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生野島にいってきました!その3

人と会っていない不安の中、

生野島 福浦港に、到着です。

時間は、10分程度

福浦港の後ろにある建物は、

旧東野町時代の、アワビの養殖場だそうです。

平成9年まで事業をしていたみたいですね。

バブル時代の負の遺産なのかもしれません。



福浦港について驚いたのは、

海の色!

エメラルドグリーンです。



生まれて初めて

本物のエメラルドグリーンの海を見ました。

今までも、近い物はありましたが、

ここの海を見ると、それが嘘だったのがわかりました。




いや、

凄い、

海面を何度も見ましたが、天然の色です。

藻の色ではありません。


こんな近くに、こんな素晴らしい海があったなんて驚きました。



そして、横には、

足利浄圓師の記念碑です。


これは、公報資料に次のように説明がされています。


浄圓師は法悦溢れる理想郷を生野島に求めて「念仏道場・新しき村」づくりにかかり、その土台を築きつつあるとき、太平洋戦争が始まり、そして悲惨な敗戦という未曾有の事態に遭遇。理想郷・新しき村づくりの中止の止むなきに至ったのではないかと思われる。


足利浄圓師の理想に共鳴し、行動を共にした多士済々の方々は、生野島の「念仏道場・新しき村」の実現を夢見て来島したが、予期せぬ戦争・敗戦という情勢の中で翻弄され、理想郷「新しき村」は夢となって消えて行った。



以上一部抜粋


今回、出来れば、足利浄圓師と生野島の開拓の関係、

そして、陶芸家「迦洞無坪氏」と山頭火の関係など、

地元の人にお会いして、是非、聞きたかったです。


奇しくも同姓の方もいらっしゃるようなので、どうしても知りたかったですね。

住民の方も高齢だと推測します。

自分の目で確かめたかったですね。


続く
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生野島にいってきました!その2

記憶のしっかりしている暖まっている間に、

生野島のことを書いてしまおうと思います。


生野島に行くには、白水港から

町営フェリー「さざなみ」に乗ることになります。

一日に、7便でているみたいです。

気をつけて欲しいのは、

フェリー乗り場で乗客券は販売していません。

直接、さざさみ に乗るときに、船員さんに手渡しとなります。

今回は、9時20分の便を利用しました。


乗船は私一人

しかも、乗船時間も、

普通だと、定刻より少し前、

たとえば、10分前とかに乗船できますが、

ここは違います。

船員さん 総出で、船の掃除をしていました。



民間のように収益を上げるのが目的ではなく

補足農業構造改善事業として、東野町時代に取り組みされたそうです。



正直 なんのことだか、よくわかりません。

人の運搬よりも、農作物の運搬がメインという解釈でいいのでしょうか?



しかし、贅沢です。

私以外、乗客がいないのですから。



中階段を下りると

吹き抜けの乗客席

瀬戸内海のパノラマ画像が見ることができます。



一階の乗客席



そして、2階の乗客席

本当に、

私一人しかいません。

本当に、人と出会うのか?

不安になります。

続く

瀬戸内海は神秘的じゃ!



生野島に行く土曜日の朝

日の出を撮影するため、

天満港にいってきた。

旧木江役場横には、木江厳島神社が鎮座されている。

昔は、おそらく海の道がこの境内にはあったのだろう。

厳島神社の関係は、整理が必要だが、面白いことが実に多い。

また、違う時に書いてみようと思う。



しかし、木江の町はコンパクトだから、

歩いても、天満港まで10分程度しかかからない。

便利な町だ。

天満港から、大三島方面に向けて写真を撮影



雲がおおく生憎の天気だけど、

特別な機能もなくても、

ご覧のような、風景が簡単に撮れる



大三島の前の島は、大横島(通称横島)だ。



天文10年(1,541)三島江の海戦で、

三島水軍と、陶晴賢が戦った戦場だ。



風景を撮ると、

瞬間、瞬間で海の表情が刻々と変わっていく。




まさに、神秘だな。

偶然にも、海の神さんと会うことができて

ラッキーだった。

さあ、いよいよ、生野島だ。

どんな場所か、まったく知らない。

どんな出会いがあるんだろうか?

