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海里山、地域の再生へ

昨年11月、大崎上島文化センターで瀬戸内海沿岸部の海里山の歴史と文化(法人かみじまの風・九州大学応用学研究所等共催)をテーマに、シンポジュームと民俗学者宮本常一の記録写真展が開催されました。
シンポジューム当日、文化資源としての藻と松と題して講演した印南敏秀さんは、大学生の時から宮本常一に師事し、共に瀬戸内海の沿岸部や島嶼の調査研究を続けてきました。
生活文化から考える地域づくりについて聞きました。

海里山、地域の再生へ
生活文化をたどると、これからが見えてきます


印南敏秀(愛知大学大学院文学研究科教授)

シンポジュームでは、藻と松を通して瀬戸内沿岸部の人々の生活文化の発見を試みたわけです。

かつて瀬戸内沿岸部では、藻と松は生活のなかで幅広く活用され、どこにでもふんだんにありました。ただし自然のまま放置したのではなく、採り尽くさないように共同体で管理し、持続的に活用していたのです。

ところが化学肥料やプロパンガスなどを使うようになって、長い間肥料や燃料しとして生活をささえていた藻や松は、急速に失われました。

沿岸部の人々には、あまりにあたりまえすぎたのと、科学知識偏重のなかで、経験知の大切さを忘れてしまったからです。

海に種まく漁民で広く知られている日生漁港の、アマモ再生の取り組みの始まりは、定置網漁師の魚は獲れなくなったのは、藻が減ったからではないかというつぶやきでした。

いつも海を見ていた漁師の経験知が、アマモと海産資源の密接な関係性に気づかせたのです。
生活文化のなかで生まれた経験知をもっと大切にすべきだと思います。
宮本先生は全国の離島・山村を歩く先々で、民具を集めなさいと勧めました。
文化財として位置づけよというのではありません。
民具を通して昔の人の生活を知り、昔の人々が暮らしをよくするためにどんな工夫や知恵を働かせていたのかを学んでほしいと願っていたのです。

それが、さらには人づくりにもつながるからです。民具を調べたり記録したりすることを通して、地元への愛着や興味が湧いてきます。
民具は具体的な対象で、生えぬきの島人もU・Iターンの人もいっしょに取り組め、互いに学び合えるのです。

また弓削島の女性グループが、はじめてお年寄りの話を聞いて記録した報告書を読みましたが、地域の特性が見えて興味深いものでした。
地域づくりを考えるとき、目標とする生活をどこに置くのかを定めることも大切になります。

おおいに議論することが大切ですが、地域の特性を活かすのが鍵です。
その特性は生活文化の中にこそこめられているのです。
そのためにも身近な生活文化の掘り起しが重要なのです。
宮本先生は晩年、故郷周防大島で郷土大学を始めました。
志半ばで急逝されましたが、これから島をどうしていくかの足がかりとしたかったのです。
地域づくりは場所や時代によって手法が異なります。
地域をよくするために、島民自らが難しい課題もあきらめずに地道に取り組むことが基本です。

そこに大島を愛する旅人が気軽に立ち寄って交流する、そんな大学を故郷につくりたかったようです。

ところで先の大崎上島訪問の際、月の浦(生野島)のアマモの豊かさに驚きました。
今や瀬戸内海の藻場はどこも瀕死の状況だというのに。これを生かさない手はないように思いますが、どうでしょうか?


大きな地図で見る





印南さんは、小西和の『瀬戸内海論』の現代版といえる『瀬戸内海事典』(南々社)に編著したり、周防大島と縁のあるみずのわ出版から本をだされたりと、瀬戸内海海洋文化のキーワードになる人だ。



残念だなと思うのは、受け皿作りで、せめて共催の団体のいずれかが、ちゃんとした資料を、広報であげることにより、大崎上島のみならず、国内の研究者にも注目されることにつながると思う。町興しにもつながる。

