北前とは、北を下げた呼称で、地域によって呼び方が違うのは当然なことだったそうだ。
和船の歴史は図書館でも、資料館でも限定されていて、意外と短期間で学習できる。
今日は、ホームページのリンクの部分を探すため、検索をかけて調べていたが、実際に、和船(木造)はほとんどもう残っていないそうだ。
強化プラスチック製の船も和船と呼んでいるが、あれはまったくの別物だ。
材木で船を作るということは、木材と格闘を意味するので、腕っ節の太い強固な体つきの船大工さんしか見たことがない。
そんな小学校の時代に見た、和船の船大工さんたちも、もうほとんど残っていない。
櫂伝馬競漕も、漕ぎ手不足の問題もあるが、船を作る人の問題も出てきた。
近い将来、漕ぐ船がなくなるだろうか?
わずか、30数年前には、普通に見れた木造船の建造も、消滅しているとは、正直驚いた。
日本の物流は機関車が開通する前は、海運が主力だったことを考えると、歴史が消えてなくなっている事実に唖然とする。
また、全国ネットで和船の組合なり、協会など、ないことを考えると、
「さて、どうしたものか?」と考えてしまう。
これは、ローカルの問題ではなく日本の問題だろう。
逆に、木江ふれあい資料館にある和船の資料は、全国的にみても大変貴重なものなのだ。
これは、認識の問題だけれど、活用方法を考えると、
実に残念だことだ。
湯崎 英彦知事の公約どおり、
広島県「瀬戸内 海の道構想」策定支援業務委託に係る企画提案公募について
が掲載されているが、
「瀬戸内 海の道構想」
にみなさんは、何を見いだすのだろうか?
これは、海運業の歴史を理解するための、踏み絵にちかいものがある。
趣旨・メンバーを見ていると、地中海などを例とした、観光地を喚起する目的にしているようだ。
本来ある海の道が、どんどん遠ざかっていく。
アイデンティティを試されている。
PR