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小西和の『瀬戸内海論』

今日は、東大阪市にある大阪府中央図書館に小西和の『瀬戸内海論』を探しにいきました。



立派な図書館ですが、場所がちょっと不便です。

しかし、小西和さんの『瀬戸内海論』はここでしか蔵書がありません。
明治44年12月に発行された貴重な本です。



ですから、貸出禁止、閲覧のみOKです。
時間があれば、しっかり読みたかったのですが、人を待たせているので、ゆっくりもできません。

ページ数も千ページ近くあります。


目次

第一 瀬戸内海とは如何
第二 瀬戸内海の構造
第三 地貌と地質と土性
第四 沿岸の山河と湖沼
第五 瀬戸内海の海岸線
第六 瀬戸内海の港湾
第七 花彩島中の花彩島
第八 内海の広狭と深浅
第九 瀬戸内海の潮水
第十 内海方面の気象
第十一 海陸の生物と産業
第十二 内海の水運と水師
第十三 瀬戸内海と人生
第十四 内海関係の二三の学術
第十五 瀬戸内海の前途は如何
附録




この本は、以前、アリストテレスさんのHPでご紹介されていたことがあります。

本をさっとだけですが、触った感想ですが、
外国の海との文化対比、歴史背景、景観(高度図)、海の生態系、深度など、膨大な資料を網羅しています。

また、巻末に島別のインデックスを備えるなど、辞書としても活用できます、「瀬戸内海の集大成」といっていいほどの、圧巻の本でした。

とても明治時代に書かれた本とは思えない多方面から瀬戸内海を捉え精神性も具備したバイブルと言える希有な本です。

じっくり時間をかけて読めることができれば、と思います。

大崎上島のことも書かれていますので、後ほど紹介したいと思います。
(この本の趣向からいえば、特定の島を取りあげるのことは、作者の小西さんには失礼なことかもしれませんが、お許しください。)


この本の中で、珍しい写真がありましたので、数点ですが、ピックアップします。
ネットで調べても、おそらく出会うことのない、貴重な写真です。























大崎上島は、芸予海峡に横はれる島嶼、
その大きさは僅に二方里三五にすぎず、人口2万もでないけれど、島内には まことに六個の船渠と80あまりの造船所を数え、二千の職工が盛んに活動している結果、朔望(さくぼう)高潮に乗じて、進水式をあげる新造船は数百トンの汽船から数十トンの合の小船に至るまで、毎に五六隻をくだらない、のみならず伝馬船や、小廻船の新造にいたっては、ほとんど僂数(るし)に堪えぬぐらいなのである。

従って、船釘の鍛冶職だけでも、百余戸。
島の南西岸の小村なる明石のごときは、各戸皆槇皮の製造のみ従事しているという状態だが、民情や風俗は比較的質朴で公共に絢する念が厚いのは、ほとんど他に比類ないぐらい。

島内の村々がそろいもそろって、あるいは模範村、あるいは模範学校として表彰されているのも、また決して怪むに足らぬ。

明治三十一年 始めて海務署が設置されるにあたり、多度津や三津濱の人々は、之を迎えることが、はなはだ冷淡なようだったけれど、芸予海峡の一角では、位置の競争を惹起したのである。

このおりに、大崎上島の東岸に位せる木ノ江港の人々は、熱心と真面目を発揮して、優勢な競争者たる尾道、ならびに糸崎と戦った。

いささか、蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争いたるを免れねど、海事思想が最もよく発達している結果にほかならぬという見地からすれば、誠にもって喜ぶべき現象と褒めてよかろう。

木ノ江港は、まさに瀬戸内海の造船島たる、大崎上島の造船事業の、牛耳を執っているので、そこには五個の船渠が並列せ有様。

この港はまた好個の避難港なので、船舶に縁の多い舞妓、二百余りを容れて、遺憾なく船着場の趣味を発揮しているなどは、むしろ驚くべきである。

兎に角、多季、西風が吹き荒らんで、海上に白馬が踊る折には、狭斜の港が船頭衆をもって満たるゝ勢い、この港に『西の風が、吹けば黄金が降る』との諺が行われているのは、その全盛を告白する次第。

さりとて斯る風習は、速やかに消失させたいものである。



※小西 和 ; 阿津 秋良 口訳瀬戸内海論:上巻 , 下巻 -- 海南文庫顕彰会, 1997.11-1998.3

こちらは現代語にしていますので、おそらく読みやすいと思います。
在庫は少ないですが、是非、手に入れたいと思います。
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つづきはこちら

