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広島県「瀬戸内 海の道構想」に係る実証事業の概要

今朝書いた内容と180度変わりますが、ご了承ください。

(まっ、誰も読んでいないから)

広島県「瀬戸内 海の道構想」に係る実証事業の概要

湯崎知事の目玉の事業です。

定款と違ったであろうNPO団体も急遽参戦したりと


助成金ありきで初めて実現可能な事業なのか、


それとも、目的と合致した団体が参戦したのか、


答えは明白です。


NPO法が平成十年に出来て、

行政改革など予算削減の中、当初は、市民の為の団体だと期待されましたが、

実態は、収益・事業がなければ、存続できない等、

大変厳しい環境にあると思います。

また、税法上のメリットを利用して、申請主義のため書類さへ不備がなければ、

スルーできるなど、色々な組織 法人 役員などが、利用しようとしてきました。


しかし、あくまで、NPOの監査責任は地域住民の目が必要となります。


湯崎知事の

「瀬戸内 海の道構想」は、

広島県のホームページでは、

情報公開の点から、しっかり、

公報資料はあがっています。


当初から、私のHPでもチェックしていまし、Twitterも入っています。

しかし、予算が少なすぎますね。

一案件に1000万だと、

{おお、すごいじゃん!」

と思いますが、

公募12件の総予算が1000万だと、

単純計算しても、100万以下になります。


(わたしのつたない読解力のなさから来る間違いならいいのですが!)



果たして、交付金事業で予算・執行して、

「成果があがるのか?」

と単純に思います。


ちょっとした、販促・印刷物を作って公報するだけでも、

すぐになくなってしまいます。




海の道構想には、古い町並みとして、

例として、木江が例示であげられていますが、

木造建築物の増改築をするだけで、


予算なんて吹っ飛んでしまいます。

つまり、

事業といっても、

予算内で納めようとすると、

地域社会の存続に十分な予算ではなく、

あくまで、

「打ち上げ」

「宣伝程度」

で終わってしまうんじゃないだろうと思います。


(どういった、概算で県に予算をあげたのか、住民審査で要求してみたいですね。)



結局、行政や国の広報宣伝の為に、

少額を財政的にも組織的にも不健全なNPO団体や、民間企業に下ろす

こういった、二重構造が存在する限り、

絶対、この国はよくなりません。




NPO法人の自立を促し、行政をスリムにしたいのなら、

もっと、現状のザル法といわれている

特定非営利活動促進法を改正し、住民も組織もメリットもデメリットも生まれる

連座制にしないといけないと思います。

(人件費の分配はできても、内部留保はできない、単年度勝負では、運営などできません、しんどい。そうなってくると、必然と余生を楽しむ人とか、副業のある人の集いの場所と化してしまう。)


湯崎知事には、Twitterでツイードするなり、メールするなりしようかなと思います。



こんな、アホなことばっかりやって、

見せかけの町づくりをやっていても、


結果はわかっています。

国交省が作った

人の来ないフェリー乗り場や、

無人島の湾岸工事以下の予算が、

県の助成事業の予算だなんて、

こんな権力の二重構造、

差別に近い行政をやるようでは、

終わりですわ。

中山間地区に住むってことは、

決して安くはあがらないのです。


こんなことを考える私はアホなのか?

情けない。





ちなみに、
農山漁村(ふるさと)地域力発掘支援モデル事業は、事業仕分けの結果廃止となりました。

県政色々




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人間力を育てる船べんプロジェクト始動


人間力を育てる船べんプロジェクト始動

(公報9月号から)
広島商船高等専門学校は、地域協力者(山陽商船、観光ガイドや生産農家、栄養士など)と大崎上島町・竹原市の協働で総勢名からなる地域教育プロジェクトを年月に始動しました。

テーマは親子で挑む大崎上島竹原船べんの開発交流体験ツアーの実験です。

このプロジェクトは、地域の歴史と文化を勉強しながら地域資源を再
発見し、船で食べるお弁当と観光ガイドを開発してフェリーで実践する
ものです。

ねらいは、家庭教育や学校教育の枠を越えて地域人材と連携する地域教育を通して、子どもたちの人間力を育てることにあります。

一生懸命勉強に挑む小・中学生人とその保護者は、調整や準備などの進行を管理する学生とたけみかん姫チームを結成しました。


コーディネーターの流通情報工学科岐美宗(みちよしつかさ)教授は地域を愛し誇りに思う子どもを育てたいと期待します。

また、学生スタッフの流通情報工学科年の中川朋美さんは親子がお互いを見つめ合い、親子の絆や地域とのつながりが深まるようにプロジェクトを進めたいと意気込みを話します。


