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大崎上島と大三島の関係

大崎上島町外表の獅子舞

黄旗組さんの動画のサイトから、




大崎上島町外表の獅子舞は、愛媛県大三島明日(あけび)より、昭和3年に伝授されたそうです。
平成20年の獅子舞には、明日より来島され、本家の獅子舞を舞ってくれました。





本家の、大山祇神社産須奈大祭



愛媛県今治市波方町樋口の潮早神社の獅子舞



大三島の獅子舞も、サルが神様として登場するそうです。
サルが神様なのは、インド方面が中心であり、
獅子舞と東南アジアの文化の起源を調べると、面白いと思います。

こうした、貴重な動画が、ネットにあるのは、大変便利な時代です。

列記して、比較動画をサイトに載せられるなんて、実は革新的なことをしているんですよね。




おまけ

大山祇神社抜穂祭 一人相撲



相撲の起源を探る歴史の本、番組で、大山祇神社抜穂祭 一人相撲はよく取りあげられます。



大きな地図で見る
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大三島について

鶴姫まつりに関して、

櫂伝馬の話題が出たので、調べてみた。

宗方で行われていた宮島17夜祭りも、櫂伝馬を使った行事だったそうだが、

(「赤」「青」「桃」の船で競漕していたとのこと)

継続できないところまで追い込まれた。

そこで、模様替えをして、現在の鶴姫まつりのプログラムの一部になった。

大三島は、多々羅大橋が、平成11年に開通して、本州と陸続きとなった。

交通の便で言えば、橋の架からない大崎上島より遙かに、観光資源も十分あり

うらやましい場所に違いないのだが、

平成17年には今治市に吸収されるなど、以前のような独立した自治体ではなくなった。



モータリゼーションが発達しても、

結局は、求心力のある都会に移動する

いわゆるストロー現象がここでもおきることとなった。

便利になることが、地域の特効薬にはならないことを知ることになる。

少子化の代償は、若者の雇用も奪い、

地域存続の保水力として人口諸々の維持もできなくなる。


よく定説のように言われる、

「若者は都会が好きだから田舎から出て行く」

では、なく

「出ざる得ない状況に追いやられた」

このことがほぼ真実に近いと思う。


それでも、最初のうちは、

地縁があり、

故郷と人的関係が維持できるだろうが、

やがて、整理しなければいけない時が、迎えにくる。


決別の時は、無産階級になれば必然のことなのだ。



多くの島に住む人にとって、この時間は限られているし、

町興しをするのであれば、

とるべき行動、正しい処置をしておかなければ、

共有の財産さえも、最後にはなくなってしまうだろう。



櫂伝馬に関して、

数は少ないけれど、メールの内容で共通の想いは、

「櫂伝馬をとおして故郷を再認識できた」

ということだ。

両親も親戚もいなくなり、

地域との縁もきれたが、

櫂伝馬の映像をみて心を打たれた人が多かった。



やはり地域を守るのは、

責任ある人(献身的精神・犠牲的精神の持ち主)がどれだけ地域にいるかにかかわってくる。



鶴姫祭りの櫂伝馬の大三島の取組

櫂伝馬の和を拡げようとする大崎衆の取組


決して、表には出ることはないけれど、

どこの地域にも負けない

立派な町興し、島興しだと思う。


縦割り行政の染みついた行政では民間が、

県ごしに交流するなど、

できない発想だろう。

でも、大崎上島と大三島は交流が古くからあるため、

こういったことも地域住民にとっては、普通のことである。

地域の恵みというよりほかはない。



このような取組があって初めて

中山間地区の町は、生きながらえることができる



多くの皆さんが

「応援します!」

とエールを頂いている。


見えない第三者にボールを投げることは、

リスクのあることだけど、

徐々に、

ボールがかえってくる。



地域存続、櫂伝馬競漕を守ろうとする意思が、

形になって、後継者もたくさん、でてくることを期待したい。



山は登らなければ、

その先は見えてこない。



しかし、この先 

どうなるんじゃろ!

誰も、わからん。

宗方の厳島神社例大祭

今回の鶴姫祭りのことで、

大三島のことを色々と調べてみた。


まずはじめに、

宗方の厳島神社があることさえもしらなった。

今回、地元の女性の方に教えて頂いたことがきっかけだけれど、

本来、大山祗神社と、厳島神社は、

神様は別であり、

いにしえより、神社は、権力の象徴であり信仰の対象でもあった。

特に権力者は、自分達の力を保持するため、

神社を管理しようとするのは、常道であり、

大山祗神社の神社などは、歴史が古いから

大崎上島にも、大崎下島、豊島にも、たくさんある。

昔、私がホームページで、書いていた内容を知っている人は思い出してくれるかもしれませんが、

広島在住の宮島の研究家
(歴史を掘り起こしていると、権威のある人達に煙たがれる恐れがあるため、名前は伏せて欲しいとの要望あり)
が、木江厳島神社と、大山祗神社の位置関係は意図的ではないか指摘された内容のことだ。


私の頭には、総本山である大山祗神社のある大三島に、厳島神社、17夜祭りが
あったなど、青天の霹靂だった。


このことは、

なぜ、木江に厳島神社があるのか?疑問の答えに一歩近づいた。


大山祗神社は、平安時代には朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されている。

平清盛が厳島神社を造営したのが、平安時代末期 仁安3年(1168年)ごろ

木江の厳島神社も現在の宮島の分社だけで、片付けることはできない。



宗方と宗像氏の地理的因果関係もあり




もっと、決定的な因果関係があるに違いない!



正直、誰か、整合性ある史実を説明して頂ける方いませんか?







大きな地図で見る

地図をみれば、いかにもという場所にあります。
海上交通の要所であり、
大山祗神社の本殿にも微妙な距離。

ここに置かなければ、どこに置くのいう絶妙の場所です。


その後、どんな形で整合性をもって落ち着いていったのかも、興味あり。

宗方の沖にある2つの島も地元の人にきけば、海上交通を願う神事で過去に使われていたそうです。

合わせて宗方の櫂伝馬のことを書かれているサイトを調べました。

昔、大三島の歴史研究家の本(非売品で冊数も、二冊程度)を
ネットで一部、公開しようと思いました。

結局、当然というか、そこまでには至りませんでしたが、

現代でいうパワースポットが近くに、あり、歴史の研究もしっかりできる

大崎上島周辺は素晴らしい場所です。



大山祗神社

瀬戸内海の大三島に位置する神社。所在地は愛媛県今治市大三島町宮浦。大山積神を祭神とし、全国の山祇神社、三島神社の総本社である。

厳島神社

広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社である。1400年の歴史をもち、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社である。

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