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自殺者、今年も3万人超確実だそうだ。

自殺者、今年も3万人超確実に 最多は東京

産経新聞 12月6日(月)17時23分配信
 警察庁は6日、11月の自殺者数(速報値)を公表した。前年同月比9・6%増の2765人で、1~11月の合計は2万9105人に上った。1カ月間の自殺者は2400~2900人台で推移しており、平成10年以降13年連続で年3万人超がほぼ確実になった。

 政府は昨年、自殺対策緊急戦略チームを発足。今年2月には相談態勢の充実などを盛り込んだ「いのちを守る自殺対策緊急プラン」を策定するなど、自殺防止策を強化し、今年上半期は前年同期比7・4%減の1万5906人と、下半期次第で3万人を下回る可能性も出ていた。

 しかし、7、8月は一転して前年同月を上回り、11月は今年最高の上昇率を記録。前年1~11月の3万357人を下回っているものの、3万人突破は避けられない情勢になっている。

 都道府県別では東京が2693人で最多。次いで大阪が1898人、神奈川が1682人となっている。




年間に、3万人も自殺する国は、自殺大国といって過言ではないでしょう。

国民から、選ばれた政治家は、なぜか自殺を国家的問題として扱わない。
自殺は、国家財産の損失であることが、論議されない。

これは危機であるにもかかわらず!

十三年間連続で三万人
併せて、39万人!!!!!なり

仮に、二十年連続だと、六十万人!!!!


経済政策より優先して、弱者救済のシステムを政治家はまず最初にしなければいけないのは、当たり前。

いつの間にか、大家族から核家族、更に独身、さらにいけば、孤独死続発になるのだろうか?

消費の点からは、効率よく賃料が経済の循環の中で落ちてくるシステムになっているが、ちっとも人には優しくない。

日本の社会システムは行き詰まっているのだろう。

右肩上がりには、めっぽう強いが、逆の場合だと破綻が前提となる。

つまり、構造設計がしっかりできていない、投機型経済になってしまった代償は、自殺という形に置き換わる。

なんとも、もろく、いい加減な社会じゃないか!


そこで、離島(何度もいいますが、大嫌いな島の分類です。)の振興策に、瀬戸内海の海洋資源をメンタルヘルスケア対策に利用できないか?


精神的離島である大都会から抜け出して、心の療養に是非、島に疎開してください。

失業者は、観光ピザを発行して島で仕事をしてもらう。
再就職するまでの、療養と、英気を養えってもれえればいい。

そして就職が決まれば、またアスファルトジャングルで戦ってくればいい。

年間3万といえば、大崎上島の人口でいえば、約三倍近い。
離島振興策として、都会にどんどん特産物の販路を拡大し、交流人口を増やし明るい社会にして欲しい。
コンクリートジャングル、マクドナルド、どこを切っても金太郎飴の連続の中に、真実を見つけ出せるのは、「新興宗教」か、それとも、ネットの活字の中か!

と、まぁ、今風に面白く書いてもしかたがない。

人間は、ちょっとした間(息抜き)をあける余裕があると、張り詰めていた精神がふっと抜けることができる。

過疎地で使わずに残っている空いた家、校舎など、有効活用できるよう、都会と田舎が連携を上手くとれるようになれば安いお金で結果的には長生きができるかもしれない。

オールハッピーではないか!



人間として自己を確認できる作業は大切なことだし、語らいの場は必要だ。
長期スティも短期スティもできるよう、活用ある島作りが必要だろう。

Where the Sea gives himself to the landscape,
And the Land gives herself to the Sea!