チェックしていると、反省会は打ち上げのみでなにもなしとの自嘲ぎみのコメントがあり、魂をいれる作業まで神経が届かないのかなと思います。


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新しい年に臨む、大崎上島町長に聞きました

広報一月号から

内容の濃い1月号となっています。
海里山、地域の再生への提言 
月の浦のアマモを昨年訪れたので、写真を何枚か撮影しましたが、あれは海のダイヤ、ゆりかごです。県・国の重要保護水域にするべきものです。



原生の姿がみれる希有な場所なんです。ここは。
資料も調べましたが、広島大学の方がアマモの状態を観察されただけで、図書館でも、取りあげてくれていません。
櫂伝馬が伝統の宝なら、この場所は瀬戸内海の自然の宝です。
価値を理解されていないだけで、水中カメラが入ると、驚くべき生態系が発見されると想像します。
NHK広島さん、是非 夏はこの場所を取りあげてください。
圧倒されます。
今風の言葉でいえば、間違いなくパワースポットです。
月の浦はもっと大切にされなければいけない場所です。


それと、交通問題
どれも、重要なテーマばかり、町民が真剣に考えて頂きたいことばかり。

なんだか、目の敵にされてきた当ブログですが、やっと主張が少し受け入れだしたのかなと思います。
ちょっとうぬぼれすぎ?

冗談はさておき、本来 地元から情報発信がメインディナーで、私のような2次情報主体のブログは、情報の整理が主な役割。つまり脇役です。



とりあえず、町長のインタビューから一部抜粋


過疎振興・離島振興の方向性は

過疎化は、高度経済成長期を経て築かれた社会・経済の構造から生じた問題、国全体の問題です。
一過性の事業で一足飛びに解消されるというわけにはいきません。
将来を見通した持続的な手立てが必要です。
人口が減り高齢化がすすむ。これは社会的な現象です。
これを憂い嘆いていても何にもなりません。
現状を冷静に受け止めて、今いる人の暮らしをどう支えていくか、今できることは何かについて、真摯に向き合いたいと思います。
わが国の食料自給率は危機的な状況と言われています。
安全性や安定的供給を考えると地産地消が望ましい。
経営耕地面積は減少していますが、島の農産物自給率は都市部よりずっと高い。
業としての農を離れても、家庭菜園づくりが高齢者の生きがいとなっていたり、ここへ移り住む人にとっては農的な生活が贅沢だったりします。
ここでの暮らしの価値や意味を、改めて見直してみるのもよいかもしれませんね。

町の産業についてどう思いますか

こんなに長い不況のなかで、町内の企業は雇用の維持に努めてくれていると思います。
地場産業の活性化は町の振興の鍵と考えています。
なかでも造船の若手技術者不足は気がかりです。
誇るべき大崎上島の造船技術を何とか継承したいものです。
農業では、施設野菜生産を中心に若手の意欲的な取り組みに期待しています。
国は経営の大規模化を推進していますが、島の段々畑ではそれが叶わない。
機械化もすすめにくく生産性も上がらない。けれども、農地を維持確保していくという視点からは零細農家への支援が望まれます。
これから求められるものは地域主権とは、自分たちで考えて自らの地域を作り上げること。
どんな地域でありたいかをしっかりと議論し、そのために知恵と力を出し合い、大崎上島地域としての自治力がつけば、この先さらに広域合併が進もうと恐れることはありません。
これからもっと必要なのは広い連携と協働です。
自分たちだけでは解決できないことも、他と連携することで実現の可能性が広がります。
主体性をもって誰(どこ)とどうつながるか。
官民問わず、求められています。



町のよいところ、遺したいもの、もっと活かしたいものは何ですか。

瀬戸内海は世界に誇るべき素晴らしい資産です。
町の景観や環境について考えるとき、瀬戸内海全体を見るという視点を外せません。
それから、やはり人です。
医師不足の時代に、わが町では各地域にドクターがいます。
後継者もあり、それぞれ地域医療に熱心に取り組んでいただいているのが有難いことです。
このほか福祉、経済、文化などあらゆる分野で、一人ひとりのたゆまぬ努力と営みによって町が支えられていることを感謝しています。
架橋は悲願ではありますが、橋の架からない島をわが町の特異性として活かす道を探るところから、新たな可能性が開けると思います。

