黄旗組さんには、以前も大崎上島町外表の獅子舞の動画をリンクさせてもらったり、大崎上島備忘録で記事を書くには欠かせない内容の一部となっている。
人口も減り昔の繁栄も嘘のように寂しい場所になりつつあるけれど、こういった真の郷土愛をもった人がいることが、励みになる。
遠距離にすみながらも、その欠点を克服できるインターネットの恩恵も受けている。
なによりも以心伝心ができることは、すばらしい。
木江町の造船の全盛期の祭りは、すごかった。
親方日の丸ではないけれど、国内船建造がひだりうちわの時は、惜しげもなく競い合って我先に寄付をだしあっただろう。
いまでは、経験できないだろうけれど、港町独特の景気のいい打ち上げ花火大会が、町全体で行われていた。
人口も単独で合併した大崎上島町より多かった。
家を建てる土地がないため、隣町の大崎町に移る人が多かった。
こんな小さな港町で、大阪北浜の相場を動かすことができるぐらいのミニバブルが実際に起きていたことは、官庁の出先機関、銀行、映画館などがほとんどあったことから裏付けられる。
造船好況の場所にはお金が落ちるため水商売も盛んであり、良きにつけ悪しきにつけ田舎であって田舎でなかった場所だ。
風俗街を歩くと、不思議と「どこかで見た風景」を連想していまうのは、この町で育った体験がいきているのかもしれない。
人を見るポイントもこの町で鍛えられた。
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