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「悲劇の紫雲丸」

図書館で、

成山堂書店

高松洋平 著、

「悲劇の紫雲丸」

を借りて読みました。



実は、紫雲丸の事故に関する本は初めて手にしました。


この本は、、13章にわかって構成されています。


昭和25年の一回目の沈没の状況から、
その後、引き揚げられ改修を重ねレーダー、無線電話など最新の機器を備え付けながらも、
1955年(昭和30年)5月11日濃霧の中での、まさかの第三宇高丸との衝突事故。

船長、乗組員の運行状態や労働環境、航海に対する熟練度、

不可解な「謎の反転」

そして、事故当時の救助対応など、まるで当事者のように詳細に克明に書かれています。


また、木江に関しては

明治時代にあった海難事故の「天祐丸溺死者追悼碑」

そして紫雲丸事故に巻きこまれた犠牲者となった先生の詳細な内容など、よく調べられて書かれています。

事故後の経過として、
8年にわたる海難審判の結果がもたらしたもの

政治的経過として、
国鉄民営化運動
本四架橋建設実現
なども、詳しく書かれています。
知った先生の名前も出てきました。

昭和62年5月11日に行われた33回避追悼合同法要、そして現在の斜陽状態である島の現状まで書かれています。

現役の方の名前もたくさん出てきます。


ただ、国鉄時代から数々の重大事故を起こしてきた、公共輸送機関であるJRですが、船、電車の違いはあるにせよ福知山線脱線事故などを更に起こすなど、事故に起因する要因を反省、分析できていたのでしょうか。

人間は必ず間違いを犯す生き物です。

JRも運輸安全マネジメント、労働安全衛生マネジメントシステム、PDCAの導入など、やっと儲け中心から、安全が最大の利益であることに舵をとることになりました。

業務を繰り返し見直し、改善することで、更に安全に対する精度が高くなっていく手法です。


昭和30年代後半などは労働災害が最もピークな時代です。
海難審判にしてもお粗末な、審議内容しかありません。
レーダーの見方も未熟なまま、経験と感に頼りの船長は、今のレベルでいえば非常識です。

当時の国や政治家の安全に対する見識が如何に無知であったかよくわかります。

巨額を投じて本四架橋ができた訳ですから、金脈の嗅覚は当時から抜群だったのでしょうけれど、

ひとつだけ、大崎上島に橋を架けることを忘れないで欲しいです。

この事故で尊い命を奪いながら、なぜ被害者であるこの島に橋が未だ架からないのか。

人道的見地からいっておかしいと思います。



最近、私のブログは、紫雲丸関連の検索が多いので、今回、再び書いてみることにしました。

ネットの時代になって、検索機能も充実してきました。

私のブログの今年の目標は、架橋からなぜ外されたのか、

議事録なり公的文章を調べて経過を調べて行きたいと思います。

また、こんなことを書けるブログもここしかないでしょうから。

偶然なんてあり得ないでしょう。

国会会議録検索システム


http://waqwaq500.blog.shinobi.jp/Entry/25/


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