つづく

海道を築く:/1 大崎上島「かみじまの風」理事・榎本江司さん /広島

 ◇櫂伝馬船で町おこし

 大崎上島町の伝統行事「櫂(かい)伝馬船競漕(きょうそう)」は、杉の木でできた長さ11・1メートルの櫂伝馬船に片舷7人ずつ計14人の漕ぎ手が乗り込み、速さを競う。伝統が残る町内3地区の一つ、東野地区(旧東野町)で毎年8月13日にある競漕の歴史は古く、江戸時代までさかのぼる。往年の水軍をまざまざとさせる雄姿は観光客らの心を捉え、町を代表するイベントとなっている。

 NPO法人「かみじまの風」は、この櫂伝馬船で町おこしに力を入れる。理事の榎本江司さん(69)は島で生まれ、63年に旧運輸省に入った。船舶測度官として全国各地の運輸局に勤務し、定年を機に03年、島に戻った。

 08年8月、町から同法人に、町おこしを支援する農水省「農山漁村地域力発掘支援モデル事業」を紹介された。町や観光協会、広島商船高専などと「地域協議会」を設立し、事務局長に就任した。事業に応募するためイベントを企画する必要があり、町内唯一の中学校、大崎上島中の生徒を対象にした櫂伝馬船の体験乗船を企画した。現在、事務全般を取りまとめる。

 昨年8月にあった第2回は、生徒約150人が参加した。4隻に分かれて沖浦港を発着し、約5分で回るコース。生徒から「体験ではなく競漕がしたい」と声が上がるほど盛り上がった。「島の若者に、櫂伝馬船を通じて島の歴史を知ってほしい。それが町の振興、過疎化の歯止めにつながるはず」と話す。

 観光客や修学旅行生向けの体験乗船、櫂伝馬船の伝統が残る周辺の島との交流など、地域振興策に知恵をひねる。力を入れるのが、造船技術の若者への継承だ。町内にいる造船の「名人」「達人」を発掘する。「『大崎上島出身』と胸を張って言える若者が増えれば、『島に行きたい』という人も増える。事業を通じて、町の魅力を発信しなければ」

 県が進める「瀬戸内 海の道構想」には「大崎上島には、瀬戸内海の中心であるという自負がある。真っ先に食いつきたい」と期待を込める。「大崎上島の良いところは人情と景観。過疎化は進むが、自分が75歳、80歳になったときに生活できるよう、若者にとって魅力ある町にしたい」【星大樹】

    ◇

 広島の産業や交通などの発展と、豊かな生活文化は、瀬戸内海の恩恵と切っても切り離せない。伝統の継承に尽力する人たち、新しい時代を切り開こうと情熱を傾ける人たち--。21世紀の「海の道」を築く人々の姿を追った。


かみじまの風は、HP、ブログもあるが、更新はされていない。
メルマガも、休刊となり、残念なことが多い。
住民も設立当初は期待した人も多かった。

瀬戸内・海の道構想、経済効果1兆円目指す 広島県案

日本経済新聞から

 広島県が策定作業を進める瀬戸内海の観光振興策「瀬戸内・海の道構想」の素案がまとまった。2020年までに広島県内の観光関連消費額を6000億円に増大し、経済波及効果1兆円をめざす内容。構想を具体化するための官民共同の推進機関を11年10月に設立する。構想の実現に向けては近隣他県との連携が不可欠になる。

 「手ごろな値段で地元のカキを味わえる。休日の新たな楽しみができた」。カキをお客が自ら焼いて食べる簡易施設「カキ小屋」。
カキ1キロを1000円で提供する。広島県呉市の海岸沿いに開業したカキ小屋には各地から夫婦連れなどが訪れ、満足そうに焼きガキをほうばる光景が見られた。

