マキハダについて
木造船造りの際、板と板のすき間につめ水もれ防止用に使われたものをマキハダと言う。
桧の皮で作るやわらかい縄のことで、水分を含むと膨張する性質があるため、これを使うと板のすき間を完全に埋め、船の浸水を防ぐことができました。
このため木船建造にはなくてはならないものです。
マキハダが明石で生産されるようになったのは江戸時代、享和元年(1801)のこと。
その後、急速に発展して明石のマキハダづくりは、安政三年(1856)に保護する目的で、無許可で製造した者を罰するお止め産業に指定され、42の業者に合艦(免許)が交付されました。
明治から昭和のはじめにかけて木船づくりが盛んになるとともにマキハダの製造も伸び、全国の約7割をここで生産していました。
マキハダの原材料桧の主な産地は奈良県桜井市で、そこから明石へ運ばれてきた桧は、まず天日に干し、はいだ上皮を火を使って乾燥させます。
それをベルトハンマーでたたき、繊維状にし、それを水につけた後、ふたたび天日で乾燥、最後に縄になってできあがります。
こうしてできた製品は、古くはマキハダ専用船で四国・九州・阪神や遠く朝鮮半島まで販売に廻船していました。
木船の建造が減少するとともに、生産量も減り、今では漁船などの木船のほか木の風呂おけなどに活用されている程度です。
このため最近では、国の輸出対象物として販路を広く国外に向けつつあります。
正式名称を記述している資料が少ないので困惑する。
紹介されているホームページも、決していい加減な名称を載せるような品格のサイトではないので、非常に悩みます。
資料の名鑑には、
槙隙道具となっている。
また、
ゲンノウという名前で紹介されている。
また、あるサイトには、
ポンコチという名で紹介されている。
沖浦の船釘
マキハダとともに木船造りにかかせないのが船釘
福山の鞆の浦とともに沖浦の船釘は盛んであり船釘は薄手で細目に作られていたため瀬戸内海の小型船舶に適していた。
大正時代は、30軒もの鍛冶屋が沖浦にあったが、木造船から鋼船へ形態が変わると伴に、昭和60年7月24日の山本正一さんを最後に沖浦の船釘製造の火は消えてしまう。
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