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「宮島さん」の話 

現在日本三景の一つである厳島神社は,またの名を宮島大明神といって世の人々に親しまれていますが,このようなお話が残っています。この宮島さんの祭り神の一人である「市杵島姫命」にはその昔,二歳になるお子様がおりました。

 それはそれはかわいらしいお子様で姫のかわいがりようは,目に入れても痛くないほどのものだったといいます。

 ところがある日大変なことが起こりました。

 姫のかわいがっておられたこのお子様が突然姿をかくしてしまったのです。

 どこへ行かれたものか,誰も連れ去ったものか,さっぱり見当がつきません。

 姫は大層嘆き悲しんであちらこちらと,あらん限りの力を絞ってお探しになりましたが,その努力のかいもなく,とうとうお子様を見つけることはできませんでした。

 さて,それからというもの,姫はすっかり元気をなくしてしまわれました。

 毎日毎日,遠くを眺めては,ほっとため息をつくばかり。

 また,どういうわけか雉の鳴き声を聞くと,身にしみて耐えがたいといわれるようになりました。
 そして今まで住んでおられた土地を離れ,どこか平和で美しい安住のできる土地を求めて遍歴の旅に出られたのです。

 瀬戸内海に浮かぶ美しい島をながめながら船を進めていくうちに,やがて姫は大崎島の神の峯を見つけられました。

 まず,木江浦に寄られて上陸してみたものの,山道は険しく木がおい茂り,とても登っていけそうにありません。

 そこで,船を北西に廻して矢弓の加組の鼻でひと休みしていると,大崎の大西ではみんなで海に鳥居を作って,姫のこられるのを歓迎しているのが見えました。

 さっそく姫は,その方に向かって船を進め神の峯に登ってごらんになると,そこからの眺めはまた一段と素晴らしいものではありませんか。

 姫はこの地こそ安住の地であると思われ,沖の小島に見とれておりました。
 ところがそのときです。

 一羽の雉がどこからともなく飛んでいると,姫の頭上で糞をして逃げていってしまったのです。

 姫は,日頃から雉を心よく思われていなかっただけに,この出来事を大層気にかけられて,とうとう神の峯を立ち去って行かれたといいます。

 そしてその後,大串の外浜で船に乗られ他の地を求めて,西へと船を進めていくうちにやっと理想的な安住の地を見つけられました。

 それが今の宮島であると伝えられています。

「安芸の宮島広島の昔ばなし」(山口青旭堂発行)より

 この民話に出ている市杵島姫命が立ち寄られたゆかりの地,木江,矢弓,大串には姫を祭る厳島神社が建立され今日に至っています。
また,姫を迎えた大西にはその昔,海であった場所に伝説の大鳥居の朽木が残っていましたが,長年の風雪により倒れたので,その後に石碑が立てられています。この倒れた朽木は大崎町の歴史民俗資料館に寄贈され,展示されています。
また,八幡山の西南西,鹿の池谷にかって大西厳島神社鎮座の旨が文政二年(1819年)の中野村の国郡史御編集下弾書出張控に記載されています。
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