 カキ小屋の展開は瀬戸内・海の道構想の実証事業の1つで、県内各地に8~10カ所程度を開設する計画。冬季の新たな観光名所に育てる狙いだ。広島産のカキは全国的な知名度を誇るが、気軽に味わえる場面は限られていた。「
既に有名な観光資源も磨きあげることで新たな魅力を発信できる」と湯崎英彦知事は語る。

 海の道構想ではカキ小屋を整備する「ひろしまオイスターロード」のほか、本州四国連絡橋・尾道―今治ルート(瀬戸内しまなみ海道)を活用した「瀬戸内サイクリングロード」、瀬戸内海地域で芸術活動を展開する個人や団体をネットワーク化する「瀬戸内アート回廊」といった実証事業を展開する。

 島や町並みの景観、文化・芸術・産業、食材や農産物といった分野で点在する観光資源をつないで広域で集客することをめざす内容だ。「机上で構想を策定するだけにとどまらず、できる分野から具体化していく」(海の道プロジェクトチーム・後藤昇課長)方針だ。

 海の道構想の策定や実証事業の展開には「瀬戸内しまなみ海道の自転車道をはじめ、国内だけでなく海外にも育つ資源は数多い。積極的にPRしてほしい」(尾道観光協会)と観光関係者からの期待は大きい。

 10年夏~秋に香川・高松港や瀬戸内海の7つの島を会場に開催した「瀬戸内国際芸術祭」が当初見込みを大幅に上回る観光客を集めたことも、海の道構想の推進を後押ししている。

 ただ、構想実現に向けては県境を越えた連携が課題になる。湯崎知事は「中国5県知事会や岡山県知事との会談などで海の道構想を説明し、賛同を得ている」と話す。とは言え、具体的な連携に向けた動きはまだ乏しい。

 「観光客誘致は各自治体がしのぎを削っている。協力してもらうためには各県がどんなメリットを受けられるか示す必要がある」(観光関係者)との指摘もある。
 広島県の観光客数は06年の5799万人をピークに減少傾向が続く。
09年の観光消費額は2880億円で、目標に到達するまでは3000億円の増加が必要。ハードルは高い。11年秋に発足する企画や広報、資金調達の推進機関で、どこまで他県の関与を得られるかがカギを握りそうだ。(広島支局 菊地毅)




 瀬戸内・海の道構想の具体的内容は、まだ発表されていない。
瀬戸内サイクリングロードも既存のルートを利用するような印象だ。
岡山県と香川県の動きも、交通基本法を先じての政治的発言であり、広島県の対応がどうなるのか今後の動向が注目だ。
 広島県は中国地方では、中核の都市を抱えているが、もう覇者としての威光は薄らいでいる。できれば瀬戸内海に面した中国地方、四国を含んだ広域でリーダーとしてチャレンジして欲しいものだ。

 交通弱者である地域としては、国勢の動きは注視しておかなければいけないのだが、新聞記事は事後記事ばかりで経過を把握するのは難しい。

ここを中心に過程をチェックすると便利だと思う。

 いずれにしても船舶の交通費は高速道路とくらべ割高であり、値段が下がることのメリットは、少子高齢化の大崎上島にとっては、最大のメリットとなると思う。


カテゴリーに「海の道」を追加したので、過去の記事が参照できます。

絶景の瀬戸内しまなみ海道の旅 | 街ログ×瀬戸内 海の道構想

http://twitter.com/yuzakihide

つづきはこちら

海の道 毎日新聞1月1日号から

海の道:築こう 郷土の「歴史ロマン」 (その1) /広島

 瀬戸内海は古くから海上交通の重要な“道”として栄え、独自の歴史や生活文化が築かれてきた。古くは遣唐使や日宋貿易、朝鮮通信使……。今や離島が橋で結ばれ、人の流れや生活様式は大きく変わったが、先人が築いた文化は、現代を生きる私たちの財産。その価値を再確認し、受け継いでいく取り組みが、県内各地で盛んだ。不安の海に漂いながら迎えた2011年、未来に向かって新しい「海の道」を築く航海に繰り出したい。まずは「歴史ロマン」に秘められた郷土の魅力に触れてみませんか。

 ◆神仏習合
 ◇大河ドラマで“宮島ブーム”!?


