忍者ブログ

ビキニ被ばく受け原子力協力 米公文書、日本人は核に「無知」

ビキニ被ばく受け原子力協力 米公文書、日本人は核に「無知」

 1954年3月1日に太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験で静岡の漁船「第五福竜丸」が被ばくし、原水爆禁止が国民運動となる中、危機感を深めた当時のアイゼンハワー米政権が日本の西側陣営からの離反を憂慮、日本人の反核・嫌米感情を封じ込めようと、原子力技術協力を加速させた経緯が23日、米公文書から明らかになった。

 共同通信が米国立公文書館で収集した各種解禁文書は、核に「無知」な日本人への科学技術協力が「最善の治療法」になるとして、原子力協力の枠組みや日本人科学者の米施設への視察受け入れを打ち出す過程を明記。(共同)


アメリカに言われなくても十分、日本人の核に対する「無知」は効果を発揮しています。
原発より原潜、原空のほうが危険とか、安全基準のよりどころがまったく分かっていない。
原発問題は現代の踏み絵と化しています。





自民個人献金、72%が電力業界 09年、役員の90%超   2011年7月23日 02時08分

 自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部の2009年分政治資金収支報告書で、個人献金額の72・5%が東京電力など電力9社の当時の役員・OBらによることが22日、共同通信の調べで分かった。当時の役員の92・2%が献金していた実態も判明した。電力業界は1974年に政財界癒着の批判を受け、企業献金の廃止を表明。役員個人の献金は政治資金規正法上、問題ないが、個人献金として会社ぐるみの「組織献金」との指摘が出ている。福島第1原発事故を受け、原子力政策を推進してきた独占の公益企業と政治の関係が厳しく問われそうだ。



PR

昔の風景、もろもろの話

松林の話

幼年期、まったく環境問題に疎かった4歳か5歳の頃

最初で最後だったが、いとこに、大串海岸に海水浴に連れて行ってもらった。

昭和45年頃の話だが、当時の海水浴場の名物と言えば、松並木だった。

大串海岸は干拓してできた人工の海水浴場だから、造林したんじゃないだろうかと推測する。

造林しても、自然環境にあっていたのだろう。
立派な松並木が連なっていた。


ところがその後、この松達がどんどん枯れてやがて消滅することになる。

忠海火力発電所の影響ではないかと、当時の高校の女先生は、事業中に呟いていた。

記憶の確かな人がいれば当時を思い出して欲しい。

忠海火力発電所ができると、排煙の影響で雨水が変化し山の土壌が酸性となり農作物が出来にくくなっることを、風向きの方向を示した丁寧に説明したシュミレーションの絵がはいったパンフが配られていたことを。