自然な形での精神が循環できる社会の場は必要なんだね。

その場所が島であれば、離島も離島ではなくなる。

西洋人の目から、INLAND SEAといわれ小西和から、「世界の宝石」と称された瀬戸内海が恵みの島に、海になることだろう。


イラク戦争民間死亡者より多い日本の自殺者の現状



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宮本常一写真集をみて

記憶には、忘れさらされる記憶と、忘れたくない記憶がある。

時間の経過するごとに人間の記憶も風情も幾歳月の移り変わりとともに風化していくのは自然の摂理なのだろう。

記憶は風化すると、曖昧になり、そこから執着、妄想となることもあり、その繰り返しで行き着く先は最後に消滅してしまう。

人間の歴史そのものが、意図的であり、正確性の意味において甚だ疑問がある。

宮本常一の膨大な量の写真を過去から遡って調べていると、写真の中の人たちは今どうしているのだろうか?
古い写真の中の登場人物達が語りかけてくる。

昭和三十年代、四十年代、日本は高度成長期の真っ直中にあり、古い木造のみすぼらしい家も、土がむき出しで舗装もされていない道路も、今では、見栄えのよい、和風洋風問わず、まっさらな鉄筋コンクリートの家――現代建築の粋を集め基礎工事さえすめば、すぐにできる便利な家――が連なり、冬は隙間だらけで寒かった家も、コンクリートで密閉され、夏には、お金で冷房も買える時代になった。
社会整備が行き届いたのだろう、アスファルトで舗装されていない道路など田舎でも出会うこともほとんどなくなった。

人力で運んでいた荷物も、都会ではガソリン車、電気自動車にとってかわった。

外見は確かに豊になったけれど、日本の現状をみると、「本当に、豊かになったのだろうか?」と疑問が起きる。

社会が合理化・規格統一の前提で価格優先、便利優先になったお陰で、職人さんの仕事も消えていったものが多い。
昔は、もっと、日常生活の中に個性が氾濫していた。

護岸工事する前の港町には、雁木があり、その場所には集う人がおりコミュニティが存在した。


一日のはじめは、瀬戸内海の島々の間から昇ってくる日の出、フィナーレとして、躍動的で感動的な夕日の風景で締めくくる。
満月の明かりが海面に反射して光る夜の海も素敵だろう。

そういった自然の恩恵の中、人々は、生活の辛いこと、楽しいことを上手く中和させていた。

そこには、人間と自然の対話、今ではないだろう癒やしの空間が存在した。

貧しさもあったが、今の社会のように個人を追い込むような絶望的な貧しさではなかったと思う。

気持ちの余裕、生活の余裕とは何なんだろう。

時代の波に流されていった、人、物、そして記憶、感情も、宮本常一の写真をみていると、時間を越えて各々に尋ねてくる。

大衆文化、民俗という言葉は、お上のつくった言葉だから、随分蔑んだ意味に感じるけれど、実は庶民の知恵と工夫にあふれ心意気を感じることができて素晴らい体験が含まれている。

埋没させるのではなく、掘り起こし見直すことがなにより大切だと思う。
無駄なことはなにもない。



「海へ。」大阪湾編

過去、おそらく気がつかないだけなんだろうけれど、

色々な団体が島の活性化ということで、様々な事業をしてきたのだろう。

しかし、若者の取り組みが一番即効性があり、効果的であった。



◇大阪の海は汚い。

今朝も、大阪湾にいってきた。





しかし、防波堤の海面を覗けば、茶色に海水が濁っている。

透明度は30cmもないだろう。

昔と違うのは、異臭がしないだけましになったのかもしれない。

大阪には、関空近くに二色浜ビーチという海水浴場があるけれど、ご存じの方も多いと思うが、近くの工場から汚水を流されると、海面が帯状に変色し海面の温度が高いと異臭が風にのって浜にあがってくる。