 神の島は、仏の島でもあった--? 4年連続で観光客が300万人を突破した宮島(廿日市市)。世界遺産・厳島神社の朱色の大鳥居は、青い瀬戸内海と緑深き原始林と鮮やかなコントラストを描く。来年放送予定のNHK大河ドラマ「平清盛」は“宮島ブーム”を予感させる。秘められた歴史の奥深さを知れば、島により魅せられるに違いない。

 「宮島は『神の島』と呼ばれますが、平清盛が厳島神社を修造した平安時代末期は、神仏習合、つまり神と仏が一体となった島だったんです」。空海が806年に開創したとされ、島最古の寺院である真言宗御室(おむろ)派大本山・大聖(だいしょう)院の吉田正裕・第77代座主(50)が、歴史をひもといてくれた。

 神仏習合は奈良時代から始まり、平安時代に理論化された。大聖院には、厳島神社に付属した「別当寺」だった名残を確かめられる。寺所蔵の「十一面観音菩薩(ぼさつ)像」は、元々は平家が守護神とした厳島神社にあり、神が仏に姿を変えて現れた「本地仏」として長くあがめられた。明治の廃仏毀釈(きしゃく)で神道と仏教は切り離されたが、菩薩像は歴史の荒波を乗り越えて、今も変わらぬ笑みをたたえる。

 大聖院の参道にそびえる「御成門」と、厳島神社の瓦などには亀の甲羅のような同じ紋様がある。厳島神社の大みそかの恒例行事「鎮火祭」も、元は大聖院の祭事だった。神仏習合は、過去のものではない。今年11月、1000人もの僧侶を招く法会で、功徳が高いとされる「千僧供養」が、約30年ぶりに島の千畳閣(豊国神社)で催される。宮島に生まれ育ち、観光協会の役員も務める吉田座主は「清盛に注目が集まるのを機に、神仏が共に歩んだ歴史も知ってほしい」と期待する。【矢追健介】


海の道:築こう 郷土の「歴史ロマン」(その2止) /広島

 ◆藻塩
 ◇先人の知恵、うまみ凝縮--上蒲刈島


 夏は海水浴客でにぎわう上蒲刈島(呉市)の「県民の浜」。その一角に、古代の製塩方法で作った「藻塩(もしお)」にまつわる施設が並ぶ。製塩の歴史を学べる呉市立「古代製塩遺跡復元展示館」や、藻塩作りの体験施設もある。現代に藻塩を復活させた松浦宣秀さん(74)は「浜で拾った一片の土器のかけらから、こんなにまでなるとは」と目を細めた。

 松浦さんは島にある来生寺の住職。82年、この浜で古墳時代前半(約1500年前)の土器のかけらを拾った。松浦さんは中学時代、石器として使われた黒曜石を拾ったのを機に、考古学に関心を持った。旧蒲刈町文化財保護委員として、島の遺跡の発掘調査にも携わった。かけらは製塩土器の底の部分と、すぐに分かった。83年、県が「県民の浜」として開発する工事で、古墳時代~中世の製塩遺構が見つかった。

 しかし、製塩方法が分からない。研究者らに尋ねながら独自に調べ、万葉集の「朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ」と詠んだ歌に着目した。海藻の専門家が「『玉藻』という海藻はない。玉が付いている海藻とは『ホンダワラ』だ」と教えてくれた。島の浜辺に打ち上げられる海藻だった。

 古代の人々は、かめに海水をため、ホンダワラを浸して干す作業を繰り返しながら、海水を濃縮した。塩を取り切るため、ホンダワラを焼いて炭や灰にし、濃くした海水に混ぜた。遺跡からはホンダワラを焼いた灰も見つかった。調査を積み重ね、14年がかりで製法に確信を得た。海水とホンダワラのうまみが凝縮した藻塩は評判に。98年に島に第三セクターができ、「海人(あまびと)の藻塩」として生産を始めた。今や全国のホテルや料亭で重宝され、インターネットでも人気を博す。

