お母さーん、幼虫おったよ」。見渡す限りの畑に男の子の元気な声が響いた。庄原市川北町の主婦八谷るり子さん(40)に、長男の光君(4)は泥だらけの手で虫を差し出すと、誇らしげな笑顔を見せて再び土を掘り始めた。
自宅近くの畑は、光君と次男の春輝君(2)にとって格好の遊び場だ。草むしりなどの農作業を手伝い、収穫を終えた秋は土いじり。白銀の世界に変わる冬は、親子の足跡が道になる。
「自然に囲まれ、のびのび成長してくれたら」。広島市西区から移り住んで7年目。自身の幼い頃と全く違う環境にいる息子を見つめ、八谷さんはそう感じている。
林業を継いだ夫(40)の実家で暮らし始めた頃、戸惑うことばかりだった。五右衛門風呂や暖炉が残り、近くにコンビニエンスストアはなく、最も近いスーパーでも車で10分以上。住宅街で育った身に、農村生活は「抵抗感しかなかった」という。
光君が就学年齢に近づくにつれ、「十分な教育を受けさせてあげられるのか」と不安になった。特に昨年4月、一足先に小学生になった広島市のめいがバレエを習い、水泳も始めたと聞くとうらやましく、焦りが募った。
それから1年近く。息子の姿に気持ちが揺れた。夜中に庭をうろつく影に気付き、窓を開けれは「あ、キツネだ」「猿がいたよ」とはしゃぐ。祖父がまきを割ると小さな体で運び、野山を駆け回ってカブトムシやクワガタを捕まえ、落ち葉で焼き芋を楽しむ。
小説かテレビドラマの世界みたい――。改めて見つめた目の前の現実は夢のようだった。「都会では絶対に経験できない。自然があふれた生活は、子どもたちにとって何ものにも代え難いし、得るものも多い」。うらやましいという気持ちは薄らいでいった。
瀬戸内海に浮かぶ離島の大崎上島町。「福井さんとこの子か」。釣りざおを手に歩いていた小学4年福井達也君(10)が、男性に声をかけられて足を止めた。顔に覚えはない。「これ持って行き」と魚を手渡された。
「私の両親の知り合いだったみたい」。母、純子さん(36)が笑った。「けれど、そんなのはこの島では当たり前。大人も子どもも年齢に関係なく、どこかでつながっている」
純子さんも島で生まれ育ち、会社員の夫(34)と結婚。4人の子どもに恵まれた今も、「育児をするにはここが一番。島を出ようなんて考えたこともない」と語る。
達也君が通う小学校は1学年1クラスで、級友は約30人。授業で農家の人の話を聞き、お年寄りからゲートボールや茶道を教わる。「都会は物には恵まれているかもしれないけど、島ほど濃密な人間関係は築けないはず。子どもたちにはそれが宝物」と強調する。
八谷さんは現在、「庄原の小児医療を考えるひだまりの会」というグループの代表を務める。幼い子どもがいる親を集め、医師や看護師らを招いて病気の対処法などを学んでいる。
「足りない物を挙げればきりがない。この街で子どもを育てるため、自分たちでできることは、自分たちでやっていかないと」。自然とともにわが子を見守ると誓う。
(2011年1月10日 読売新聞)
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