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和船文化復興ののろし

いよいよ、まちにまった、旅する櫂伝馬プロジェクトが、今日実施される。

http://kaidenma.dou-jin.com/Entry/19/

本日は、広島は晴天になるとの予想


きっと、海の神様にみんなの願いがかなったのだろう。


木江厳島神社では、

私の勝手な予想では、

航海を前に、大崎衆のみなさんが、浄めの儀式をしていると思う。

きっと、このイベントが、

色々な意味で和船文化復興のきっかけになってもらえると思う。


色々な人が、

和船の衰退する中、伝統文化を守ろうと、

訴えてきた。


ただ、和船といっても、

これまで組織的に動くことがなく、単発で各々が動いてきただけのことだ。


和船ネットワークをつくり、

なんとしても、礎を残したい。


嬉しいことに、

大崎上島備忘録のバックナンバーを

少しずつではあるが、色々な方が、引用していただき、

資料として紹介してくれることが増えてきた。


もう一度、ちゃんと整理しないといけないなと思う。

北は北海道から

南は沖縄まで、

色々な魅力的な海の男達と遭えることを、願っている。

ちゃんと物書きとして、

メディアに負けないぐらいのレポートをするよ!



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リンク追加

いよいよ、

打瀬舟建造プロジェクトが始動しだしました。

詳しくは、みかんさんのブログをご覧ください。

熊本に向かっているはずです。

みかんさんって、大崎上島とも、このホームページとも関わり合いの深い人です。

このホームページで和船の記事に対して初めて、書き込みをしてくれのが、実はミカンさん

また、櫂伝馬とも馴染みがります。

下の写真の舟をみたことがありませんか?

そして、後ろに鎮座されている方!

是非謎解きに挑戦して頂きたいと思います。



間違いなく、和船という見えないネットワークで、結ばれていることがわかります。






記事を引用させてもらいます。(^^;)

5日目(予定日:6月6日) 山口 上関 ~ 厳島(宮島)経由 ~ 広島 大崎上島

打瀬船の予定回航航路です。

航程1日ごとに掲載していきます。

※天候等により変更の可能性があります。






5日目です。

山口 上関から 大畠瀬戸 → 広島湾 → 厳島(宮島) → 音戸瀬戸 → 蒲刈沖 を通り、広島 大崎上島までの航海です。

航海距離 約72海里(1海里=1.852km)






6月の第1日曜日です。梅雨入り前で晴れ渡る青空が広がっていると思います。(たぶん・・)

そして、この日は回航中のビックイベントが 世界遺産 厳島(安芸の宮島)の大鳥居前で繰り広げられます。





上関を出航した後は室津半島に沿って北上した後、大畠瀬戸から広島湾へ入ります。

大畠瀬戸の潮は

午前7時に西流れ(反対方向)の潮が最強で潮どまりが午前10時・・・流れに逆らう感じでの航行になりそうです。

そして岩国沖をひたすら北上し、広島市沖に浮かぶ能美島の北端「がんねビーチ」に午前11時半の到着を目指します。



ここで打瀬船は海賊船と待ち合わせをします。

海賊船???と思われるでしょうが、確かに海賊船がここにやってくるのです。




そう、中世に活躍した村上水軍の末裔とも言われる 大崎衆が「櫂伝馬」に乗ってはるばる大崎上島からやってくるのです!





この写真の船が「櫂伝馬」です。人が漕ぐとは思えない早さで進みます。

大崎上島にある厳島神社の分社から約70km離れた厳島(宮島)の本宮まで「櫂伝馬」を漕いでお参りに行くそうで、ちょうど日が重なったため打瀬船もご一緒させて頂く事にしたのです。

ところで、大崎衆はこの日私が打瀬船に乗ってる事について大そうお怒りのようでして・・・。

なぜかと言いますと、私が言いだしっぺだからなんです。



??よく分からない???