『島へ。』1月号

「島へ。」


昨日発売したので、早速近くの紀伊國屋へ

が、なんと、昨日の時点で売り切れ

仕方ないので、注文してもらいました。

日曜日の朝入荷するとのこと

隔月で、中々手に入りづらいです。
前回は、書店で店員さんに見つけてもらうようお願いしましたが、、探すことができず、かわりに私が見つけてきました。

今回は藤井ふみやさんが登場しているので、ファンの方が今回だけ買いあさったと勝手に思っています。

できれば、あまり見立たず、隠れ人気雑誌程度で売れてくれればと思っていますが、確実にこの雑誌の素晴らしさを発見して購読している人が増えているんだと思います。



今回も穂高健一さんが、連載で大崎上島のことを書いて戴いています。
【新連載 ミステリー小説】海は燃える 第5回 神峰山

穂高さんの小説のジャンルはミステリーですが、島の歴史、文化保存の提言など、島の人以上に島を理解し、大切なテーマを、登場人物を通して投げかけてきます。


大崎上島に関する小説は、少ないですが、その中でも、島の歴史に興味のある方が読まれると、きっと感動される小説の一つだと思います。

斎藤 潤さんもそうですが、地元の人でも忘れた歴史を短い滞在期間で会話から引き出すなど、さすが「島プロ」だと思います。


幸いネットでも注文ができますので、是非 一度この 雑誌に目を通して戴ければと思います。

私も書店で探すのがそろそろ疲れてきましたので、購入方法を切り換えようと思います。

近いうちに穂高健一さんの作品を紹介できるようになればと思います。



つづきはこちら

大阪商船航路案内にみるデザイン展「浪漫航路へのいざなひ」

今回、大阪商船航路案内にみるデザイン展の展示物の中に、大三島が登場していて驚きました。

かって、宮本常一さんが、本の中で「昭和の初期までは、大三島は宮島に匹敵する観光地だったが、いつの間にか、ひなびてしまった。」と説明されていました。

大阪商船(現在の商船三井)のパンフレットの中でそのことが確認できました。

私にとって歴史的発見の日でした。

今日撮影した画像を載せますので、活字を確認できると思います。
懐かしいけれど、新鮮です。











宮島のパンフレットにInland Seaと英語で書かれている。
安易に和訳に頼らず、イメージで概念を思い浮かべてみた。
内海、という訳もあるだろうけれど、豊かなるプールみたいなものと捉えてみた。
ちなみに、地中海は、the Mediterranean Seaと呼ばれ、「大地の真ん中」という意味の造語だそうだ。

ある中国人は、はじめて瀬戸内海を見たとき「日本にも大きな川があるじゃないか!」といったそうだ。
西洋人は、鎖国状態であった江戸時代に日本を訪れ、「Inland Sea」と他の諸外国の海と比べても素晴らしい景観だと絶賛した。

海の概念、島の概念のとらえ方にふくらみがある。
瀬戸内海の歴史を考えると、否定的概念にとらわれる傾向が残念ながら日本人には多い。
陸から見た日本を語ることは多いが、海からみた風景・日本を語る人は少ない。

海と対話できる日本人が多くなれば、メンタル面でも改善されるだろうに。

人間は俗な生き物だから、我欲に執着する傾向が多い。

執着して行き着く先・物質社会がすべてではない。

瀬戸内海の神様は、長い歴史の中で、人々が生活の場で繁栄した時代、そして数々の自然破壊、今や過疎の時代、人がひいた状態であり、自然が蘇生できるチャンスだと思っているだろう。

遠浅の海、干潟、浅瀬の豊かな自然体系をことごとく干拓したりコンクリートの護岸にしたりして、傷つけてきたので、嫌気がさし、ちょうどいい気分転換になっていることだろう。

所詮、人間は風見鶏。

今は過疎だけれど、歴史の中の一こまと思えば、いずれ人がその価値に気がつき、振り向く時代がやってくる。

島の価値を知り時間のずれを楽しむことができるのは、心の余裕がなければできない。

生活に間を持つことができない規格にはまった人間が増えたのだろうか?
日本人ほど働いて、心をいやせる場所がない民族はいないのではないか。



Inland Seaが本当に自分の中で、確固たる価値をもったときに、いろいろなことを瀬戸内海は語ってくれるようになるだろう。

ということで、小西和さんと『瀬戸内海論』の中で出会うことにしよう。



ウイッキペディアから

「瀬戸内海」の誕生

瀬戸内海という概念が誕生したのは、江戸時代後期とされる。それまでは和泉灘や播磨灘、豊後灘、安芸灘など、より狭い海域の概念が連なっているのみで、現在の瀬戸内海全域を一体のものとして捉える視点は存在していなかった。

