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固い話

地域おこしの全国組織設立へタイトル

でリンク紹介させて戴いていた、

内閣府 NPOホームページ

にある

平成21年度特定非営利活動法人の実態及び認定特定非営利活動法人制度の利用状況に関する調査

のPDFファイルを印刷して読んでいる。

ページ数は、約250ページほど

全国のNPO団体に、アンケート調査した結果をまとめたものだ。


NPO法が施行されて、約10年ほど経過するから、

しっかりと、「今」を検証する資料として、

どの本よりも、しっかりとしたレポートがあがっている。


今、爆発的に売れている

久繁哲之介さんの

『地域再生の罠』を読む前から、



本当に、地域に根付く事業が「できているのか」、

「できるのか?」

疑問であった。


過疎物語(kaso-net)

であがっている

交流事例紹介

など、どれも単発的で、

今現在、どう結果に結びついているのか、知りたい。


合併した市町村の項目を見て戴ければ、

おわかりになると思うけれど、村は町になったり市になっている。

つまり、行政は一体性のある体系的な取組はできていない。

各監督省庁の税金の無駄遣いとして、

形を変えてNPO団体などが、町興しと称して、

実効性のあがらない

非現実的な事業をおこなっていたのではないか

という結論が、私の持論だ。

地域の特産品を、NPO団体が開発し、販売しているケースなど、

成功事例であげられることが多いが、

実際、そういった商品を、スーパーや店頭で、お目にかかったことは一度もない。

市場に出回らないぐらい、レアの商品なのか、

それとも、私の家計のランクが低いから、

出会う場所がないのか

どうなのかはわからない。

あれだけ、メディアでちやほやされた、

電脳山田村のその後を把握している方はいるのだろうか?

交流居住のススメ 全国田舎暮らしガイド

にあがっている、田舎暮らしも、

「余生を農業に楽しむ」とか、

本場のお百姓さんが、市場に売り込む出荷物を作るのに、

悪戦苦闘し、跡継ぎがいない、

高齢化が進み、中国などの研修生を受け入れて

なんとか、現在を維持している状態なのに、

いきなり、にわか農家などあり得ないまるで漫画の世界だ。


明確にいえば、

「豊かな田舎」は、意図的な演出であり、存在はしない

全国の過疎地域は、

好きで過疎になったのではない。

長期的視野、展望のない国の失策によって生まれた過疎地域は、

お詫び程度の、お金を行革と称してNPO団体等に配ることにより、

衰退と、縮小を繰り返し、ほとんどが、限界集落になるだろう。

社会資本が減少する中、

Jターンで、過疎地域の人口が増えることなど、

絶対にあり得ないことなのだ。

パチンコ玉のごとく、

どんどん、吸われていく玉を、いくら買い足しても、

ラッキーセブンを期待するような、

行政・地域社会を運営するなど、ギャンブルと同等のことが行われていると思う。






平成21年度特定非営利活動法人の実態及び認定特定非営利活動法人制度の利用状況に関する調査を読めば、

地域社会に貢献したいなどの意思をもって

一端NPOを立ち上げたものの、

事業するための運転資金もままならず、

金策にはしる団体が多い(こんなはずじゃなかったのに)

また、特定否営利活動に関する誤解や、

景気低迷による助成金減少、打ち切り、

団体でも、極端な2極化(大手と弱小)がすすむなど、

そういった、実情を網羅した資料なので、

興味のある方は一度目を通して欲しいと思います。




今後は、全国のNPOの多くは今の状態で維持できるはずはなく、

社会と共存できるかどうかは、

財政的にも、

また、住民の意思が反映できるか、期待に応えることができるかは、

怪しい。


開かれた市民社会で訴えられたように、

住民主権の地域社会の成立には、

年齢に関係なく、

若者にも、老人にも

積極的に地域社会に興味を持って戴き、

相互理解を深め

責任を持ち

弾力性のある地域社会作りをしないと過疎地域は先がない。

過疎地域には、未だに操作されたキーワード「バラ色の人生」はまっていない。

むしろ、リスクのほうが大きい。

しかし、

確かにリスクは大きいけれど、

地域の人がしっかりとリスク管理をして対策・善処していく。

こういった、地道なコミュニケーション力が前提条件として必要だろう。


難しい子理屈など、本当は必要はない。

こういった本音を書いて

サイトの一つを閉鎖した前歴があるけれど、

どちらが正しいか、

時間はすぐに証明してくれるだろう。
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もう一つの海の道

大崎上島の海の道


自分だけで、企画・立案してみよう!



