今回 息子をつれて我が故郷 木江に帰ってきた。
すでに年齢も50前ということもありこれからの人生もそんなに長くないだろう、
また今後のことも考えると、整理しなければいけないこと
墓が木江にもあり、兵庫県にもすでにある
つまりもしかすると、家の墓に自分のなきがらが納まらない事態になるかもしれない
また、地元との縁もなくなり家の管理などの問題も出てくるだろう
そういった事態に陥らないために長男である息子をつれて帰省するはこびとなった。
彼にはすべて状態をみせて説明しておかなければいけない。
木江は密集した造船の町だから、時間をそんなにかけなくても回ることができる。
一度も息子を蜜柑畑につれていったことがないので、一緒にお昼からノコノコと散策
母親の説明だと、つたが張ったジャングルの状態なので登れないとのことだったが、畑に近づくにつれ、わかったのはジャングルではなくすでに森に返っていたことだ。
蜜柑の木は判別できる状態ではなく、おそらく鳥が運んだであろう種から木が生えたのだろう、丈の長い木がお構いなしに畑一面に伸びていた。
頂上に至る道もすでに判別できない状態で、とても、スニーカーに普段着の格好では登れる状態ではない。
歩こうものなら、オナモミ(方言でがんぼ、っていってたかな?)の餌食になって服、ズボン一面種子がついて目も当てられない状態になってしまう。
ジャングルの中を行進するのは冒険心からいえば楽しいことなのだが、帰省する服のことを考えると拷問に等しい。
道半ばにして、早々と棄権することに決めた。
そのかわり、畑の近くに生前お世話になったおばあさんの家があるはずなので、どうなっているのか覗くことにした。
家自体は状態はいいほうだろうが、やはり一部痛み出している。
天井が抜けるのも時間の問題だろう。
故人のことを考えると、思い出と、なんとか綺麗な形で残らないものだろうか、思わず悔しさと懐かしさで目頭が熱くなった。
こんな山奥の蜜柑山でも人の声がこだましていたのに・・・・・・
帰省して昔の級友の家を通ると、すでに無人となり廃屋となり、魂が抜けた、抜け殻になっている。
今まで、どうしても写真を撮影することは生理的にできなかったが、今回はこれが最後と思い何枚か画像で保存した。
木江の町に帰って一番つらいのが、こういった風景に出会うことだ。
都会では、再開発の下、投機として棲家を追われ、あっという間に家は壊され更地にされ巨大なビルが建ってしまう。
人の印象も地域の愛着も、心の原風景も抹殺され、脳裏には蜃気楼さへも思い浮かぶことはできない。
これが資本主義なんだといえばそれまでだが、少なくとも田舎というコアな社会と接点を持つことにより、マクロな社会の本当の姿、実態をつかめることができる。
少なくとも、木江に帰れば、昔の魂を思い出すことができる、出会うことも可能だ。
人間関係が希薄で点となってしまった都会では、決して経験することができないだろう、
時間の流れ、人と人との営み、濃密な魂がここには形として存在する。
人生とは本来楽しむためにあるのだが、そういったメンタリティーになれない悲しい日本人が多い。
日本全体がウツ状態といってもいいだろう。
田舎では山田洋次監督の東京家族が1月19日の放映されることで話題が持ちきりだ。
できることなら、映画の内容を話題にして欲しいと思います。
いっこうによくならない若者を取り巻く雇用環境
非正規社員の多いこと
レトルトばかりで人の温もりの感じることのできない食生活
どれもこれも、刹那的でゆとりとは程遠い
人に優しくない社会
島はおそらく人口は減ることはあっても増えることはない
それでも、魅力ある島であり続けることは可能ではないか?
「夢は努力する人がつかむことができる権利である」
できることならこれからも永続して欲しいと思うし、また可能な限り応援していきたいと思います。
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