とはいうものの、江戸時代の「瀬戸内」は現在でいう「瀬戸内海」とは必ずしも重なっていない。1813年に書かれた佐渡の廻船商人の旅行記『海陸道順達日記』では尾道と下関の間を「瀬戸内」と呼んでいる。

「瀬戸内海」概念が今日のようなものとして確立される契機となったのは、明治期に欧米人がこの海域をThe Inland Seaと呼んだことによる。欧米人がこのように呼んだ海域を日本人の地理学者たちが1872年頃から「瀬戸内海」と訳して呼び、これが明治時代の後半には人口に膾炙していったのである(ただしこの時期の「瀬戸内海」は明石海峡から関門海峡までの海域を指していることが多く、現在のようなより広い海域に「瀬戸内海」の概念が拡張されるには、さらに時間を要した)。

日本人による最初のまとまった論考は小西和の『瀬戸内海論』(1911年)である。この中で小西は瀬戸内海を一つの大きなテーマとして捉えることの必要性を指摘するとともに、瀬戸内海の多島美を積極的に評価した。小西は「国立公園」を日本に作ることの必要性も併せて指摘し、帝国議会に国立公園の設置を建議した。この建議を容れて国立公園法が制定されたのは1931年で、1934年3月16日の第1回指定で瀬戸内海は雲仙、霧島とともに日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」となった。





なにわの海の時空館

なにわの海の時空館に、空いた時間に行ってきました。

HPに、

11月20日(土)・21日(日)・27日(土)・28日(日)
関西文化の日:無料観覧日!!
今年の秋も時空館は関西文化の日に参加します。
今年は、週末4日間を無料観覧日として、お客様のお越しを
お待ちしております。
当日はアンケートを実施いたしますのでご協力よろしくお願いします。

という内容で案内がありましたので、「無料」という言葉につられて見にいってきました。









館内は駐車場も待ち時間が必要なほど、沢山の方が来られていました。
5月の連休中など、まったく人が来ていなかったので、それと較べると凄いことです。

小学生も社会勉強をかねて、団体で訪れていました。

また、大阪商船航路案内にみるデザイン展「浪漫航路へのいざなひ」の資料が展示されていました。

この展示品の中に、昔のパンフレットがあり、貴重なものがありましたので、撮影してきました。
今回は時間の関係で載せることはできませんが、レアな資料です!


また、アンケートにもこたえてきました。

平成22年8月に実施された大阪市事業仕分けにおいて、「なにわの海の時空館」の運営事業について議論され、「不要(廃止)」という判定がされました。

判定理由・アンケートなどを含んだ概要はこちらにまとめています。

事業仕分けの結果一覧表PDF

収入が支出の1割以下で毎年3億円の経費を投入している、将来の事業計画など、窓口で頂いたアンケートの実施概要の中に説明されていました。


個人的な意見を述べさせてもらえば、こういった海の資料館は、凄く大切ですし、年に何度か無料の日に利用させてもらっていますので、アンケートでは「存続して欲しい」と回答しました。

ただ一番の問題点は、今回「なにわの海の時空館」の担当部署は大阪市港湾局なのですが、海の事業に関する事業を例にとっても、国、県、市で港湾施設のある都道府県には類似、重複した事業(箱物を含む)があるケースが多いことです。

縦割り行政の悪い点で個々の権益を守るあまり連携がとれていない、本来の事業目的と乖離した方向に進むことがほとんどで、結局は納税者である国民は、無駄であることを知らないまま、赤字補填が繰り返され膨大な額に膨らんで取り返しのつかない事態に陥ることになる。

事業仕分けにひっかかる前に、市民に対して利用促進を図るようまじめに取り組んでいたなら、こんなことにならなかったのにと思います。


浪華丸の建造費は10億円だそうです。
私にとっては、10億円以上の価値がありますが、そうでない人、また浪華丸の存在も知らない人も多いと思います。

色々な海の道につなげることのできる貴重は廻船ですので、無駄にしないでほしいと思います。

第三 芳栄丸の正体

大崎上島の造船の歴史を詳しく紹介してくれているサイトに、松浦造船 日記がある。

以前、木江ふれあい郷土資料館で、デジカメで撮影した画像(ぶれた状態の画像沢山あり)に和船の建造風景があったので紹介したことがある。

その中に、第三 芳栄丸が写っていたのだが、この船、松浦造船所が作った船であることがわかった。

言われてみれば、写真の中の人物(といっても面識はありません。)『宮司さんがこられ、建造の安全を祈願』の中に写っているのだろうか?よく似ている。

どちらにしても、木江ふれあい郷土資料館 の資料は見る人が見れば分かるけれど、貴重なものが実に多い。

木造船建造の技術がどんなものだったのか、今更探そうと思っても大変なことだけれど、当時の画像をみると「船の建造に賭ける意気込み」がどんなものだったのかわかってくる。