はい、解説します。

去年の春、大崎衆の中でも特に櫂伝馬を愛する方々と飲み会をする機会がありまして、私はあろうことか「櫂伝馬で宮島まで行けますよ!」と言ったのです。

その一言で、その名も「 旅する櫂伝馬  」プロジェクトが始まったらしいのですσ(^_^;)

夏にある木江十七夜祭で行なわれた櫂伝馬競漕に島外出身者ながら特別に参加させて頂いたり、秋祭りや櫂伝馬で大崎上島を一周するイベント    http://www.youtube.com/watch?v=Tj3llQmNqyk  (島一周の動画)

などにお呼ばれされたり、島で破格の待遇を受けてたにも関わらず、打瀬の回航とダブルブッキングしてしまい不義理を働くに至りました。

そこでなんとか少しでも義理を果たしたい思いの中、櫂伝馬に同行することを決めたのです。



このようなまったく個人的な背景を持ちながら打瀬船は厳島(宮島)へ行くのです(笑)



そして大鳥居の前では、帆を広げて櫂伝馬と並びます。



※回航日程に遅延が生じた場合は航路の変更の可能性があります。

 また、天候や安全上の理由等により展帆できない場合もございます。

 予めご了承お願いいたします。



厳島(宮島)でのイベントを終えた打瀬船は、櫂伝馬にしょっぴかれて大崎上島へ向かい、この夜は私に大崎衆よりきついお仕置きが待ってます・・・。




この打瀬船「漁善丸」は、6月6日には大崎上島に、寄港するはずです。


大崎上島の若者と、和船を守ろうする意志をもった若者の心意気を、是非 応援お願いしたいと思います。


※結局、大崎上島備忘録のブログのほうが櫂伝馬のアクセスが多いので、臨機応変に対応することにしました。

旅する櫂伝馬 ヤフーカテゴリー登録完了

5月の初め、ヤフーに旅する櫂伝馬のサイトを登録申請しました。

お陰で受理されました。

ただ、階層がかなり深く、おそらく登録を探せる人は皆無でしょう。

階層は以下の通り

トップ > 地域情報 > 日本の地方、都道府県 > 中国 > 広島県 > 市町村 > 大崎上島町 > 芸術と人文 >

URLは、長いのでここにリンクをはっておきます。



尚、ヤフーの通常の検索ではサイトにヒットしません。

Googleと、b- Bingは、登録・検索が行えます。

新規に作成した旅する櫂伝馬は、早々とGoogleの検索にヒットするようになっています。

旅する櫂伝馬 ブログ

前回説明さしていただいたとおり。
検索エンジン対策で急遽、専用のブログを作りました。

http://kaidenma.dou-jin.com/

なるべく、櫂伝馬の内容は、こちらを使って公報していきたいと思います。

「宮島さん」の話 

現在日本三景の一つである厳島神社は,またの名を宮島大明神といって世の人々に親しまれていますが,このようなお話が残っています。この宮島さんの祭り神の一人である「市杵島姫命」にはその昔,二歳になるお子様がおりました。

 それはそれはかわいらしいお子様で姫のかわいがりようは,目に入れても痛くないほどのものだったといいます。

 ところがある日大変なことが起こりました。

 姫のかわいがっておられたこのお子様が突然姿をかくしてしまったのです。

 どこへ行かれたものか,誰も連れ去ったものか,さっぱり見当がつきません。

 姫は大層嘆き悲しんであちらこちらと,あらん限りの力を絞ってお探しになりましたが,その努力のかいもなく,とうとうお子様を見つけることはできませんでした。

 さて,それからというもの,姫はすっかり元気をなくしてしまわれました。

 毎日毎日,遠くを眺めては,ほっとため息をつくばかり。

 また,どういうわけか雉の鳴き声を聞くと,身にしみて耐えがたいといわれるようになりました。
 そして今まで住んでおられた土地を離れ,どこか平和で美しい安住のできる土地を求めて遍歴の旅に出られたのです。