 「藻塩に宿るロマンを感じてほしい」。松浦さんは期待する。【樋口岳大】

 ◆朝鮮通信使
 ◇「日本一の景色」たたえ300年--鞆の浦


 瀬戸内海に浮かぶ島々を見渡せる景勝地・鞆の浦(福山市)。昨年は坂本龍馬ブームに沸いたが、今年は朝鮮通信使が「日東第一形勝」(日本で一番美しい景色)とたたえてちょうど300年。「縁地連朝鮮通信使関係地域史研究会」(事務局・山口県上関町)副会長の池田一彦さん(72)=同市鞆町=は「鞆の浦は朝鮮通信使がたどった寄港地。海の道構想はまさにうってつけです」と語る。

 朝鮮通信使は鎖国下の江戸時代、日本が唯一、正常な国交を結んだ李氏朝鮮の使節団。一行は対馬から瀬戸内海を通り江戸へ向かった。中でも鞆港東側の高台に建つ国史跡の福禅寺客殿「対潮楼」は通信使の正使らをもてなす宿舎として利用され、1711年には従事官の李邦彦がその眺望を「日東第一形勝」と称賛している。

 その「最高の景色」を巡り、池田さんは喜劇的な逸話を披露してくれた。1748年に10回目の通信使が鞆の浦を訪れた際、運悪く対潮楼は福山藩の役人が宿舎に使っていた。先人の評判を聞き、期待に胸を高めていた一行は落胆した。「役人たちは『波の音で睡眠不足になる』『高台で水の便が悪い』と言い訳し、揚げ句の果てに『燃えてしまった』とうそをついた」(池田さん)。立腹した一行はそのまま江戸へ向かい、これに慌てた役人は急いで客殿を片づけ、江戸からの帰途に泊まってもらうことでようやく事なきを得た。史料の字面をなぞるだけでは分からない先人の豊かな表情が浮かび上がってくる。

 池田さんは「福山で盛んな書道をはじめ、朝鮮通信使が備後地域に与えた文化的な影響も数多い。景色を眺めるだけでも十分結構だが、背景を知ると歴史はさらに面白い」と語る。【豊田将志】

 ◇魅力向上 「地域資源」磨き、相互に連携

 県は、瀬戸内海に点在する「地域資源」を磨き、相互に連携させることで地域の魅力を向上させ、観光客や定住などの交流人口拡大を図り、産業を活性化させる「瀬戸内 海の道構想」の策定を進めている。湯崎英彦知事が09年の知事選で掲げた目玉政策の一つだ。

 20年までに、県内の年間観光関連消費を約3200億円(07年)から約6000億円に引き上げ、約1兆円の経済波及効果を目指す。県設置の策定委員会(委員長=石森秀三・北海道大観光学高等研究センター長)は1月中をめどに、構想案を知事に提出する。

 今年度約2000万円かけて、18の実証事業を展開中。海辺で特産のカキを焼いて食べられる「カキ小屋」、高齢化が進む大崎上島での朝市・カフェの出店、サイクリング愛好者向けに自転車が運べる電車やバスの運行など、集客を目指して模索が続く。

 構想素案で打ち出した方向性では、実証事業の検証などを基に、港町・宿場町のネットワーク形成▽市町や愛好者らとのサイクリングロードネットワークの形成▽アートをテーマにした拠点整備▽瀬戸内海の「食」を通じたにぎわい創出--など、33のプロジェクトを進める。【樋口岳大】


海の道:築こう 広島ユネスコ協会長瀬戸内海事典編集委員・北川建次さん /広島
 ◇「瀬戸内文化」の醸成を--広島ユネスコ協会長瀬戸内海事典編集委員・北川建次さん


 瀬戸内海の歴史や文化、特徴、そして活性化に向けた課題について、広島ユネスコ協会長で、「瀬戸内海事典」(南々社、07年)編集委員を務めた北川建次・広島大名誉教授(75)に聞いた。【聞き手・加藤小夜】