泳ぐのも覚悟が必要だ。


海面が変色している理由は、チッソ、リンなど有害なものが、海底に堆積してヘドロ化していて、息のできない死の海になっているからだろう。

これでは、魚も可哀相だ。


◇寝屋川



海ではないが、寝屋川沿いを歩いても、満潮時には海水が川の水と混じって内陸部まであがってくるのだろう。

はっきりと海水の臭いがわかる。

潮のにおい(人によっては、磯の香リ)がして気特が落差く。

島育ちだからということもあるけれど、海は、癒しの場として大好きな場所だが、大阪の海を見ると、逆に悲しくなってしまう。

発泡スチロールやジュースの缶、ゴミがあちこちに、散らばっている。

悪いことに、あたかも生き物の如く生息していて増殖を繰り返している。

そんな光景を目の当たりにすると、人の心って素直なんだろう、

ショックを受け、ストレスとなるので自然と海から遠ざかることになってくる。


しかし、海から離れると、そこは、コンクリートジャングル、

マクドナルドに、コンビニエンスストア、パチンコ屋に大型ショッピングモール

モータリゼーションの発達は便利になった証明だ。

どこにいくにしても、人、人、人

そして、車、車、車

最初は楽しいけれど、段々と都会の消費の歯車として、働いている自分に気がつく。

金太郎飴の苦しさがわかる

お金の使い道って、こんなものなのか?

小銭を持たされることは、楽しいことではない。

苦しい。


◇大崎上島

その点、大崎上島(離島だっけ)は、多少は汚れたといっても、まだましだろう。

よく指摘されているように、環境問題と、リラクゼーションを自然な形で提案、周知(かたぐるしい言葉だね)できたなら、いいんだけれど、さりげなく語れる人はいないのだろうか?(これが本当の人材育成)

それぞれの専門分野に明るい人はいるけれど、くっつけてわかりやすく伝える達人が必要になるだろう。


結局、素敵な景色や風景をおがめるのは、思いやりなんだろうね。

とってつけた海の道なんかじゃなくて、人と人とのリレーションシップの成立なくして、実現不可能だ。

櫂伝馬が海に浮かんでいる写真を見ていると、海の透明度は素晴らしい。

もし、大阪湾に浮いた櫂伝馬を想像すると、「濁った海面に櫂伝馬」では絵にならない。


自然の治癒能力で回復不可能な海にした我々の罪は重い。


釣りをするにしても、サイクリングをするにしても、観光するにしても、ちょっとしたエチケットで、島の良さを共有できる。

本来持っていた日本人の良さはこんなところにあるんだと思う。


今日は、車を海が正面から見えない位置

つまりバックに停車して、一服した。

大阪湾は海だけれど、気持ちが晴れることはありません。

カバンから、愛用の電子ツールをとりだして、しこしこととめどもない気持ちを文章にしてみた。


つづきはこちら

固い話

地域おこしの全国組織設立へタイトル

でリンク紹介させて戴いていた、

内閣府 NPOホームページ

にある

平成21年度特定非営利活動法人の実態及び認定特定非営利活動法人制度の利用状況に関する調査

のPDFファイルを印刷して読んでいる。

ページ数は、約250ページほど

全国のNPO団体に、アンケート調査した結果をまとめたものだ。


NPO法が施行されて、約10年ほど経過するから、

しっかりと、「今」を検証する資料として、

どの本よりも、しっかりとしたレポートがあがっている。


今、爆発的に売れている

久繁哲之介さんの

『地域再生の罠』を読む前から、



本当に、地域に根付く事業が「できているのか」、

「できるのか?」

疑問であった。


過疎物語(kaso-net)

であがっている

交流事例紹介

など、どれも単発的で、

今現在、どう結果に結びついているのか、知りたい。


合併した市町村の項目を見て戴ければ、

おわかりになると思うけれど、村は町になったり市になっている。

つまり、行政は一体性のある体系的な取組はできていない。

各監督省庁の税金の無駄遣いとして、

形を変えてNPO団体などが、町興しと称して、

実効性のあがらない

非現実的な事業をおこなっていたのではないか

という結論が、私の持論だ。

地域の特産品を、NPO団体が開発し、販売しているケースなど、

成功事例であげられることが多いが、

実際、そういった商品を、スーパーや店頭で、お目にかかったことは一度もない。

市場に出回らないぐらい、レアの商品なのか、

それとも、私の家計のランクが低いから、

出会う場所がないのか

どうなのかはわからない。

あれだけ、メディアでちやほやされた、

電脳山田村のその後を把握している方はいるのだろうか?