今後も大崎上島と竹原で歴史・文化と食材の栄養バランスの勉強、さらには発声練習や料理教室を重ね、月日に、開発した船べんの紹介と山陽商船のフェリー船内で観光ガイドを実践しながら交流体験ツアーを行います。

ご期待下さい。


たけみかん姫チーム
大崎上島の特産品を探そう! 

イベント出展:国立 広島商船高等専門学校

櫂伝馬の歌 島の若者に


中国新聞から '10/9/4


広島県大崎上島町の若者が櫂伝馬(かいでんま)をこいで宮島(廿日市市)へ向かった6月の航海を、海田町の俳人井上気海さん(65)が歌にした。

島の知人と一緒にゴールで出迎えた感動などを基に、島の伝統を受け継ぐ若者の姿をたたえている。

 「男度胸の大崎衆が 海を行く 旅する櫂伝馬」―。

タイトルは、実行委が企画した航海の名称と同じ「旅する櫂伝馬」。

3番まであり、演歌調の曲は知人に頼んで付けた。

 大崎上島の句碑や寺を、5年前ごろから何度も訪問。

櫂伝馬を見たことはなかったが若者のチャレンジ精神に心を打たれた。

駆け付けた宮島では「感動をありがとう」と記した横断幕を手渡した。

 俳人として作詞もするため、歌づくりを決めた。

「グローバルな時代だが、郷土愛あってこそ」との思いで、若者約30人が約75キロを2日でこぎ切った情景を歌詞に込めた。

【写真説明】櫂伝馬競漕を初めて観戦し、島の若者への感動を新たにする井上さん

(8月、大崎上島町東野)

平成22年度 広島県いきいき地域づくり賞受賞団体

地域振興や地域の活性化に顕著な功績のあった団体を表彰する

「広島県いきいき地域づくり賞」で レッド・レディース(大崎上島町)が選ばれました。 よってみんさい屋がレッド・レディースとは、凄い!  この島の自慢のコミュニティールームです。    今後も、がんばって欲しいと思います。

大切に活用して欲しい文化施設

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大望月邸のこと
 

 大望月邸のことは、合併時の時からずっと書いてきました。


  この島にとって文化灯台の意味もあり、また、合併前には、資料館をして再生するために、何億もの、貴重なお金を投資して手直しをしてきました。

歴史資料館なのですから、歴史の学習が目的です。


最近、この資料館が「遊び」の場として利用されたとのコメントを戴き、愕然としました。


子供は悪くありません。

主催者側の問題 

大人の思慮、常識の問題です。

極端なたとえですが、

「広島の原爆資料館」が、彼等のおこなった利用目的の場所として、

  提供されたとすると、どういった反応が市民、県民から来ると思いますか?

人口の大小の問題ではなく、常識の問題です。


歴史と全く関係のない私的流用など、「大望月邸」にはありえません。



この島で思うのは、

「この島の文化を大切に保護しよう」

と表に出ずに、尽力されている方と、

「利用できるものは、徹底的に利用しよう。」

と趣旨を理解されず、

無邪気に振る舞う目立ちたがりやさんです。



大変、貴重な文化的イベントを回数は少ないですが、

この大望月邸では開催されています。


特に東野地区の文化学芸員の方達の

努力は大変なものだと思います。


できることなら、

本来の目的で使用・活用していただき、多くの人に、

大崎上島の歴史を認識・確認していただくことが、

この島に尽力されてきた人達の願望でもあります。


利用するにしても、こういったことが、

配慮できないとは、地域の理解度の欠如を如実に現したに他なりません。

呆れました。


 

癒えぬ深傷

以前も、書いたことがあるけれど、

パソコンにストックしてある、

「ポンポン船の旅」

倉掛 喜八郎 著 大阪書籍 版
クラガケ,キハチロウ オオサカシヨセキ 
1986年05月 発行

で生野島のことが扱われていたので、再度、読んでみることにしました。


この本のことに関して、

大崎上島を卒論のテーマにされた、

アリストテレスな時間:倉掛喜八郎著「ポンポン船の旅 瀬戸内漂白に町興しに関連して詳しく書かれています。



生野島(広島・東野町)



