さようなら 親父 木江にもどってきた
親父の告別式に参列してくれた、みなさま ありがとうございました。
こんな立派な葬儀を終えることができて、親父もうれしいことでしょう。
参列 された多くの人は、生前 父親を支えてくれた人ばかりです。
今まで、多くの人に迷惑をおかけし、そのたびに、身内以上に愛情をかけて励ましていただき、こうした、立派な葬儀を行えることができたことに、感謝の念でいっぱいです。
木江の町
父親にとって木江は、すべてでした。
どうして、こんなに固守するのか、当時はわからなかった。
しかし、葬儀の参列者をみるとやはり親父をささえてくれた人がいかに多かったか、改めて直面することになり、とにかく驚きばかりでした。
亡くなる前日、酸素マスクを取り外し、しゃべったこと
うちの嫁に「としこさん、よろしく頼む」
私に対して、「すまんの~」の一言
肺に水がたまりちゃんと呼吸が整わない状態で、告げた言葉でした。
翌日の早朝、4時18分 容態が悪化した、その後亡くなったのと報告を電話で母親から連絡を受けました。
本当に亡くなったのか?
あまりに急な容態の悪化であっけなく死んでしまった。
最後に告げたことは、親父の本心だったのか?
親父の死に顔をみて、安らかな顔をしている
人の最期は、その人の人生を表すといわれていますが、あまりにあっぱれな死に様だった。
日常で悩んで結論がでなく、うやうやした状態がおおかった精神状態とは違った。
不思議だった。
木江の懐の深さ 人間力の深さ、地域の懐の深さを痛感しました。
亡骸は、木江の町の見える丘に納めます。
木江の町が家族以上に大好きだった、親父にはお似合いの場所だと思います。
ありがとう 木江
ありがとう おやじ
人として82年の人生が、この町で成就できたと思うと、万感の想いです。
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