櫂伝馬は有名だ。

でも、それだけだろうか?


自転車などのツーリングコースは、隠れた資源だと思う。


ツーリングコースとしては、

尾道~今治ルートは全国的にも有名だ。


しかし、最近 注目されている


とびしま海道サイクリングのもう一つのルートとして、

呉方面、下蒲刈~上蒲刈島~豊島~大崎下島~明石(島をまわって)

フェリーで竹原、もしくは安芸津をまわって帰るコース

が、ネットで知られるようになってきた。


自転車をこいで、

瀬戸内海の島々をまわるのは、

思いのほか、気持ちがいい。


こいで、その地域の特産を食べて寝る。



大崎上島にすまれている人で、

自転車の楽しさを知っている人だと、

もう一つの、隠れた資源として、

当然 取りあげられていたことだろう。


ここ数年の傾向だけれど、

自転車乗りのホームページは、魅力的なものが多く、定期的にチェックしている。



三井昌志さんの

リキシャで日本一周!


旅空日記

写真、特に

人の表情がどれも素晴らしい!

知らない人にカメラを向けて

笑顔で撮影することは、無茶苦茶 大変な作業だ。



他に


『行かずに死ねるか!』

で、有名な石田ゆうすけさん


本も、借りて読んだけれど

こういった旅物は、はまってしまう!


大崎上島の魅力


それは、


不便な島は、島なりの、

良いものも残されている。


感度のいい人達は、

こういったものを自分で探すために旅に勝手にトンボのごとく

とんでいくものだ。


たとえば、最終ルートとして、

チャリダー達に、

廃校になった建物を有効活用して、


安い宿(宿泊だけで三千円~五千円)を提供できる体制ができれば、

島の滞在時間も増えるだろうし、活性化にもつながると思うのだが。


こういった、

新しい海の道を提案・開発すれば、

交流人口も増えるだろ。


時代は、デフレ!

逆にデフレ時代を楽しむ、楽しみ方も逆転の発想で面白い。


できることなら、

祭日に、この島に

自転車で乗り入れしている人達と話をしてみるのも、

楽しいことかもしれない。

中には、知らない魅力を語ってくれる人もいるかもしれない。


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とびしま海道

68日目:とびしま海道を行く(広島県大崎上島)


安芸灘とびしま海道サイクリング

お隣の御手洗の話題、坂本龍馬と近代国家


坂本龍馬がブームなので、

それに関連する話題

御手洗関連の話題を集めました。




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中国新聞   '10/9/20

豊町と竜馬のつながりに脚光


戸期の潮待ち港として栄えた呉市豊町御手洗地区などと、幕末の志士坂本竜馬のつながりを示すわずかな史料が注目を集めている。船で瀬戸内海を行き来した志士たちが頻繁に立ち寄った御手洗地区。NHK大河ドラマによるブームが後押しし、竜馬の足跡を追う観光客も増えている。

 竜馬と豊町をつなぐ史料は主に2点。一つは鳥取藩士、河田佐久馬の手記「河田佐久馬備行ミちの記」(山口県文書館所蔵)で、1867(慶応3)年4月、御手洗に入港した河田が、いろは丸事件直後の竜馬に偶然出会い談笑したと記す。竜馬は鞆から長崎に向かう途中だったとする。

 二つ目は、御手洗に隣接する大長出身の志士で維新後96歳まで生きた新谷(にいや)道太郎からの聞き書き「維新秘話 志士の遺言書」(1936年発行)。竜馬が京都で暗殺される直前の1867年11月3日、竜馬、大久保利通、木戸孝允たち薩摩、長州、土佐、芸州(広島)の志士十数人が新谷邸に泊まり、四藩連合の軍事同盟を結んだとある。

 史料が近年、新聞や雑誌で取り上げられ、市豊市民センターには問い合わせが増加。ただ、新谷の聞き書きにある四藩軍事同盟の真偽は定かでない。

 地元の郷土史家、下鍛冶尚真さん(77)は独自の研究を元に、歴史ロマンの広がりに期待する。「竜馬も当然立ち寄ったはず。四藩同盟があってもおかしくない」



【写真説明】豊町大長地区に残る新谷邸。下鍛冶さん(右)は竜馬が宿泊した可能性があるとみる

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新谷道太郎述書『維新志士 新谷翁の話』の「御手洗島の密議」