白い一本道を峠まで上がると、見渡す限り色づくみかんの段々畑が広がっていた。

雲ひとつない青空。弧を描く入江、連なり重なる島々は和かな秋の陽に包まれている。

絣のモンペに地下足袋、色褪せた打出の小槌の模様の前掛けをしたおばさんが足元の短い影を見つめるようにうつむいて上がってきた。

白髪頭、陽焼けの顔に深いしわ、節くれだつ両手。

戦争が人生の歯車を狂わせた。大阪の空襲に遭い焼けだされ、戦後二十二年に無人のこの島に入植、開墾。

苦渋の幾年月―暮らしは今も昔もつつましく、不便なままだ。

「夫は町の暮らししか知らず、慣れない仕事の苦労がたたって長患い。三十をとうに超えた一人息子に嫁がこんで……」とまた、うつむいて峠を下る。


「お達者で・・・・・・」、振りかえったその顔にかすかな微笑み。

一家の住む月の浦への野辺に晩菊、あざみ、鳳仙花。磯辺の木立ちの間に数軒の捨て家。


せがむ子のない庭に山桜桃が熟す。雨風にさらされる破れ障子の暗闇に無言のつぶやき。


小鳥のさえずり、磯に群れ遊ぶサヨリ、フグの子。一見平和な風景の島影に、癒えることのない戦争の深傷を負い、ひっそりと暮らす人がいる。やり直しのきかぬ人生――。

せつなく悲しい。

島々を歩いてみると、じっと海の彼方を見つめる年寄りが多くいる。

海のかたの幸せを夢見ながら歳を重ねて、島を出ることができなかった人たちであった。


戦争の痛みをそれぞれが胸に刻んでいた。


と書かれています。


また、最近では、生野島の魅力に魅入られた体験を書かれた店長さんの

「店長日記」には、苦難と戦いながらも、たくましい生野島の人が描かれています。

この方のサイトも、しっかり基礎から研究され、さすがと納得できる内容のブログです。

さすが、書物を扱われ長い間経験された職人さんに近い文章は凄いと思います。


こうした、諸兄の先輩方と、私の年齢はおそらく、二回り以上違うと思いますが、

(世代間の格差は当然あります)

敢えて、私的生野島論を述べさせてもらうと、

戦わずして生活できなかったリアリティの時代と、

物質的に行き分かった環境でのイマジネーションの時代では、

時代そのものの扱い方に違いが出てくる。


倉掛 喜八郎さんが書かれた、「生野島」と、「癒えぬ深傷」は、

この場所だから、

書くことのできた内容なのだろうか?

深い相関関係を、感じることができませんでした。

他の、内容、

夫婦行商船
大崎上島 (広島・木江町)

母-島を動かず
斎島 (広島・豊浜町)

などは、「なるほど」

と納得できるものですから、

ちょっと残念でした。


それと、もうひとつ

福本清先生が編集された、『生野島物語』は、生野島やわらぎ会が、1985年に出版されました。

在庫は、なんと国会図書館の蔵書でヒットしました。

最近では、地元の金原 兼雄さんが、関連書物をだされているようです。

市立竹原書院図書館でヒットしました。

ページ数から判断すると、資料集め、裏付け取材など、

今となっては厳しいのかもと推察します。



足利浄圓師の「光輪」を読んでいますが、

仏法書なるものを、読んだことのない、

(逆に、現代の「仏教界の堕落」の本は読んでいる)

ミーハーな私にとって、足利浄圓師の柔軟な発想を知るにつけ、

一体、どんな人間関係が生野島であったのか、

知りたくなりました。


近くて、遠くにあった生野島

迦洞無坪に

山頭火の訪れた島として、

生活で生きることを実践してきた島


理想郷と逆行し、もっとバブルにふさわしくない場所で、観光開発に挫折した生野島

難を逃れた原生の入江


50年近く経過して、

現代の武器 パソコンで、検索しても、

真実は、遙か彼方です。

ゼロから

人が生きる

歩く

進む

大変なことです。

到底、私には、わかりません。

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