歴史の項目を修正しました。
この島はかって船釘、まきはだも、全国有数の産地でした。
鉄鋼船にかわり、またグラスファイバーにとってかわった今では、
昔ばなしです。
http://waqwaq500.blog.shinobi.jp/Entry/19/
明石のまきはだ、船釘について
神戸港・船の大工展の紹介
祭りに関しては、櫂伝馬は、
木江の宮島系
東野の住吉系
と大変ユニークな神社仏閣と関連づけされて由緒ある祭りが存続しています。
昨年は、大崎上島地域協議会なるものが結成され、
事業の一つである海の歴史及び櫂伝馬関連現地調査が行われたと公報にありました。
鳥羽市の海の博物館を始め和歌山県の熊野速玉神社、古座神社、水門神社、大阪の住吉大社等櫂伝馬ゆかりの場を巡り、説明を聞いたり資料を求めたりしました。
となっておりますが、元々、この島にあった船に関する資料を鳥羽市「海の博物館」に寄贈したことが発端であり、大崎上島の櫂伝馬と人的関係はともかく、歴史的関係は全くありません。
また、結びに
大崎上島の櫂伝馬競漕は国内のみならず世界にも誇れる文化ですよとの言葉に、一同心を強くしました。
とありますが、資料を提供している側の立場が、資料を頂いている立場の人に励まされるのはちょっと滑稽だと思います。
和船の時代背景・流れを見ていると、視察する場所が適切だったのかどうかわかりません。
もともと、江戸時代から和船建造の技術は、機密性が高く、後の建造・資料集めに大変な苦労が伴っています。
船の建造など、江戸時代では、過去瀬戸内の海賊に痛い目にあった反省もあり、許可がおりませんでした。
島の文化を考えると、どのような理由で櫂伝馬競争が残ったのか?
そういったことからテーマを掘り下げてもいいでしょう。
また、東野櫂伝馬では、
商船高等学校の成り立ち、望月啓介(大望月邸)から切り出すことも、
木江では宮島と関連して瀬戸内海文化を結びつけることも可能です。
ただ、過疎が進展し継続できるかどうかの瀬戸際ですので、文化アピールとして、
今回の取組は大変期待しています。
ほんとに、残念と思うのは、この島には歴史に堪能な優秀な学芸委員の方がいらしゃるのに、なぜか全面にでて舵取りができないことです。
文化を正しく伝えるとは、しっかりと史実をもとに、伝えることだと思います。
この時代に現存できている、島の海洋文化は、日本の中でも貴重なものです。
しっかりと、自信をもってアピールできる文化に他なりません。
私が、ネットをはじめた十数年前、初めて島内関連の人とメール交換した人は、
三原出身の木江工業高校出身の、大阪在住の造船マンのお二人でした。
定年にあたり、色々なことを訪ねられました。
その中に櫂伝馬のこともありました。
やはり、この島の、船に関しては、ものすごい多くの人達の魂がのっかっているのだと思います。
つまり櫂伝馬とは、
単なる祭りではなく、
あれは、神事なのだと、思います。
いままで積み上げてきた人の歴史が、凝縮されている象徴が櫂伝馬なのでしょう。
瀬戸内海というくくりでいけば、
違う区域の人達でも、櫂伝馬に対する思いは、かなりあると思います。
それは、形の上ではイベントでも中身は、純粋な精神が宿っているからだと思います。
少なくとも、文化保存として、
木造船を含め船舶の建造技術、櫂伝馬の文化保存、各施設の利用頻度の向上
島の文化のアピールなど、
お金をかける場所、
お金をかけなくても可能なこと
こういったことを町民とキャッチボールしながら、作り上げることが可能なら素晴らしい町になると思います。
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