【PJニュース 2010年8月18日】

新谷道太郎が二条城の大政奉還の諮問の席に参列していたのか。

あるいは、参列者の誰かから仕入れた話のか。どちらとも判断がつかない。

ただ、新谷道太郎述書『維新志士 新谷翁の話』によると、大政奉還から1ヵ月後に、1867(慶応3)年11月6日に大崎下島・御手洗(広島県)の新谷宅で、四藩軍事同盟が結ばれている。

それが1ヵ月半後に、鳥羽伏見の戦いにつながった。(御手洗港は江戸時代、瀬戸内海で最も栄えた、交易港である)

密議の参列者として、各藩から主力志士が集まっている。

芸州藩からは池田徳太郎、加藤嘉一、高橋大義、船越洋之助、星野文平、そして新谷道太郎の6人。

薩州からは大久保一蔵(利通)、大山格之助、山田市之丞の3人。
長州からは桂準一郎、大村益次郎、山縣狂介(有朋)の3人。
土州からは坂本龍馬、後藤象二郎の2人である。

『10月14日に徳川慶喜は大政奉還をして、将軍職を辞したが、これは有名無実であるから、この四藩が連合して兵力を以って大改革をやろう』

と龍馬が主導する倒幕の軍議が3日間にわたって練られた。

新谷がこの密議の折、龍馬から二条城の大政奉還の様子を聞いた可能性が高い。

この四藩軍事同盟が決められて、同島の御手洗港を発った龍馬は9日後の、同月15日に暗殺された。くしくも33歳の誕生日だった。場所は京都の醤油商・近江屋で、おなじ土佐の中岡慎太郎と膝を突き合わせて語っていたところ、刺客に襲われたのだ。

龍馬暗殺の動機となると、主だったものは3つある。


1)紀州藩が黒幕説

いろは丸事件で紀州藩は龍馬に8万3千両の賠償金を支払うことになった。「浪人者に大金を取られて、御三家の面子をつぶされた。だから、龍馬を暗殺した」

そう考える、土佐海援隊のメンバー(陸奥陽之助ら)16人が、暗殺の黒幕は紀州藩・三浦休太郎だと言い、12月7日、三浦の投宿先の油小路花屋町の天満屋に襲撃した。乱闘のなかで、「仕留めた、仕留めた」という声で引き揚げた。犠牲者は別人であった。


2) 志士をテロリストとみる、幕府の治安維持のため

事件の当初は、京都守護職・会津藩の新撰組だとされた。新撰組は治安維持のために、長州藩士、不穏な行動の浪人者が捕縛、抵抗すると斬り捨てた。その取締りの一環で、龍馬と中岡は殺された。現に、近藤勇の処刑には龍馬殺害の罪も含まれていた。

3)佐幕思想派による、尊皇攘夷派への仕返し(大政奉還も含めて)

武士たちは、徳川家に忠誠心を尽くしておけば、365日は家族全員が飯を食べられていた。ところが大政奉還で明日の糧を奪われ、どう生きたらよいのかわからない、暗闇に突き落とされた。世界一ともいえる、超一流の安定企業を一夜にして倒産させた、龍馬への恨み。

1869(明治3)年、今井信郎が箱館戦争で捕らわれて、東京に送られてきた。翌年、京都に送られて、龍馬殺しの罪で取り調べを受けた。「見回り組みの犯行だ」と今井が供述した。

これが現在の定説になった。

新谷道太郎の資料は賛否両論ある。勝海舟が極秘で、供侍はひとり新谷道太郎をつれて奄美大島に出むき、西郷に会った。(海舟始めて南州を訪ふ)
司馬遼太郎が「竜馬が行く」で、それを取り上げている。

西郷が勝海舟が初めてあったのは、第一次長州征伐の時とする。西郷が大久保利通に送った手紙に、勝とは初対面だとして、その印象を書いている。(歴史学者は西郷の、その手紙を一級史料だとする)。

歴史学者と歴史作家の司馬との間で、激論が交わされた。

「史実と事実は違う。手紙はすべて事実とは限らない」と司馬は主張した。

「西郷はかつて極秘で薩摩にやって来た勝海舟に会ったことがある。密輸入した武器を勝に見せている。それを薩摩藩内で明かせば、勝に迷惑を及ぼす。と同時に、西郷自身も不利益。だから、勝とは初対面だと、大久保にカムフラージュした」

そのような趣旨からだろう、新谷の話には信憑性が高い、と司馬は作家の目で主張した。そして、新谷の話は事実とした。

(新谷が勝に一人付き添って奄美大島にいった。この期間は勝の行動は史料でも空洞になっている)

