櫂伝馬の話題が出たので、調べてみた。
宗方で行われていた宮島17夜祭りも、櫂伝馬を使った行事だったそうだが、
(「赤」「青」「桃」の船で競漕していたとのこと)
継続できないところまで追い込まれた。
そこで、模様替えをして、現在の鶴姫まつりのプログラムの一部になった。
大三島は、多々羅大橋が、平成11年に開通して、本州と陸続きとなった。
交通の便で言えば、橋の架からない大崎上島より遙かに、観光資源も十分あり
うらやましい場所に違いないのだが、
平成17年には今治市に吸収されるなど、以前のような独立した自治体ではなくなった。
モータリゼーションが発達しても、
結局は、求心力のある都会に移動する
いわゆるストロー現象がここでもおきることとなった。
便利になることが、地域の特効薬にはならないことを知ることになる。
少子化の代償は、若者の雇用も奪い、
地域存続の保水力として人口諸々の維持もできなくなる。
よく定説のように言われる、
「若者は都会が好きだから田舎から出て行く」
では、なく
「出ざる得ない状況に追いやられた」
このことがほぼ真実に近いと思う。
それでも、最初のうちは、
地縁があり、
故郷と人的関係が維持できるだろうが、
やがて、整理しなければいけない時が、迎えにくる。
決別の時は、無産階級になれば必然のことなのだ。
多くの島に住む人にとって、この時間は限られているし、
町興しをするのであれば、
とるべき行動、正しい処置をしておかなければ、
共有の財産さえも、最後にはなくなってしまうだろう。
櫂伝馬に関して、
数は少ないけれど、メールの内容で共通の想いは、
「櫂伝馬をとおして故郷を再認識できた」
ということだ。
両親も親戚もいなくなり、
地域との縁もきれたが、
櫂伝馬の映像をみて心を打たれた人が多かった。
やはり地域を守るのは、
責任ある人(献身的精神・犠牲的精神の持ち主)がどれだけ地域にいるかにかかわってくる。
鶴姫祭りの櫂伝馬の大三島の取組
櫂伝馬の和を拡げようとする大崎衆の取組
決して、表には出ることはないけれど、
どこの地域にも負けない
立派な町興し、島興しだと思う。
縦割り行政の染みついた行政では民間が、
県ごしに交流するなど、
できない発想だろう。
でも、大崎上島と大三島は交流が古くからあるため、
こういったことも地域住民にとっては、普通のことである。
地域の恵みというよりほかはない。
このような取組があって初めて
中山間地区の町は、生きながらえることができる
多くの皆さんが
「応援します!」
とエールを頂いている。
見えない第三者にボールを投げることは、
リスクのあることだけど、
徐々に、
ボールがかえってくる。
地域存続、櫂伝馬競漕を守ろうとする意思が、
形になって、後継者もたくさん、でてくることを期待したい。
山は登らなければ、
その先は見えてこない。
しかし、この先
どうなるんじゃろ!
誰も、わからん。
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