大三島のことを色々と調べてみた。
まずはじめに、
宗方の厳島神社があることさえもしらなった。
今回、地元の女性の方に教えて頂いたことがきっかけだけれど、
本来、大山祗神社と、厳島神社は、
神様は別であり、
いにしえより、神社は、権力の象徴であり信仰の対象でもあった。
特に権力者は、自分達の力を保持するため、
神社を管理しようとするのは、常道であり、
大山祗神社の神社などは、歴史が古いから
大崎上島にも、大崎下島、豊島にも、たくさんある。
昔、私がホームページで、書いていた内容を知っている人は思い出してくれるかもしれませんが、
広島在住の宮島の研究家
(歴史を掘り起こしていると、権威のある人達に煙たがれる恐れがあるため、名前は伏せて欲しいとの要望あり)
が、木江厳島神社と、大山祗神社の位置関係は意図的ではないか指摘された内容のことだ。
私の頭には、総本山である大山祗神社のある大三島に、厳島神社、17夜祭りが
あったなど、青天の霹靂だった。
このことは、
なぜ、木江に厳島神社があるのか?疑問の答えに一歩近づいた。
大山祗神社は、平安時代には朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されている。
平清盛が厳島神社を造営したのが、平安時代末期 仁安3年(1168年)ごろ
木江の厳島神社も現在の宮島の分社だけで、片付けることはできない。
宗方と宗像氏の地理的因果関係もあり
もっと、決定的な因果関係があるに違いない!
正直、誰か、整合性ある史実を説明して頂ける方いませんか?
大きな地図で見る
地図をみれば、いかにもという場所にあります。
海上交通の要所であり、
大山祗神社の本殿にも微妙な距離。
ここに置かなければ、どこに置くのいう絶妙の場所です。
その後、どんな形で整合性をもって落ち着いていったのかも、興味あり。
宗方の沖にある2つの島も地元の人にきけば、海上交通を願う神事で過去に使われていたそうです。
合わせて宗方の櫂伝馬のことを書かれているサイトを調べました。
昔、大三島の歴史研究家の本(非売品で冊数も、二冊程度)を
ネットで一部、公開しようと思いました。
結局、当然というか、そこまでには至りませんでしたが、
現代でいうパワースポットが近くに、あり、歴史の研究もしっかりできる
大崎上島周辺は素晴らしい場所です。
大山祗神社
瀬戸内海の大三島に位置する神社。所在地は愛媛県今治市大三島町宮浦。大山積神を祭神とし、全国の山祇神社、三島神社の総本社である。
厳島神社
広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社である。1400年の歴史をもち、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社である。
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