交流居住のススメ 全国田舎暮らしガイド

にあがっている、田舎暮らしも、

「余生を農業に楽しむ」とか、

本場のお百姓さんが、市場に売り込む出荷物を作るのに、

悪戦苦闘し、跡継ぎがいない、

高齢化が進み、中国などの研修生を受け入れて

なんとか、現在を維持している状態なのに、

いきなり、にわか農家などあり得ないまるで漫画の世界だ。


明確にいえば、

「豊かな田舎」は、意図的な演出であり、存在はしない

全国の過疎地域は、

好きで過疎になったのではない。

長期的視野、展望のない国の失策によって生まれた過疎地域は、

お詫び程度の、お金を行革と称してNPO団体等に配ることにより、

衰退と、縮小を繰り返し、ほとんどが、限界集落になるだろう。

社会資本が減少する中、

Jターンで、過疎地域の人口が増えることなど、

絶対にあり得ないことなのだ。

パチンコ玉のごとく、

どんどん、吸われていく玉を、いくら買い足しても、

ラッキーセブンを期待するような、

行政・地域社会を運営するなど、ギャンブルと同等のことが行われていると思う。






平成21年度特定非営利活動法人の実態及び認定特定非営利活動法人制度の利用状況に関する調査を読めば、

地域社会に貢献したいなどの意思をもって

一端NPOを立ち上げたものの、

事業するための運転資金もままならず、

金策にはしる団体が多い(こんなはずじゃなかったのに)