その他、山陽道の開通後、東広島の松林が枯れてしまったこともニュースでよく報道していた。

よくある説明として、
「外材から松食い虫が繁殖したのではないか」
「酸性雨の影響があるのでは」
など広大の教授が新聞で解説をしていた。

結局今では、松林があったことも人の記憶から遠のいてしまった。

瀬戸内海のバイブル 小西和さんの『瀬戸内海論』の本の中には、松並木の景観の素晴らしさが何度も出てくる。

戦後間もない瀬戸内海の海岸線の風景をみても、当時の無茶苦茶な乱開発の後でも松だけは生き残っていたのに。



瀬戸内海の沿岸で松並木を思い出すのは、宮島ぐらいで他にわずかしかのこっていないのではないだろうか。

天橋立に10年前遊びにいったとき、この素晴らしい景観を見て、海岸線=松並木を連想していった。

本当なら古来から日本人の情感の中に溶け込んでいる守るべき風景だったのだが、今となってはもう遅い。


長島火力発電所

小学生時代(昭和40年後半)、大崎に遊びに行った時、この大崎町に火力発電所を誘致するかどうかで、賛成派と反対派で町を分断して大人達がもめていたことを思い出す。


空と海と大地と、そうして生命を守りたい  芸南火電阻止協


お気に入りのオモチャ屋のおじさんは、反対派で元気よお得意さんの我々をほっといて、盛んに反対派の人達と意見交換をしていた。

記憶が定かじゃないけれど、当初建設予定の大崎ではなくて長島に火力発電所に建てることに落ち着いたはずじゃなかっただろうか。

常識的に考えて、ど田舎に巨大資本の電力会社がくるのだから、地元ではよくやった派に押し切られたのだろう。

長島には最後まで反対していた人もいたが、強引な形で追われることになった。

理解なき人は、たくさんの保証金をもらってうらやましいなどと浅はかな発言をしていたのだろう。

私は、昔のホームページでも火力発電所誘致は環境問題はあるけれど、当時の町長の英断だったと書いたことがあるけれど、このことに関しては今もそう思っている。

しかし、あの長島から出ている巨大な煙突は、瀬戸内海の景観を壊している不格好なオブジェだ。

写真家ならあの馬鹿でかい巨大な煙突を避けるためにどれだけ苦労をしているのだろうか。

赤白のツートンの煙突は、小学生でも理性が妨げて絶対作らないだろう、アホ丸出しの建築物だ。


また時代が時代だから、どうしても田中角栄の列島改造論を思い出してしまう。

開発することによって多くの人が潤うと錯覚していたよき時代の見本だ。
実際は利益よりも借金を日本が背負う赤字国債がスタートした年代に近い。


炭鉱中心から石油中心のエネルギー政策転換

昔のページで相互リンクしてもらっていた、小雪さんの住まれていた長崎端島(軍艦島)も炭鉱だけの為にできた人工島だけれど、国のエネルギー政策の元、石炭の需要がなくなり昭和49年に閉山、離島した。

炭鉱は瀬戸内海の島では馴染みがないだろうけれど、九州や北海道では戦後間もない頃 石炭は黒いダイヤとして持てはやされ沢山の炭鉱もあった。

大崎上島では、海上輸送が中心だった昭和30年後半まで、九州から大阪方面の経済航路の中継点として、またそれに使う中型船建造のお得意様として恩恵を受けてきた。

戦後の60年ほどの間に、エネルギー政策の中心は、石炭、石油、そして原子力と移っていった。

人も物も金も、忘却することを前提に政策的に移行してきた。


原発災害ってなんなんだろう?

福島原発の事故の後遺症は止まることはない。
この暑い炎天下の中、いまだに被災者は、自衛隊は、復帰にむけ、異臭漂う中、我慢し努力している。

加害者側の東京電力の社員の方も決死隊となって、放射線が降り注ぐ危ない現場の第一線で不休作業を昼夜している。

福島の小学生や児童はどうなのだろうか、

彼等が将来背負っていかなければいけない、おおきな責任は、政治家や商業メディアが決して口で現すことのできない大変なものだ。

他人事ではない。

道理に合わない。

一人の人間としてどうかということだ。

あなただったら、耐えられるだろうか?

耐えるためには、2つの方法がある。

情報をシャットアウトして、完全に無視する方法。

そして、逆に原発推進に徹底的に賛成する方法だ。

感情を入れず、冷酷に利益をむさぼる方法だ。


同じ日本人として、同胞として・・・・


日本は、1945年アメリカの国際法違反の一般市民をも殺戮の対象にした広島と長崎での原爆投下により放射能汚染の怖さを知っていたはずだ。

(ちなみに指摘しておくが、白人は黄色人種である日本人だから原発を落としたという説が有力視されている。そうなれば白人の人種差別の象徴と言えるだろう。)

人類史上体験したことのない大惨事を経験した被爆国日本は、最低限、本能的に正しい判断ができなければいけない。

何のための犠牲だったのだろうか?

ちゃんとした安全基準がこの時にできあがっていなければいけなったのに、それさえも論議されないとは、空洞、骨抜と断言してもいい。

戦後から70年以上の時間は経過したのだが、その間何を論議し取り組んできたのだろうか?

無駄な実効性のあがらない観念論の推進、既得権力化するための実体のない世界平和実現のための憲法論議など、どれもこれも世界では通用しない建前が前提でのむなしい論議だ。

