昔ながらの連棟式木造住宅がつらなる町の外観も、徐々に町の中心から追いやられ、その場所に今では白亜の殿堂のような高層マンションができあがっている。
しかも彼ら都市開発によってこぎれいに整理されたこれら住宅地域と昔ながらの風景が残る場所 --「非合法地帯」の境にはステンレス製の柵がはりめぐらされていた。
同じ人間なのに・・・・・・
これは人種差別である。
四十数年生きてきたけれど、結局 僕は都会の人間にはなれなかった。
田舎その1
瀬戸内海の小島は今ではすっかりさびれて老人の島になってしまった。
島の道路は狭く車1台が通れば、トウセンボとなってしまう。
そんな場所に所狭しと造船所があり家が連なって町を形成していた。
よく造船所に大型の鋼材を搬入するケースがあり運搬用の大型車がこの狭い道路に入ってくることがあった。
そんなとき、道路脇にある軒先の瓦をひっかけて壊して逃げることが多々あった。
そのため、軒先の瓦には赤い布を注意を喚起するためにつけるようになった。
それでも、当ててしまうので、その都度造船所に怒鳴り込む親父の声が妙に懐かしい。
木江は職人の町であった。
家の戸を開ければ、畳屋、印刷屋、パン屋、蒲鉾屋、大工さん、多くの専門職が、連なっていた。
オリジナルで商売ができた貴重な風景が当時はあった。
都会その2
都会は24時間、不夜城と化している。
マクドナルドに吉野家、新手の24時間弁当チェーン店、コンビニ、完全に記号化された金太郎飴状態がエンドレスに続いている。
デフレの影響で値段もやすくなっているのはありがたい。
でも、年齢のせいか、便利というよりも過剰サービス、シンドイ自分が存在することは否定できない。
競争社会の行き着く先が見えてしまったからだろう。
田舎その2
田舎の時間の流れ
田舎は世の中と隔絶しているのか、時間の流れが「止まっている」といってもいいのかもしれない、
古い木造住宅は主を失い、傾いているか、倒壊寸前のものが多い。
でも、魂、意志はしっかりと存在する。
「死にたくない」
そうイタコのイタロウのようにメッセージを発信し続けている。
簡単に重機で壊されるコンクリートの建物とは根性が違う。
僕は、そんな田舎が好きである。
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