 瀬戸内海に浮かぶ美しい島をながめながら船を進めていくうちに,やがて姫は大崎島の神の峯を見つけられました。

 まず,木江浦に寄られて上陸してみたものの,山道は険しく木がおい茂り,とても登っていけそうにありません。

 そこで,船を北西に廻して矢弓の加組の鼻でひと休みしていると,大崎の大西ではみんなで海に鳥居を作って,姫のこられるのを歓迎しているのが見えました。

 さっそく姫は,その方に向かって船を進め神の峯に登ってごらんになると,そこからの眺めはまた一段と素晴らしいものではありませんか。

 姫はこの地こそ安住の地であると思われ,沖の小島に見とれておりました。
 ところがそのときです。

 一羽の雉がどこからともなく飛んでいると,姫の頭上で糞をして逃げていってしまったのです。

 姫は,日頃から雉を心よく思われていなかっただけに,この出来事を大層気にかけられて,とうとう神の峯を立ち去って行かれたといいます。

 そしてその後,大串の外浜で船に乗られ他の地を求めて,西へと船を進めていくうちにやっと理想的な安住の地を見つけられました。

 それが今の宮島であると伝えられています。

「安芸の宮島広島の昔ばなし」(山口青旭堂発行)より

 この民話に出ている市杵島姫命が立ち寄られたゆかりの地,木江,矢弓,大串には姫を祭る厳島神社が建立され今日に至っています。
また,姫を迎えた大西にはその昔,海であった場所に伝説の大鳥居の朽木が残っていましたが,長年の風雪により倒れたので,その後に石碑が立てられています。この倒れた朽木は大崎町の歴史民俗資料館に寄贈され,展示されています。
また,八幡山の西南西,鹿の池谷にかって大西厳島神社鎮座の旨が文政二年(1819年)の中野村の国郡史御編集下弾書出張控に記載されています。

和船が櫂伝馬が無くなる日

江戸時代瀬戸内海を運行していた船は、弁財船(べざいせん)であり北前船とは違うそうだ。

北前とは、北を下げた呼称で、地域によって呼び方が違うのは当然なことだったそうだ。


和船の歴史は図書館でも、資料館でも限定されていて、意外と短期間で学習できる。

今日は、ホームページのリンクの部分を探すため、検索をかけて調べていたが、実際に、和船(木造)はほとんどもう残っていないそうだ。

強化プラスチック製の船も和船と呼んでいるが、あれはまったくの別物だ。


材木で船を作るということは、木材と格闘を意味するので、腕っ節の太い強固な体つきの船大工さんしか見たことがない。

そんな小学校の時代に見た、和船の船大工さんたちも、もうほとんど残っていない。

櫂伝馬競漕も、漕ぎ手不足の問題もあるが、船を作る人の問題も出てきた。

近い将来、漕ぐ船がなくなるだろうか?


わずか、30数年前には、普通に見れた木造船の建造も、消滅しているとは、正直驚いた。


日本の物流は機関車が開通する前は、海運が主力だったことを考えると、歴史が消えてなくなっている事実に唖然とする。


また、全国ネットで和船の組合なり、協会など、ないことを考えると、


「さて、どうしたものか?」と考えてしまう。


これは、ローカルの問題ではなく日本の問題だろう。


逆に、木江ふれあい資料館にある和船の資料は、全国的にみても大変貴重なものなのだ。

これは、認識の問題だけれど、活用方法を考えると、

実に残念だことだ。



湯崎 英彦知事の公約どおり、

広島県「瀬戸内 海の道構想」策定支援業務委託に係る企画提案公募について

が掲載されているが、

「瀬戸内 海の道構想」

にみなさんは、何を見いだすのだろうか?

これは、海運業の歴史を理解するための、踏み絵にちかいものがある。

趣旨・メンバーを見ていると、地中海などを例とした、観光地を喚起する目的にしているようだ。

本来ある海の道が、どんどん遠ざかっていく。

アイデンティティを試されている。




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