だから適切な判断がなにより大切なのだが、いざその場になると迅速に決断もできない。

隠す、遅延させる、圧力をかける 最後にはだます

こんなレベルでは、民主主義はまだまだ先だ。

無知なるが故に、責任のないはずの犠牲者を出すことは、もうやめるべきだ。

責任をもって各々が現実を受け入れる以外選択肢はない。

当たり前のことを当たり前にしなければいけない。

品格のレベルまで上げないと、明日の日本はありません。

伊王島ペーロンへ櫂伝馬練習

 広島県大崎上島町の東野小6年生が16日、長崎市で8月にある和船をこぐ大会に参加するのを前に、東野の鮴崎(めばるざき)港周辺で櫂伝馬(かいでんま)の練習を始めた。

児童10人が櫂伝馬を長年こいでいる保護者から習った。鮴崎地区の住民グループ「若木会」から借りた全長約11・5メートルの櫂伝馬に乗り込み、「ヨイサー、ヨイサー」と掛け声を出しながら櫂のタイミングを合わせた。

 青少年育成県民会議の「夢配達人プロジェクト」に選ばれた6年生12人全員は、8月7日に長崎市伊王島のペーロン大会に参加。現地の小学生による伝来の和船ぺーロンとこぎ合い、被爆地広島と長崎を結ぶ平和交流をする。

【写真説明】息を合わせて櫂伝馬の練習に取り組む6年生



原発問題を考える その2

大崎上島で「ぶんぶん通信」の学習会2回目が7月16日にアンテナで開かれます。

前回はスカイプで参加させていただきました。
今回は、土曜日が勉強会と重なり残念ながら参加できません。

前回のイベントの内容を新聞を発行されメールで送っていただきました。
内容の濃いいい新聞です。

原発問題は、日本国民として一人一人が真剣に考えるべき問題です。

反対派のあなたも、賛成派の君も、外で遊びたい小学生の児童も、どうでもいいやと思っている人も、

世代を超えて色々な年代の多くの人が、意見を出し合って思慮を深める

当たり前のことが当たり前になるように、石を積み上げる作業は必要です。

現実から逃げる必要もなく 正面から取り組むこと

それは権利であり、本当の自由です。



原発問題を考える

これは私個人の原発に対する考えであり、面白く無い人はスルーしてください。

先日の講演で東京からこられた、水口弁護士が講演の中でおっしゃっていたが、
東京では節電対策で、地下鉄のプラットフォームの蛍光灯は半分しか使っていない
役所などオフィスの温度は28度設定が義務づけされているが、ムンムンとしたかなり蒸し暑い状態で仕事を余儀なくされている、東京と較べると大阪に来たときオフィスが涼しく感じたことを語られていた。

今回の原発問題の取り組み方は、東高西低と、被災地域の距離に比例しているような感じがする。

そこで、今日は原発問題の自分の意見を述べてみたい。

よく聞く話だけれど、今回、国が示した健康状態の指数も疑いをもっているお母さん方がほとんど、食物摂取から子供を守ろうと、自主防衛されている人が多い。


体内被曝した場合、4,5年の潜伏期間が経過すると現れる。
そのとき被害者から集団訴訟が起きるだろうが、国家はそのとき、どう対応するのだろうか。

最高裁判所までたどり着くまで何年もかかり、裁判官がよく使う方法として、「被害者と食物との因果関係が認められないため却下、よって保障は認めれない」ということになるのだろうか?

被害者は不特定多数で、個々の因果関係を特定するのは難しい

その時がくるときのために、状況証拠だけは徹底的に残しておくべきだ。
裁判の判決の有無、勝ち負けは、状況証拠が有力な判断材料となる。
情報革命が起きている現在の日本ならば、こういった自己意識に目覚めた人が連携し組織的にデーターを残すことは可能だ。

ここで思い出すのが、C型肝炎訴訟だ。
感染した注射針を使い回したことが原因で、状況証拠がないため、感染経路が証明できず泣き寝入りしている被害者が多い。
私が知っているだけでも、三人もいる。

成熟した国家の理想像は、安全配慮義務の徹底だと思うが、そうでなければ、無知をもとに経済合理性を理由に個々が排除されることは経験済みだ。

広島は日本で二つしかない被爆県であるけれど、原発問題と、被爆県を別個に考える傾向が多い。

それは原爆投下は戦争(正確には米軍の無差別大量殺人兵器の結果だけど)がもたらしたもとのであり、原発問題とは違うという理屈だ。

経済的理由で、夏期の電力需要が対応しきれず産業が衰退するなどともっともらしい意見も多いけれど、私はまったくそうは思わない。

産業が衰退するのなら、日本はその程度だと考えるし、そこは日本のもっとも得意とする創意工夫、我慢さえすれば乗り越えることができると思う。

また、原子力発電に依存しなくても火力だけでも十分対応可能とのレポートもあり、真偽のほどは、これから判明されるだろう。

ネット環境に慣れているので、多くの若者と同様私は大手メディアは、ほとんど信じていません。またメディアはスポンサーとの契約が前提であり、彼等は商業マスメディアが実体であり、報道に公平性を求めるのは最初から難しいのです。

