8月7日
東野白水港から、生野島に行ってきました。
今回の帰省の目的は、
お盆前の帰省となってしまったため、
東野住吉祭りの櫂伝馬競漕の練習風景を見るため
※
旅する櫂伝馬また、
前々から、行ってみたいと思っていた場所
生野島に訪れること
おおまかだけど、
この2つの目的のため帰省しました。
生野島は、
大崎高校時代の同級生、そして、木江小学校時代に非常勤で担任だった
福本清先生の出身です。
木江小学校時代は、
私が、小学校4年の時に、担任をされたと思います。
今から、実に、40年近い昔の話です。昭和47,48年頃でしょうか。
先生の年齢も当時、何歳だったか知りません。
でも、当時もいい歳だったから、もし生きておられたら、
100歳近い年齢となります。
福本先生との思い出は、
生野島から、石器時代の土器や、石のやりとか、持参していただいて
みせて頂いたことがあります。
「生野島に古墳があるということは、昔は陸続きだったのかもしれない」
など色々な思いを巡らしました。
※
大崎上島に関する資料についてだから、先生のイメージは考古学を趣味でしている、面白い先生のイメージが強かったです。
また、当時、私は、同級生と殴り合いのケンカをして相手の顔はらしてしまったこともあります。
あまりできのいい生徒ではなかったし、どちらかといえば、迷惑をおかけしたことが多かったと思います。
ただ、先生のイメージは、実直な方
へんに教師教師していない、裏表のない方というイメージは、
小学生だった当時から、持っていました。
そんな、できの悪い生徒である私と、福本先生が、再び遭えるきっかけになったのは、
島の歴史の研究をされており、先生が書かれた本があることを、
インターネットをはじめた、1,999年頃から、検索で目にすることが多かったからです。
福本清
この名前と、先生が同一の人で、どんな本を書かれていたのか?
島の歴史の研究とは、どんなものなのか?
凄く興味があり、「生徒と先生」とは、違った形で、
興味をそそるようになりました。
当時は、三町が合併する前に、
インターネットでOCNのサイトに、
「大崎上島に関するページにようこそ」のHPを開設したばかりでした。
資料集めをするのに、どうしても文献が必要となります。
相互リンクで紹介して頂いている、
大崎上島文献目録|島の図書館―離島文献情報サイトの素晴らしいデータ整理のお陰で、非常に助けて頂きました。
そんなこともあり
生野島にいってみようと思い立った次第です。
続く
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