また、特定否営利活動に関する誤解や、

景気低迷による助成金減少、打ち切り、

団体でも、極端な2極化(大手と弱小)がすすむなど、

そういった、実情を網羅した資料なので、

興味のある方は一度目を通して欲しいと思います。




今後は、全国のNPOの多くは今の状態で維持できるはずはなく、

社会と共存できるかどうかは、

財政的にも、

また、住民の意思が反映できるか、期待に応えることができるかは、

怪しい。


開かれた市民社会で訴えられたように、

住民主権の地域社会の成立には、

年齢に関係なく、

若者にも、老人にも

積極的に地域社会に興味を持って戴き、

相互理解を深め

責任を持ち

弾力性のある地域社会作りをしないと過疎地域は先がない。

過疎地域には、未だに操作されたキーワード「バラ色の人生」はまっていない。

むしろ、リスクのほうが大きい。

しかし、

確かにリスクは大きいけれど、

地域の人がしっかりとリスク管理をして対策・善処していく。

こういった、地道なコミュニケーション力が前提条件として必要だろう。


難しい子理屈など、本当は必要はない。

こういった本音を書いて

サイトの一つを閉鎖した前歴があるけれど、

どちらが正しいか、

時間はすぐに証明してくれるだろう。

世代間の情報格差は広がるばかり

湯崎知事になってから、広島県のITの活用度は抜群にあがった。
もともと、そちらの専門だから当然なことだ。

今はやりのツイッター

動画配信にユーチューブ

ライブ配信にユーストリームなど、織り交ぜて

大変な時間を一般公開している。

情報の公開度は、比べ物にならないほど、

改善されたけれど、

これは、インターネットを介して初めてその意義がでてくる。

テレビでは放送していないからだ。



インターネット環境にない、

主に高齢者は、今なにが起きているか理解するのは不可能だろう。


活字やテレビが主な情報収集手段となっている人にとっては、

技術革新の恩恵にあずかれない。


つまり、デジタルディバイド、情報格差が世代間でおきている。

考えようによっては、「切り捨てられた世代」といってもいいだろう。


若い世代がもっとも苦手とする政治の話題に関しても、

インターネットを情報をメインにしている若い人たちと、

そうでない世代の人たちと、会話をしてみると、

裏付けできてちゃんと分析が可能な人と、

既存のメディアしか情報獲得手段のない人とでは、

雲泥の差がでてくる。


そうなってくると、情報難民が出現することになる。

大崎上島町には、議会状況もインターネットで一般公開している。

近隣の竹原市は、未だに議事録で対応しているのだから、お金をかけた

目に見える成果だ。


しかし、あれだけ住民から要望があり実現したインターネット放送だけれど、

その内容に関しては、まったくHPに載った記事を住民からも見たことがない。


住民にも自助努力は必要となる。

見れないのか、見ないのか、

興味があるのか、ないのか、

わからないけれど、住民が行政に関心を持つことは、

正しい地域社会の実現に向けての一歩だと思う。

データーベースの話題

大崎上島関連のHPを立ち上げて10年を迎えようとしている。

2000年当時は、インパクの時代でありIT時代の本格的幕開けの時代だった。

政治家を含め素人がITをまるで万能薬のように錯覚していた時代だ。

ウインドウズについているペイントを使って政治家がお絵かきするニュースをみてちょっと深刻だなと思った。


※waybackのアーカイブに保存されているので、こちらを参照

大崎上島はまだ三町が合併していなくて、県のHPの中に入っていた。

せっかく、百十億も投資して作ったサイトの数々も、データーも更新もされず、

ほとんど、廃止している。

インパクの実態は、無駄な公共投資であり一回限りのお祭りだった。

この国の行政の非常識は投資効果の責任が問われないことだ。

当然、監督する政治家が一番の大罪なのだが、

このことは、民間では、考えられない非常識だ。

だから、いつまでたっても、その場限りの実態のない天ぷら、お手盛りが盛んになる。

保護貿易化された行政の事業が、実際の市場経済でことごとく敗退するのは、このためだ。

スピードを要する意思決定するリーダーもいないのだから。


森内閣から小泉内閣になり行革のもと、交付金頼みの地方団体は悪者にあがり小さな町・村は地図から消されていく運命となる。

この頃の境目の落差は激しかった。

結局、情報の電子化など、インパクで目標に挙げていた事項も、地図から消えた町村には、外部の人間が参照しようとしても、資料が残っておらず、ちゃんとした専門技術を身につける前に頓挫したのが実態だろう。


最近の出来事だけれど、

こんな自己満足のHPを長くやっていると、

「島の歴史の資料を調べたいのだが、どうしたらいいか?」

という問い合わせが、ときどきくる。

誰でも、学習できる資料館があってもいいと思うし、そのために最適であると思う「島の歴史の電子化」は当初からずっと、訴えてきた。


数年前、唯一、一回だけ、このことに関して取りあげた会議があったが、

その時、どんな内容が話されたか、知るよしもない。

(実態のない見せかけの会議は止めるべきだろう。)


パソコンの値段は今や劇的に下がったので、できれば島の歴史の電子化に挑戦してもらいたい。

無料のデータベースに、

PortaBase2.0

がある。

ウインドウズ、マックもLinuxも、PDAにも対応している。





印刷機能がないのが、弱点だが、登録も編集も楽で、覚えるのに苦労はしない。


※印刷機能はありました。 しかし、ページごとのプレビューはできません。ちょっと不便です。メモリーを喰います。


共同作業をしながら

「この内容は、適切か?」

「この一文はいれていたほうがいいのではないか?」

など、相互が意見をだし、まとめあげることにより、

理解度も深まるだろうと思う。



人の記憶はいい加減なので、

こういったデータベースを活用することは月日と伴に登録データが増えていき、重要度が増してくる。


情報化の意義を理解し、やる気があれば、無料で百十億円かけたインパクを越える島にとって恩恵のある事業になる。


いいものができれば、「島の歴史のアルバム」として、活用でき、

多くの人に感謝されるだろう。




これで、四回目のおなじ記述となりました。

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