話は、かなり飛んでいきますが、散文体人間なので、ご了承ください。
題して資本主義社会は、人を幸福にする社会か?
常識だけど・・・・
資本は、我々が生まれるはるか前から、世界を飛び越え、結びつきコストダウンのため安い労働力を得るため世界中の貧困を土中からあさり続けている。
第三世界は、地球のどこかに常に存在させなければいけない。
弱者・・・
30年前のバングラデシュは、貧困にあえいでいた。
ジョージハリスンのバングラデシュコンサートは1971年だった。
私は、今、広島で瀬戸内少年だった頃から、ワープして、いつの間にか、大阪に住んでいてなぜか2人の子供の父親となっている。
しかし、それでも、いつまでたっても、子供が物貰いとなり路上で旅人の足をつかみ食べ物かお金を要求する、いつもの生臭い悪臭の漂うバングラデッシュの風景はいまだ、かわらない。
街中でも人道主義を掲げ、貧困の象徴にいつものごとく定番の黒人の少女のポスターが写真で使われている。
黒だから肖像権も関係ないのだろう。さすが、資本万能主義!銭の力は偉大だ!
白人、あんたはえらい!
こうして考えると人道主義も資本主義がベースのいわば、自分への慰め(Masturbation)なのかもしれない。
いいことしているから、救われる!?
それだったら、最初から宗教が人を、人類を救っていたはずだろう。
拝んでも、空腹のお腹が、腹一杯に満たされることはない。
貧困と宗教が結びつくことは簡単なことだけれど、許せないのはやはり人間
そう宗教も人類の最大の発明かもしれない。
あぁ、これじゃマルクスの唯物論が宗教の絶対定義をしてしまったことに、なぜか納得!
貧乏を貧乏のまま
金持ちは金持ちのままであればいい
宗教は宗教のままであればいい
そう、マルクスは、マルクスのままでいればいい
世界機軸通貨であるドルをもとに圧倒的輸出力で、資本主義=豊かさの象徴として植えつける。
格差を生むことにより、支配的圧力を高める。
当然のことだが、経営ではよりよい効率、利潤追求が第一目的とされ、逆にいかにシェアするか、富の分散と人間の平等の機会をあたえる方法を教えようとはしない。人間の感性とは、鈍感であり、当事者にならないと理解しようとする第一歩を踏み出せない。
最近は教育現場の荒廃が顕著になっているが、現象面でとらえれば、資本主義経済が熟成すれば、すなわち、弱肉強食、餓鬼状態になればなるほど、末端の労働者 、いわば聖域といわれている教育現場でも当然、侵食し、古い概念を破壊していく。
教育って、博愛主義じゃなかったの? いやいや、そんなの古い、新自由主義のもと、弱者は強者に喰われる社会の鏡なんだよ・・・・。
そもそも、ピラミッドを作らないと、上がおいしい飯がくえないじゃん。
儲けのためならそれまで非合法であったルールも合法にするモラルなき社会が資本主義社会の真実の姿であり、考えてみれば、戦後から現在に至る大家族の破壊、核家族の促進、そして、今まさに、個人主義、 断絶した世代へと移行している。
より経営効率のよい方法が必要である
トラップは社会の中に、我々の日常に巧妙に仕掛けられる
都合のいい個人主義・責任の徹底
死ぬのは、あんたの勝手だよ、
また一人、自己責任の代償でこの世から命がなくなっている
資本の呪縛にとらわれないための幸せになる方法をなんとなく次回は書いてみたい。
たぶん、おそらく
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