が約22倍であった。船に関する税金や乗船人員数等は総トン数(G/T)で決定されるため、同一総トン数で積トン数が大幅に向上し、利益率が飛躍的に上昇するという著大な効果がある。
又、バラスト水を積まないで出港できるため、異なる海域に生息する生物を寄港する国へ搬出することも、国内に搬入することもなく、地球規模で生態系のバランスを狂わすことがないという効果がある。
【0008】
【発明の効果】
整流板により船底を流れる海水が上下に2分され、整流板の上方を流れる海水が流れの遅い静流となり、この整流板の上方を流れる海水が、整流板の下方を流れる流れの速い海水に引き寄せられるためエアクッション室内の空気が海水と混じり合うことが極めて少なく、船外へ漏れないため、航走速度が向上するという効果がある。
エアコンプレッサー等の装置を用いることなくエンジン冷却水の船首部通過の際の遠心力で空気をエアクッション室に供給し、供給された空気を空気流通孔を流通させ、区画された全エアクッション室の空気量を均一化させることができるので、航走中の燃料費等の経費の軽減化を図り得ると共に、同一総トン数で積トン数を少なくとも22倍以上も向上させることが可能であるという効果がある。
【図面の簡単な説明】
【図1】エアクッション船の要部を示す一部切欠縦断面図である。
【図2】要部を示す一部切欠横断面図である。
【図3】要部を示す一部省略底面図である。
【図4】(a)は船首側の船底流れを示す写真図である。
(b)は船尾側の船底流れを示す写真図である。
【図5】エアクッション船の要部を示す一部切欠縦断面図である。
【図6】図5の要部を示す一部切欠横断面図である。
【図7】(a)は整流板を設けていないエアクッション船の船首側の船底流れを示す写真図である。
(b)は整流板を設けていないエアクッション船の船尾側の船底流れを示す写真図である。
【符号の説明】
1 船体
2 側壁
3 船首シール
4 船尾シール
5 船底外板
6 縦仕切板
7 横仕切板
8 エアクッション室
9 空気流通孔
10 空気供給管
11 整流板
13 エンジン冷却水用配管
13a、13b 山状彎曲部
14 空気取入管
【出願人】 【識別番号】599160217
【氏名又は名称】小池造船海運有限会社
【住所又は居所】広島県豊田郡大崎町大字中野5924番地
【出願日】 平成14年9月20日(2002.9.20)
【代理人】 【識別番号】100050901
【弁理士】
【氏名又は名称】長尾 貞吉

【公開番号】 特開2004-114996(P2004-114996A)
【公開日】 平成16年4月15日(2004.4.15)
【出願番号】 特願2002-313479(P2002-313479)


広島県の「ものづくり」~オンリーワン・ナンバーワン企業~にも選ばれています。


中型造船では、この島はまだまだ時代をリードする技術が残っています。
小池造船海運株式会社は、注目の企業であり独創的技術で、大崎上島をアピールして欲しいと思います。

大崎上島に関する資料について

2週間ぶりにの更新となります。
休みがやっととれましたので、久方振りの更新となります。


よもやま話として「島に関する資料を探すのはかなり苦労する」という話題です。


大崎上島に関して、資料に言える傾向は次の2点があげられます。

>昭和50年代ぐらいまでの資料は、データーが豊富で参考になるところが多い。

>逆に、それ以降の資料は、人口減少などから、サンプルデータも少なくなり、結論に結びつくまでの説得力に乏しく魅力がない。

また、書籍にしても、郷土史にしても、行政及び、住民レベルで体系化するように組織化されていない。

魅力的な箱物(図書館)を地域の文化のシンボル(文化灯台)として再構築できればと思います。

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参考にさせて頂いていると伴にリンクを張ってくださっている、島の図書館―離島文献情報サイトには大変感謝しています。