生野島にいってきました!

8月7日

東野白水港から、生野島に行ってきました。

今回の帰省の目的は、

お盆前の帰省となってしまったため、

東野住吉祭りの櫂伝馬競漕の練習風景を見るため

旅する櫂伝馬

また、

前々から、行ってみたいと思っていた場所

生野島に訪れること

おおまかだけど、

この2つの目的のため帰省しました。



生野島は、

大崎高校時代の同級生、そして、木江小学校時代に非常勤で担任だった

福本清先生の出身です。

木江小学校時代は、

私が、小学校4年の時に、担任をされたと思います。

今から、実に、40年近い昔の話です。昭和47,48年頃でしょうか。

先生の年齢も当時、何歳だったか知りません。

でも、当時もいい歳だったから、もし生きておられたら、

100歳近い年齢となります。



福本先生との思い出は、

生野島から、石器時代の土器や、石のやりとか、持参していただいて

みせて頂いたことがあります。

「生野島に古墳があるということは、昔は陸続きだったのかもしれない」

など色々な思いを巡らしました。

大崎上島に関する資料について

だから、先生のイメージは考古学を趣味でしている、面白い先生のイメージが強かったです。

また、当時、私は、同級生と殴り合いのケンカをして相手の顔はらしてしまったこともあります。

あまりできのいい生徒ではなかったし、どちらかといえば、迷惑をおかけしたことが多かったと思います。

ただ、先生のイメージは、実直な方

へんに教師教師していない、裏表のない方というイメージは、

小学生だった当時から、持っていました。



そんな、できの悪い生徒である私と、福本先生が、再び遭えるきっかけになったのは、

島の歴史の研究をされており、先生が書かれた本があることを、

インターネットをはじめた、1,999年頃から、検索で目にすることが多かったからです。


福本清

この名前と、先生が同一の人で、どんな本を書かれていたのか?

島の歴史の研究とは、どんなものなのか?

凄く興味があり、「生徒と先生」とは、違った形で、

興味をそそるようになりました。

当時は、三町が合併する前に、

インターネットでOCNのサイトに、

「大崎上島に関するページにようこそ」のHPを開設したばかりでした。

資料集めをするのに、どうしても文献が必要となります。

相互リンクで紹介して頂いている、

大崎上島文献目録|島の図書館―離島文献情報サイト

の素晴らしいデータ整理のお陰で、非常に助けて頂きました。

そんなこともあり

生野島にいってみようと思い立った次第です。


続く


医療と地域を考える 大崎上島、7日にリーダー研修

広島県大崎上島町社会福祉協議会は7日午後7時から、安心して暮らせるまちづくりを目指して地域リーダー研修会を大崎産業会館で開く。

三次市国民健康保険甲奴診療所の佐藤友紀医師が「住み慣れた家で暮らし続けられるような町に」と題して講演する。

 研修会は、大崎地区だけにいる福祉委員や全町の高齢者巡回相談員が年1回集う場。

社協は2008年度から住民の支え合いによる小地域福祉活動を続け、町内36地区を一巡する計画だ。

 講演は、医療と地域のあり方を学習し、地域福祉にかかわる立場で安心できるまちづくりを考えるため開く。

中学生櫂伝馬体験学習事業について

商工観光課および大崎上島地域協議会


8月4日(水曜日)午前9時から午後3時30分まで、大崎上島中学校1年生・2年生を対象に、

8月5日(木曜日)午前9時から午後1時まで、中学3年生を対象に、

沖浦漁港におきまして中学生櫂伝馬体験学習を行います。

町民の皆さまのご声援をお願いします。


今年の夏は、炎天下が続きます。

暑いかな、櫂伝馬の体験を通して、何かを発見して頂ければと思います。

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