この施設ができた過去の経緯は、
色々なところで書いてきたので、(望月圭介のお化けの話も含め)今回は止めておきます。
貴重な写真もありますので、是非 確認にいって欲しいと思います。
池田(父親か?)、宮沢喜一のおとうさん宮澤裕、そして、望月圭介と一同がそろった写真もあります。
つまり少し乱暴な言い方かもしれませんが、
宏池会の前進がここに既にあった訳です。
でも、皮肉ですよね。
呉線を開通させたり(大久ノ島の毒ガス工場誘致など負の遺産もあるけれど)、功労者ですけど、物流の主流が海から陸に変わることにより、
家業の廻船問屋が廃れることになりました。
昔の政治家は穀潰しと言われ、
破産するのも当たり前の時代だったそうですから、今の政治家と較べ価値観がまったく違っていたと思います。
望月圭介大臣のこの実家も 抵当にだされ、人手に渡り、
小学生時代に見学に行ったときには、ボロボロの状態でした。
幸い、大金ですが、町が管理保存する方向で動いたお陰で、この島の文化がどうにかして、保護ができた状態でした。
異論反論はあるでしょうけれど、
私は英断だったと未だに思っています。
毎年ですが、どれぐらい人がこの資料館にこられているのかわかりませんが、
私が訪れる時は、必ず複数の人がおいでになられています。
いつも、学芸員さんにお願いしているのは、
「こんなに、立派な資料館、もっと活用してもらわないともったいないですね。」
「立派な資料を作られてそれが、外部にアピールできないのは、非常に残念ですよ。」
「島の他にある資料館、木江ふれあい郷土資料館と体系的に、連携してみてはどうか」
などなどです。
今回も、
「大崎上島 文化財・史跡名勝マップ」
なるものを頂きました。
郷土史研究会が編集され、平成20年に再販として出されています。
よく調べられています。
こういう素晴らしい作業をされておきならが、
アピール出来ないのは、もったいないと思います。
こういった素晴らしい資料は、
GoogleMapを使って、ネット上で公開してもいいのでは と思います。
もっと顔の見える共同作業をみせて頂けると、
もっと活性化すると思います。
大望月邸は、この島の文化灯台の役割を果たさなければいけない資料館です。
私にとって郷土の誇りであり、
櫂伝馬同様、大崎上島ではなくてはならない存在です。
参考
明石のまきはだ、船釘について
機帆船のできるまでの流れ
大望月邸ギャラリー企画展
大崎上島と種田 山頭火
草木塔 種田山頭火
旅日記
瀬戸内の宝島、大崎上島
PR