被爆瓦礫の問題も、写真の中でたくさん写っている。
被災者の方の仮設住宅もずいぶん離れた場所にあり、足を入れようとしたが、真理的プレッシャーでできなかったそうだ。
一瞬にして、財産も身内も津波で流され何もかもなくなった人たち対して接する勇気がもてなかったそうだ。
学校の先生と会って話をしたそうだが、死体の山が散乱している中、それを見た子供たちの心が将来どう影響するか心配されていたそうだ。
もっとも、管理国家日本では死体を目にする機会はなくなり、生というテーマを捉える機会が極端に減った社会で育った先生方のほうが、トラウマになっているのではないかとかんぐってみた。
被災地にあった残骸は撤去されたが、移動すれば、巨大な山済みになった未処分の瓦礫の山とすぐ出会う。
大阪では橋本さんが、引き取る方向で動いているが、環境汚染のことを考えると、反対に動いている人も多い。
舞洲に高度処理が可能な施設があるため引き取るのだろうが、検査体制も未整備で問題が山積している。
福島原発問題も報道されなくなったが、いまだに放射能は漏れ続けている。
政府の管理体制で対応できないので、あくまで自己責任で食べ物も考えないと。
甲状腺ガンや健康被害の問題も出てくるころ
事故当初と、最近のメディアの報道姿勢も変わってきた
もう隠せる段階ではなくなった
読書
前回、ブログで風俗史の一部として、興味本位でしか、おちょろや色街を捉えていない男性が多いとのコメントを書いたが、調べるとなかなか本がない。府立図書館など、蔵書の多い大型図書館でないと調べることができない。
売春防止法にしてもそうだけど、ネットでも成立背景などあまり詳しく書いていない。
風俗産業の成り立ちなど非常に身近な事例だが、男性の視点での歴史的解釈しかないので、非常に残念
しかも、しっかりと産業として巨大マーケットを抱え、その主役が人身売買を前提とした売春なのだから、たちが悪い。
性の目的が男性なら一夜の快楽でいいかもしれないが、女性の側は、命がけ
避妊技術を含め、非人道的アパルトヘイトにも似た地獄絵図が日本にたくさんあったことを考えると、証拠隠滅は徹底していたのだろう。
男女平等を日本国憲法は謳っているが、養育の問題、賃金の問題、離婚など女性の負担は大変なのが実情で、社会的弱者としていまだになにもかわってないと思わざる得ない。
女性が書いた日本史があってもいい筈で、近代の労働運動を含め勉強せなあかんことが多いなと思う。
日本の夜明けはまだまだ先だ。
私のブログは小説とか過去の書物とか紹介することが多いけれど、しっかり調べて打ち止めしとかないといかんな~と思います。
子供じゃないだから。
色々と
考えることが多い一週間でした。
しかし、住宅・マンションなど供給過剰で暴落しているにもかかわらず、ローンで購入する人が多いこと
将来の見通しがたたない経済環境なのに、「なんとかなるさ」的気軽だが日本人の特徴なのだろうか。
住宅販売会社の元重役にいわせると、「破綻は時間の問題」とのこと
よくみれば、お金の問題は、離婚による家族の破壊、自殺などを引き起こし周辺にそんな人はたくさんいる
戦後の日本の民主主義の流れは、大家族から核家族化、そしてそれから先の個人に帰着しようとしている。
果たしてそれが正しかったのか?
時代は時として反転するのが運命で、その中で右往左往して行き場を失う人が実に多い
だから、周囲の人に資本主義のシステムは人を幸福にするものではない。
日本の社会システムもそのひとつ
破綻と再生の繰り返し
逆に社会に妄信せず、個人(家庭、家などを含む)の幸せを考え実践するのも生きる手段として有効だ。
社会が破綻すると、国家はネズミ講に近い存在になるのは、これも原理のひとつ
だまし討ちなどは当たり前だから、
と訴えたりもしている。
過ちを少なくする生き方は大切なことだ。
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