大きな地図で見る


また、先日 デジタル造船資料館の委員の方から「木江工業高校の資料を提供してもらいホームページに載せています。」とのメールを戴いた。

(資料が掲載していることは、事前に知っていましたが、自分自身の頭の整理ができていないので、ホームページのリンク紹介にとどめていました。)


もともと、瀬戸内海は、「瀬戸」の「内海」と言う意味からで、畿内と九州を結ぶ航路として重要視されてきた。

豊かな海が育んだ文化だと思う。

これだけ往来の盛んな場所が、今時の「離島」なんて言葉で表現できること自体おかしいし、そんな軽い場所ではない。(偏屈だね、私は、)


潮待ちの関係で大崎上島ので木江沖、大崎沖は、九州から畿内に向かう船の重要航路として位置づけられていた。

歴史の要衝だから瀬戸内海を全体として見ると、歴史的文化財が多い。
対馬に向かう船上の防人達の気持ちがどんなものだったのか、想像できないほどつらかっただろう。


時系列を無視して好き勝手に船や海の事を書いているけれど、日曜日は、大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館が無料開放してくれるようなので、見学に行きたいと思います。

年間で、5回ほどいっていると思います。

菱垣廻船「浪華丸」がどれだけ巨大で、当時の和船が如何に凄かったか、実際の映像をショートフィルムで公開しているので、みてもらえればと思います。
材木の安定した供給を図ろうとすると、山の維持・管理は各諸藩は、しっかりしていたに違いない。







新発見・「ゆったり宝島」の大崎上島


機帆船のできるまでの流れ

広島県の人口移動

広島県における高齢化率及び後期高齢化率について

資料があがっています。

以下抜粋

総務省から平成22年7月31日付けで公表された住民基本台帳(平成22年3月31日現在)に基づいて,広島県における高齢化率及び後期高齢化率を算出しましたので,お知らせします。

    広島県の総人口……………2,856,308人
    65歳以上の高齢者人口………669,049人
    高齢化率…………23.4%
    75歳以上の後期高齢者人口…329,713人
    後期高齢化率……11.5%    


高齢化率(65歳以上)  











後期高齢化率(75歳以上)









大崎上島は県内で、高齢化率は、43.5%とトップになりました。
私は、専門ではありませんが、高齢化=老人の定義が、昔とくらべ平均寿命が医療の進歩により飛躍的に伸びており、当初の定義とずれていること、また、そのことが、ややもすると 年金資金、社会保険等の負担増を招くなど、マイナスイメージになる傾向が少なからず社会の風潮としてあると思います。

日本社会が定年の定義を見直し、生涯現役で引退しない社会に再構築すべきだと思います。
年金制度のゆがみが社会にマイナスに働いています。
今時の政治家は、リスクをとってまで改革しようとしませんが、のんびり構えた状態でいられるほど、時代の波は遅くはありません。

書くだけなら簡単なことですが、その前に、政治改革を国民の手でしなければいけないでしょう。むしろこのことのほうが重大かもしれません。


ウイッキペディアから

高齢化社会という用語は、1956年(昭和31年)の国際連合の報告書において、当時の欧米先進国の水準を基に、7%以上を「高齢化した (aged)」人口と呼んでいたことに由来するのではないかとされているが、必ずしも定かではない。一般的には、高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)によって以下のように分類される。
高齢化社会 高齢化率7% - 14%
高齢社会 同14% - 21%
超高齢社会 同21% -

日本は1970年(昭和45年)に高齢化社会に、1994年(平成6年)に高齢社会になり、2007年(平成19年)には超高齢社会となった。




人生とは、長生きして楽しむものだと解釈すれば、喜ばしいことだし、長寿国になれるのは、それだけ社会整備が健康面まで行きとどいている証明だと思います。

70になっても現役の社長さんたちは、老人ではありません。
なぜなら、従業員ではありませんので、労災もない。
法律も、ころころ変わる、無駄な税金はどんどん増える。
報酬も得る代わりに借金もしなければいけない。
社会情勢の変化についていかないといけないから、気が抜けない
緊張感が人間の歳をとることを許さないのでしょう。

これは極端な例かもしれませんが、価値観を変えるぐらいのインパクトのある世直しをしないと、今の制度では、既に行き詰まっています。



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