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昔の繁栄が懐かしい大崎上島の備忘録です。
大崎上島で「ミョウガ」出荷
広島県大崎上島町でビニールハウス栽培のミョウガの出荷が始まった。6、7月をピークに10月上旬まで続き、約4トンの出荷を見込む。
ミョウガは主に薬味に使われ、8月ごろ広く出回る。同町中野のJA広島ゆたか上島選果場では、2~3個入り計50グラムをパックに詰める作業が進む。広島市中央卸売市場(西区)に送られ、同市内のスーパーなどで販売される。
島でただ1人、ハウス栽培している成定裕司さん(36)=中野=が10アールの4棟で光の当て具合と温度を調節し、鮮やかなピンクに育てた。「値段の変動が少なく温暖な気候を生かせる」と5年前から手掛けている。
全国シェアの大半はハウス栽培の高知県産が占める。成定さんは「収穫量を増やし、年間を通じて栽培できるようにしたい」と意気込む。
【写真説明】ビニールハウスでミョウガを収穫する成定さん
東日本大震災の衝撃が続く中、統一地方選はきのう後半戦が投開票され、一連の日程を終えた。
中国地方では前半戦と合わせ、首長は2知事と7市町村長、議員は5県すべてと21市町村が改選されたことになる。
平成の大合併や長引く不況で自治体の疲弊が目立ったこの4年間。喫緊の課題といえる地域再生と並んで、災害対策も争点に浮上した。ただ盛り上がりに欠けた印象は拭えない。
全国を見渡せば民主党が推す候補の敗北が相次ぎ、党勢の退潮が浮き彫りになった。政権基盤の弱体化は避けられまい。看板としてきた地域主権改革の行方にも黄信号がともったといえよう。
「3・11」は自治の役割もあらためて問い直している。選ばれた首長や議員たちの責任は重い。
中国5県では後半戦に25の選挙が実施された。
注目されたのが前市長の辞職を受けた三次市長選。路線継承を掲げる前副市長の新人が市政刷新を唱える元市長に競り勝った。
尾道市長選も現職が強みを発揮。一方、前回と同じ顔ぶれの周南市長選は新人が現職を破った。
山口県平生町議選では、隣の上関町に建設が予定される上関原発の是非が争点の一つになった。
今回身近な防災の充実を訴える候補が多かったのは当然だろう。気になるのは投票率が前回より下がったところが目立つことだ。
大津波の被害や福島第1原発の事故の様子が連日伝えられる。選挙ムードが盛り上がらず、投票所に足を運ぶ気分になれなかった有権者もいるに違いない。県議選や広島市長選などの前半戦でも低投票率は顕著だった。
とはいえ震災だけが原因ではあるまい。地方政治の「元気のなさ」も背景にあるのではないか。
その象徴が無投票当選の増加だろう。中国5県で県議全体の4分の1に当たる計65人が無投票だった。4年前の3倍近くに膨れ上がっている。
島根県議選の松江市選挙区もその一つだ。「県都」では前代未聞だろう。島根原発を抱えるだけに選挙戦を通じて論じ合うテーマは山積みだったはずである。
後半戦も広島県大崎上島町長選など三つが無投票だった。首長や議員に魅力を感じない雰囲気があるとすれば見過ごせない。若い人が減り、活力が失われつつあることと無縁ではなかろう。
4年に1回の統一選は戦後間もない1947年に始まった。地方自治制度の周知を図ると同時に、経費節減の意味合いも大きかったとされる。
今回は東北3県で延期となった影響もあり、選挙は全体の4分の1にとどまった。なかでも中国地方の少なさが際立つ。
平成の大合併で市町村数も減っている。あえて前半と後半に分ける必要もないように思える。
原点に戻り、地方選の日程を見直す時期ではなかろうか。足元の「政治離れ」に歯止めをかける手だてを真剣に考えたい。
東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
最初の呼びかけ人・内山 節
日時 2011年(平成23年)4月24日日曜日
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。
また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。
方法 ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。
被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、・・・・方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。
東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。
皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。
私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。
その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。
古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。
この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。
しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。
そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。
そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。
お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。ここからはじめませんか。
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