ここで紹介した、新谷が記す「大政奉還の諮問の場で、龍馬が勇気ある発言した」という内容が、司馬のように事実とみなせば、大政奉還に命かけた龍馬像がくっきり浮かび上がってくる。と同時に、龍馬暗殺者たる刺客の動機に近づくことができる。

新谷は一級品の資料を残してくれたと思う。【了】

(撮影:穂高健一、8月15日)

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穂高さんは、雑誌「島へ。」の中で旧豊田郡の島々に関する歴史も

詳しく書いて戴いてます。


龍馬の御手洗の話題は、興味深いです。



260年もつづいた江戸時代を終わらし、

日本の将来を見すえた龍馬の行動力は、「革命」・「維新」と言えるもので、

今の日本に一番必要なことだと多くの国民は内心思っているでしょう。

時代を変えるとは、酷なことですが、

「命を賭ける」

ことですね。


せっかくの龍馬ブーム


場所も近いし、

新たな自分を見つめるきっかけになるかもしれません。


地域おこしの全国組織設立へ

市町村の枠を超えて住民参加の地域おこしを推進する「地域サポート人ネットワーク全国協議会」が14日、広島県神石高原町の呼び掛けで発足する。
山口県を除く中国地方と北海道の14市町の首長が、発起人に名を連ねる。
13、14の両日、神石高原町で設立大会を開く。

 協議会は、発起人のほか市町村やNPO法人などでつくる。
地域おこしを担う住民と、農業などを通じて交流する都市部の生活者を「地域サポート人」と呼び、情報を共有し、連携を強める。事務局を神石高原町に置き、年内には専用のホームページも開く。

 具体的な活動内容は、インターネットでの意見交換▽研修会開催▽法制度などの情報収集▽政策提言―などを計画している。

 神石高原町は2009年度、国の集落支援員制度を導入した。
住民10人を支援員に委嘱。集落の課題を解決し、町への提言も期待している。
しかし、支援員の努力に比べ、高齢化などから活動が集落に広がりにくい実情がある。こうした現状の打開へ向け、町が協議会設立を提案した。

 設立大会には、発起人を含む全国の21市町やNPO法人などから約150人が集う。講演会や事例報告を通して、連携の在り方を探る。



地域サポート人ネットワークシンポジウム

色々と考えると

NHKの「市民ボランティア」定義では、地方もNPOも衰退する

平成21年度市民活動団体等基本調査報告書PDFファイル(2,402KB)


図説 大崎島造船史 

旅する櫂伝馬のプロジェクト以降

大崎上島の若者達の活躍もあり

櫂伝馬の注目も集まり、

明日は、NHKのロケもあるそうだ。

また、広島県の「海の道構想」もスタートするだろう。

どちらにしても、キーワードは「海」であり、



あらためて確認作業の意味もこめて

「図説 大崎島造船史」を読み直してみると、

この島の海運史を残そうと、色々な方が尽力されていることがわかる。 


--未だ、現役で活躍されている方、既に故人となられた方、--



これだけの素晴らしい実績を残しながら、

何も、世に知られてないのは、理不尽だと思う。




昭和63年に発行された本だけれど、

こうして、20数年が経過し、

時代はまさに紙の媒体から、電子化

インターネットの時代になった。


そこで、この本の巻末にある

「あとがき」を載せることにした。


本来、本の生い立ち、あらすじを紹介をするのなら、

最初に載せるべきものだと思うが、

所詮、一個人が、勝手気ままに作っているブログなので、

良いだろうと思っている。


本当に思うことは、

一昔前のこの町の文化活動が如何に、

内容の濃い、精度の高い作業をしていたことか!

尊敬をとおりこして畏敬の念をおぼえてしまう。


そういった意味で、

「最近は随分軽くなったね。」

と先人たちに後ろ指をさされないよう、情報発信していきたい。



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


あとがき

大崎島には、古くから、海運業と共に、造船業も発達した。

そして、瀬戸内海が、九州、大阪間の大動脈として、長い間、走り回った帆船もいなくなり、明治末から、大正、昭和には発展した、被曳船、機帆船、旅客船も、いつの間にやら消えてしまって、今付近の海でみられるのはフェリーボート、快速船、釣り船と漁船に、鋼船の機帆船ぐらいであろう。