管理人さんは、図書館に足を運ばれ、地道に調査されたのでしょう。
このサイトでしかわからない資料がたくさんあります。



このサイトで紹介されている、
福本清ほか 『大崎島のうつりかわり 上島と下島の歴史年表』

の著者は、おそらく小学校時代に教えてくださった、「先生」だと思います。

しかし、なかなか、手に入らない本です。

福本先生の思い出は、生野島から古墳の発掘をされていて、石器時代のヤリや、斧を何度かみせてくださったことがあります。

生野島は、大崎上島よりもさらに小さな島ですが、昔は陸続きだったことがこの古墳の出土でわかります。

[PDF] 考 古 学 班 調 査 報 告


当時は非常勤講師という肩書きでしたが、郷土史を研究されていることは、知っていました。

30数年が経過して、かっての教え子が、先生の資料を探し回るのもおかしなものです。


あと島の歴史とは関係ありませんが、病院の先生が書かれた本があります。

波多野 克己 著

俳句と医師と人生 (1975年)
ラバウル洞窟病院 (1971年)

どちらも絶版ですが、一冊は、持っています。

波多野 先生は、軍医でしたが、子供心に病院の前を通るのが怖かった思い出があります。

それは、注射が痛いこと、そして、病院前の消毒液の匂いです。

今となってはいい思い出です。

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もし、このブログを読んで記憶のある方は再確認されてはいかがでしょうか。

まだまだ、違うものもたくさんありそうな予感がしますね。

櫂伝馬の歴史を考察する2

櫂伝馬の写真を撮影したり、過去のデータを、有志の方のご協力を得て何枚か保存している。

この写真は昭和初期の頃の木江櫂伝馬競争の時の写真(龍尾さん所蔵)



目の前の大三島の位置といい、海に面した建物の場所といい、中央区だと思う。



櫂伝馬の基本スタイルは、7人×2の14人編成だと思う。
この写真だと、そうなっている。
しかし、最初の写真は、8人×2であるのではないかと思う。(もしくはそれ以上かも)



決定的なのものは、ふれあい資料館で撮影した昭和初期とされる櫂伝馬の写真
船首は長く、今の櫂伝馬よりも大きく、どうみても、20人以上は水主(かこ)が乗っている。

祝島の櫂伝馬を見ると、この写真と同じ10人×2となっている。
現在もそうだ。



櫂伝馬の大きさをいつからか変更したのだろう。

もしそうだとしたら、どなたかこの経緯を教えて頂けたらと思います。


櫂伝馬の歴史を考察する1
http://waqwaq500.blog.shinobi.jp/Entry/4/

歴史書、本 もろもろ

家船の本など、数冊、また和船に関する内容の本も、さらに

家船に関しては、諸説もあるが、対馬列島までの広大な範囲に及ぶことや、日本書紀などにも、海人の記述があり、

阿波(徳島)の長邑(那智郡)の海人(あま)男狭磯(おさし)が腰に縄を結び海に潜る

と書かれていることなどから、生活範囲が海中心で、漁業、航海にたけた技能集団は早い時期から存在していたのだろう。


八木荘司さんの「古代からの伝言」

これも面白い

驚いたことに、子供にこの本の内容を音読しながら読んでいたら、三国史に関する時代の流れをほとんど知っていて、その都度、解釈をしてくれた。

しかも、難しい読み方がわからない人名も、教えてもらった。

いや~ 恐るべし、小学五年生

中学では歴史の先生は、おそらく逆襲に遭うと思うね・・・。



本題に戻って、欠史八代の解釈の相違によって日本の天皇家の歴史も大きくかわるため、否定派と肯定派にわかれて学会は論争しているが、

参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/欠史八代
http://ja.wikipedia.org/wiki/広開土王碑

百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民

〈そもそも新羅・百残(百済)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。〉

などを考えると、当時の倭の国は、強大な国家権力をすでにもっており、志賀島の金印などの事実を考慮すると早い時期から、強大な権力者が日本に存在していたことを裏付ける。

韓国人などは、歴史を歪曲する習性があり彼等の歪んだ歴史観など、お付き合いする気持ちはさらさらないが、ここで一番大事なことは、どういった航海技術をもってして、はるばる日本から韓国に渡ったかということだ。

これより後の遣唐使船の頃の航海の実績を考えると「どうして?」と疑問がわいてくる。

どうしても、やはり海人の存在が気になってくる。
当然海人といっても、細分化されて航海にたけた者、漁にたけた者、戦闘にたけた者などに分岐していくだろうけれど。






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