 瀬戸内海は古代、陸地の山陽道とともに、畿内と太宰府とを結ぶ重要なルートだった。万葉集にも詠まれ、厳島神社(宮島)の文化も生まれた。鎌倉に幕府が移って以降は重要度が落ちたが、それでも朝鮮通信使や西回り航路などのルートとなり、港町が発展した。

 日本は島嶼(とうしょ)国家だが、瀬戸内海があることで、より複雑かつ多様な景観が生まれる。中国のような大陸国家、韓国のような半島国家では見られない風景や文化がある。ただ、「瀬戸内文化」というものがはっきりとあるかは疑わしい。よりスケールの大きな文化となるためには、一人一人が地域の実態を知り、地域全体で縦、横、斜めと連携することで、強力で深みのある個性が醸成されるだろう。

 瀬戸内海の自然を忘れてはいけない。広島のような100万都市で、国立公園や自然林が残っているのは珍しい。一時は、利用や開発が優先され、長い間守ってきた自然や景観が、短い間に破壊された。それを保護していく視点が大切だ。

2011年1月1日

このブログは、2011年1月1日0時にあがるように設定しました。
忍者ブログは、最近障害が多々起きているので、ちょっと心配です。


2011年は、大崎上島にとって櫂伝馬をはじめとして、前進する年になるのでしょう。
年始の朝日新聞にも特集が組まれるそうですので、期待しています。

最近、政治でも、団体でも若返りが盛んにさけばれています。
古い世代は若者の発想や行動力に障害・制限をかけてしまうことが多いと思います。
時代の流れですが、日本は世代間格差が開きすぎていて、立場の違いははっきりとしてくるでしょう。

八濱漂泊傳のブログで書かれていたように、
「右肩が下がる時代」を前提に行動・考えていかなければいけないのでしょう。

縮小を前提とした町作りをしていかなければいけないのでしょう。
寂しいことですが、失った風景は二度と戻ってきません。

月並みな方針ですが、十年間いい続けた主張ですが、

・交流人口を増やす仕組み・細工をする。(今までの分断した状態で個々が勝手に動いても、集中効果は生まれない。大崎上島共同体として一体性をもって広報・周知をする。村意識の壁が低くなればと思います。)
・少しでも、地元の商店街・生産者が元気がでるような流通ルート挑戦して欲しい。(オンリーワン商品はたくさんある。商工会にがんばって欲しい。)
・デジタルディバイドの解消(年代別の情報の世代間格差は、開くばかり。Twitterでもブログでも島の商店街で活用すれば、面白いと思うけれど、実際はしないのは残念。)

交通問題、政治問題、色々と、いや散々と書いてきたけれど、地元と島外に出られた多くの出身者の人達が、もっと関心と理解、会話を増やしコミュニケーションが確立できれば、消費、文化面の維持を含め新陳代謝も上手くいくだろう。

やっていないこと、努力していないことが多いことを指摘しておきます。

実は「右肩が下がる時代」を覚悟することを私はできていない。
それだけ頭が悪いのだろう。

田舎が無くなることは、個人的に、しんどいことで、都会の整備された環境、欲しい物がお金があれば手に入る環境は飽きてきた。
車の運転も疲れた。
マクドナルドが快適とは思えない。
コンビニが便利とは思えない。
高層マンションをみて、素敵だとは思えない。
環状線は、確かに人が多いけれど、人の活気を感じることはできない。
iPhoneをみても、素敵だとは思えない。

綺麗な海が見える風景
お金でかえることのできないものが、頭から離れられない。

これは、自分が守る以外方法がない。
人生は山有り谷ありで、決して平坦ではない。
生きるということは大変なことだ。

2011年を情報の部分で、少しでもいい方向に導くことができればと思います。


※むかしのファイル-大崎上島明日を考える♪♪-をアップロードしました。


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