とにかく、船は木でつくるもので、海のある限り「木船」はなくならないものと信じていたの、今は小さな船はプラステック、大きい船はほとんど鋼船になってしまった。

そして、昭和三十年をすぎると、木船を作る造船所は、高いクレーンのついた鋼船建造の造船所に切り替えられてしいった。

その昔、帆船を作る優秀な棟梁さんたちは、定年退職をしたり、老衰して息子に職を譲り、もう若いときの元気はなくなった。

造船所は駄目だといいながら、鋼船に切り替えてからでも、早30年の月日が流れている。

島に生まれ、島に育ったものは、どこへいくにも船のご厄介にならねばならない。

その大切な、「船の歴史」がだんだんと消えかけている。
何とか祖先のために、たとえささやかなものでも、今こそ書き残しておきたいものだと、造船業を愛し、故郷を愛する人々が、たちあがったわけである。

昭和五十八年九月岸本造船社長吉田益造氏と収入役西田巧氏、吏員藤原氏の三人が東野町文化センターにおいてになり、「大崎上島の造船史」の執筆の依頼を受けた。

木江町には、熱心な郷土史家であり、長年元助役を勤められていた小川吾一氏もおられことだし、大崎町には、先に「大崎町史」を発行された、笹岡栄先生もおられることだから、一応お断りした。

しかし、お二人とも老齢のことだし、無理がいえないから、是非お願いしたいとのことであった。

西田収入役とは、特に南小時代の因縁があるので、はっきりとお断りもできず、それでは二年間ほど全力を注いでみることにしたものの、具体的事項になると他町村のことはわからないことが多かった。

故に不備の点も多いことであろうが、誰人にも満足いくものを書くことは、無理なことで、足りないところや誤りがあればお許しをいただきたい。

幸いなことには、日頃尊敬している日本の船の権威者石井謙治先生著の「図説和船史話」に恵まれたので、早速先生にお願いし、この本によって「和船史の変遷」をかかさせていただくことにした。

また、本書をそうするにあたり、沢山の人々のご教示に預かった。

とくに、岸本造船社長吉田益造氏、木江町収入役西田巧氏はもちろんのこと、写真は、木江町役場の池田稔係長にご足労をお願いした。

その他元海運局勤務の藤本氏には、その後の造船海運史を調査し資料を沢山提供していただいた。

また県議末田隆氏、町議浜田明利氏等格別のご援助、ご協力を賜り心から御礼を申しあげる次第である。

最後に、詳しいことは遠慮するが、造船界の不況で思わぬ事件が勃発し、もう足かせ五年間になる。

一つの仕事を成し遂げることが、如何にむずかしいものであるかをお察しいただきたい。

桜咲く生野島にて

福本先生より


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


ふるさと発スペシャル「あいたい ~照英、芸予の島々へ~」ロケ

ふるさと発スペシャル「あいたい ~照英、芸予の島々へ~」のロケに、

照英さんがやってきます。


ロケ日時:10月12日(火)15:00~21:00
 予備日:10月13日(水)

ロケ場所:大崎上島町木江港周辺


照英さんといえば、目の前の大三島で撮影された、

「船を降りたら彼女の島」に登場していました。

結構、つながりがあるんですね。


ただ、平日の撮影なので、残念!


島から、若者が、多数 参加してくれます。


夜の撮影は、気温が下がるので、体調管理に注意してください。


番組名:ふるさと発スペシャル「あいたい ~照英、芸予の島々へ~」(仮)

放送日時:11月12日(金) 夜8:00~8:45
放送地域:中国地方 (場合によっては全国放送有り)
放送内容:伝統を受け継ぐ舟文化として櫂伝馬の操船術を紹介。

     照英チーム vs 大崎上島チームのガチンコ櫂伝馬競漕。



 ★彡:・:☆彡:・:★彡:・:☆彡:・:★彡:・:☆彡:・:★彡:・:☆彡:


2度目の挑戦ですが、

この番組が、必ず全国放送できるよう、ご祈念いたします!


 ★彡:・:☆彡:・:★彡:・:☆彡:・:★彡:・:☆彡:・:★彡:・:☆彡:


それと、お願いがあります。

番組の中で、

是非 木江の古い町並みも撮影をお願いできればと思います。

雑誌「島へ。」も紹介されているように、

この町にある木造建築は、珍しものが多く、

全国的にみても貴重な物が現存しています。

文化保存の点からも、なんとか対処ができればいいのですが、

借家が多く、家主の所有権や管理費の問題・確認作業が煩わしい等---

木造建築物は、メンテランスは当然として

壊すのも、お金がかかることから、---


結局は、手つかずのまま、

時間の経過とともに、「自然倒壊」となっています。


与えられた時間は、あまり残っていません。

港町と、船大工がつくった珍しい建築物は、

是非 絵として差し込んでいただければと思います。







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