木江には、古くて貴重な三階建の旅館が、以前はありました。
場所は、天満港のすぐとなり。
水上花火を眼前にみることのできる最高の場所です。
大きな石垣を縁側に敷き詰めた立派な風貌の高級旅館でした。
実は、この旅館に足を運んだことはないけれど、
海から見える風景を考慮した、最高の建築物の一つだったことは、頭の中で想像できます。
記憶が定かではないけれど、昭和四十年後半?もしくは、五十年前半頃?に、
この旅館を解体する時がきました。
大きなブルドーザーが、大きな庭石を壊している光景に出くわしました。
決して、痛んでいない手の行き届いた綺麗な旅館なのに、
「どうして?」と疑問に感じました。
こんな立派な旅館が、解体されていく風景は忍びないです。
下着姿のおじさん(おそらく所有者の方)の、複雑な表情が今でも忘れられません。
木江の名物の一つが時代の波とともに、消え去った瞬間でした。
三十年以上前の当時の記憶が頭に残っています。
おじさんにとっても、私にとっても、共有の宝物でした。
この写真も、木造船と学生さん?の記念写真なのだが、解説を写すのをわすれていたので詳細は不明です。
ドッグがない時代だから、手動ウインチで船を沖からあげて修理をしていたと思います。
ということは、昭和三十年前ではないかと推測します。
リンクをはって頂いている松浦造船所ではないと思います、が、どうなのでしょうか?
造船マンのせがれでない私が、船のことをある程度理解できるのは、制作過程を目の前でみていたからです。
特に面白かったのが、材木を曲げるバナーの炎を使った作業です。
材料である木造の仕入れ業者もあり、関連資料もあります。
許可が下りれば是非載せたいなと思います。
造船の町で育った人間は、船のことが、多少なりとも身に染みついています。
造船の盛んな時代は、木江造船高等学校に、近隣の島々、造船所の息子が遠慮はるばる明日の船を夢見て通っていました。
夢の語らいはネタが尽きません。
今でも残っている貴重な建物も、有効活用を考えようと利用申請しても、消防条例など制限がかかり、使えないそうです。
果たしてそれは正しい判断なのでしょうか?
風化する前に利用を許可する英断が必要だと思います。
もし、その建物に昇って窓を開けたとき、
今まで見たことのない海の風景が目の前に飛び込んでくるかもしれません。
船大工の作った家
当時の棟梁との会話が時を超えてできるかもしれませんね。
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