大望月邸では、2月21日から長屋門ギャラリーで、企画展「足利浄圓(あしかがじょうえん)師と生野島・そして迦洞無坪(かとうむへい)氏」を開催しています。
かつて、生野島に農と法悦の理想郷を求めて入植、先の戦争で挫折するまで、その崇高な理想・理念と実践で多くの人々を引き寄せた僧侶足利浄圓師の人となりと足跡をたどります。
また、俳人の種田山頭火が一度ならず訪れ滞在した「阿伊庵」の陶芸家迦洞無坪氏の作品を写真で紹介しています。
展示期間 平成22年5月9日(日曜日)まで
足利浄圓師と生野島・そして迦洞無坪氏
学徳高き「足利浄圓師」の人なりと足跡について、島内ではあまり知られていない。
浄圓師は法悦溢れる理想郷を生野島に求めて「念仏道場・新しき村」づくりにかかり、その土台を築きつつあるとき、太平洋戦争が始まり、そして悲惨な敗戦という未曾有の事態に遭遇。理想郷・新しき村づくりの中止の止むなきに至ったのではないかと思われる。
また、戦後の国・県の農業振興政策のもとに進められた生野島の開拓事業も将来を勘案した計画ではなく、場当たり的な柑橘類栽培の奨励であったため、全国的な生産過剰と重なり、価格の暴落で将来の生活に見通しが立たず離島者や荒廃園が続出した。
秋には全島色づくミカンの収穫を夢見て、額に汗して開墾植栽した柑橘園地の大半が今では元の山野に戻っている。そして今も残る島の柑橘園は旧態依然とした段々畑であり、高齢化と後継者不足がさらに荒廃園化に拍車をかけているのが現状である。
足利浄圓師の理想に共鳴し、行動を共にした多士済々の方々は、生野島の「念仏道場・新しき村」の実現を夢見て来島したが、予期せぬ戦争・敗戦という情勢の中で翻弄され、理想郷「新しき村」は夢となって消えて行った。
異色のある意味での国宝的陶芸家「迦洞無坪氏」もその一人であった。生野島での無坪氏は住居を「阿伊庵」と称し、土地を耕作しながら作陶生活を送っていた。
その晩年は好んで聖徳太子像をはじめ、観音像・菩薩像など、素焼きの多くの仏像を制作している。当大崎上島の各寺院にも安置されているが、あまり知られていないので、ここに写真を展示している。
○ 島 内・・・正光坊・興昭寺・浄泉寺・圓妙寺
○ 他市町・・・長善寺・徳善寺
○ 他・・・・・当資料館(蔵2 階展示コーナー) 豊町・下梶憲氏
人脈は海を越え、迦洞無坪氏から種田山頭火へ、そして正光坊に更に世界的な版画家「秋山巌氏」につながっていった。
海と島の歴史資料館・大崎上島町教育委員会
以上案内抜粋
実は、生野島には、私は行ったことが一度もない。
実際、一度は訪れてみたいと思っている。
生野島には、同姓の方もおられるし、ネットで偶然ヒットしたのだが、恩師である福本性が今も存在しているみたいである。
まさか、現在も生きられていたら、何歳になるか想像できないが、末裔の方かも知れないがあって話を聞いてみたい。
色々なドラマがある島である。
文化・人間ドラマを考えると、非常に興味のある場所である。
旧東野町の有志の方が文化保存で、尽力されているそうだ。
この島で残念なことは、島という大きな視点でこういった文化遺産に対してアプローチされる方がネットではほとんどいないということだ。
お金のなる木には、自然と人が集まるが、そうでないと我関せずでは、度量が狭いとしか思えない。
どちらにしても、大望月邸が文化灯台として、島の情報発信になっていただければと思う。
大望月邸に関しては、昔のサイトで載せていた記事をあげてみたいと思います。
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