それだからこそ、経済諸問題は経済界の問題であり一日本国民として安全で健康な文化的な暮らしをいとなむために、権利として原発は不要といいたい。

不夜城と化している都市の無駄な電力消費力は経済の象徴であったけれど、節電意識に目覚めた深夜の都市の姿--コンビニの蛍光灯は半分になり、ネオン街道も半分、涼しい時に店を開ける大型店、サマータイム導入など----工夫と努力次第で過大な電力に頼らなくてもある程度の快適は保たれる。

熱帯夜を避けるため大都市部でのスプリンクラーによる散水だって馬鹿にならない効果があるだろう。

これらか先、真の文化的先進国であるためには、自律的な成熟した市民社会実現と、それを育むための感受性を高める訓練が必要だ。

東西南北に長い日本だけれど、今だに、津波と原発の影響で住む家もかえることも出来ない人がいることを考えると、国の政策の過ちにより結果的に経済弱者に貶められた国民がいることを考えると、私はとても原発賛成の意見には賛同しかねます。

被爆2世の方に、原爆が投下された広島で被爆者とその家族が、放射能を浴びているから、結婚するな、奇形児ができるで、などと言われていたことを体験を聞いて、「ほんまかいな?」と半信半疑になりました。

福島の疎開された児童が差別をされたときの報道を聞いてこういった経験がフラッシュバックとなって蘇ってきたそうです。

国家である前に、日本国民として、自信と尊厳を取り戻すためにも、震災・原発問題は、自律的に各々が取り組むべき問題だと強く感じます。

追記

原発に関して、お酒の席で出た話題

3.11 原発事故が起きたその日、対応の早い諸外国の企業等は、その日の内に東京から待避命令がきた。

だから、スイスホテルなど大阪の有名なホテルは満室になった!

もし、在京するのであれば、誓約書(つまり、万一健康被害にあった場合、自己責任となり会社の保障の範疇ではないということ)を書くことが前提であったとのことだ。

外資系の企業の多くは本社機能を大阪に既に移している。


日本人の安全基準とは、いったいなんなんだろう?

民度によって安全基準はかわってくるけれど、こんなレベルの低い民主主義がおこなわれていては、夜明けは当分こないだろう。

昨日は橋本知事は、原発問題を「世代間格差」とたとえていたが、間違った利権既得者の退場がこの国を正常に戻す手段となるだろう。

広島は被爆県でありながら、原発再開賛成派にまわったり、本質がわかっていない。

なんのための、平和教育だったんだろう。

広島の平和教育の本質が見えてくる。

アホらしくて話にならない。

有期雇用法制の課題と問題点

日本労働弁護団 幹事長 水口洋介弁護士を迎え、表題の講演が1時間強おこなわれた。

契約社員と正社員の同一労働、差別的賃金格差・不安定な雇用環境・待遇などの是正するため、立法化するための取組など、幅広く講義がおこなわれた。

国別の取組事例などもあり、かなり高度な講義となった。



お昼からは、第二部として、3つのテーマに分かれ大阪労働弁護団の若手弁護士達による、講演がおこなわれた。


必ず、講義などICレコーダーで録音・保存することにしていますが、日頃の疲労がどっと出てしまい、昼からは睡魔との戦いとなりました。

資料の復習も体力的に無理です。

お昼までの絶好調が嘘のように説不調になりました。

日本の労働者の割合も、近い将来、契約社員と正社員の比率が逆転し、このことが社会問題となって顕著になることは必然です。

言いたいことは沢山あるけれど、疲れた。


参考
再論:改正パートタイム労働法と丸子警報器事件

ブログ内検索

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

天気

最新コメント

[11/22 ดอกไม้แสดงความเสียใจ]
[11/22 ดอกไม้แสดงความรัก]
[11/22 ร้านดอกไม้น่ารักๆ]
[11/22 งานขาว ดํา]
[09/30 pod]

アクセス解析