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2011年1月1日

このブログは、2011年1月1日0時にあがるように設定しました。
忍者ブログは、最近障害が多々起きているので、ちょっと心配です。


2011年は、大崎上島にとって櫂伝馬をはじめとして、前進する年になるのでしょう。
年始の朝日新聞にも特集が組まれるそうですので、期待しています。

最近、政治でも、団体でも若返りが盛んにさけばれています。
古い世代は若者の発想や行動力に障害・制限をかけてしまうことが多いと思います。
時代の流れですが、日本は世代間格差が開きすぎていて、立場の違いははっきりとしてくるでしょう。

八濱漂泊傳のブログで書かれていたように、
「右肩が下がる時代」を前提に行動・考えていかなければいけないのでしょう。

縮小を前提とした町作りをしていかなければいけないのでしょう。
寂しいことですが、失った風景は二度と戻ってきません。

月並みな方針ですが、十年間いい続けた主張ですが、

・交流人口を増やす仕組み・細工をする。(今までの分断した状態で個々が勝手に動いても、集中効果は生まれない。大崎上島共同体として一体性をもって広報・周知をする。村意識の壁が低くなればと思います。)
・少しでも、地元の商店街・生産者が元気がでるような流通ルート挑戦して欲しい。(オンリーワン商品はたくさんある。商工会にがんばって欲しい。)
・デジタルディバイドの解消(年代別の情報の世代間格差は、開くばかり。Twitterでもブログでも島の商店街で活用すれば、面白いと思うけれど、実際はしないのは残念。)

交通問題、政治問題、色々と、いや散々と書いてきたけれど、地元と島外に出られた多くの出身者の人達が、もっと関心と理解、会話を増やしコミュニケーションが確立できれば、消費、文化面の維持を含め新陳代謝も上手くいくだろう。

やっていないこと、努力していないことが多いことを指摘しておきます。

実は「右肩が下がる時代」を覚悟することを私はできていない。
それだけ頭が悪いのだろう。

田舎が無くなることは、個人的に、しんどいことで、都会の整備された環境、欲しい物がお金があれば手に入る環境は飽きてきた。
車の運転も疲れた。
マクドナルドが快適とは思えない。
コンビニが便利とは思えない。
高層マンションをみて、素敵だとは思えない。
環状線は、確かに人が多いけれど、人の活気を感じることはできない。
iPhoneをみても、素敵だとは思えない。

綺麗な海が見える風景
お金でかえることのできないものが、頭から離れられない。

これは、自分が守る以外方法がない。
人生は山有り谷ありで、決して平坦ではない。
生きるということは大変なことだ。

2011年を情報の部分で、少しでもいい方向に導くことができればと思います。


※むかしのファイル-大崎上島明日を考える♪♪-をアップロードしました。


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福山で今年も年越し炊き出し


'10/12/30


 広島県大崎上島町の住民有志が31日、福山城公園(福山市)で今年も年越しの炊き出しをする。初めての昨年はそばを振る舞い、一緒に餅をついたホームレスが「こんな年越しは初めて」と感激。今年は広島商船高専(同町)の外国人学生たちも加わり共感の輪が広がる。

 呼び掛けたのは、島の障害者施設ふれあい工房(大串)で、2008年に支援団体を通じ広島市内のホームレスに自家製ジャムなどを送ったのが発端。昨年は直接触れ合える場を求めて、通所者や工房スタッフたち12人が福山へ出向いた。

 約20人のホームレスが集まり12時間以上、餅をつき身の上話をするなど交流。涙する人もいた。工房に通い、今年も訪ねる加藤民夫さん(50)=中野=は「今年は積極的に話しかけたい」とやる気満々だ。

 今年は18人が駆け付ける予定。広島商船高専の学生ジワカ・ダルマピリヤさん(23)=スリランカ、シャイレシュ・ジョシさん(21)=インド=が名乗りを上げ、広島市佐伯区湯来町の障害者施設、愛命園のスタッフ4人も加わる。

 ふれあい工房の永見和昭施設長(44)は「島から福山へきずなが広がってきた」と喜ぶ。現地では午後4時から明け方の5、6時ごろまで約14時間、心温まる場を開く。



【写真説明】炊き出しに使う餅つきの石うすを囲む、左からジワカさん、シャイレシュさん、加藤さん、永見施設長





大崎上島から、広島の支援団体に食料を提供されている方もいらっしゃることは、ネットで知っていました。
立派です。
取りあげる人がいないので、今回中国新聞に載りましたので、便乗させてもらいました。


年の瀬


圧縮してバックアップしたいた、ヤフーの掲示版にのせていた
・大崎上島 明日を考える♪♪2002/10/ 9 ~2003/ 8/26 メッセージ: 753
それと、一緒にメルマガも解凍して、貴重な部分だけ飛ばし飛ばしして目をとおしてみた。

ヤフーの掲示版は、当時議員をされていた人2名、それと地元に縁のある方数名の方が登場して書き込みをしてくれていた貴重な掲示版だ。

あれから、はやいもので、8年目を迎えようとしている
四年前に、十数年ぶりに正月を田舎で迎えることができた。
11月末に、腹膜炎が原因で緊急入院することになり急遽ICUに入れられ、2週間入院した年だ。
私のケースは医者に言わせると危ない状態だったそうだ。
危ない状態でも、前日まで風邪と錯覚しており、ランニングを8キロしていたので、悪い症状がどんどんわるくなってしまった。アホである。
治療には、切開して縫い直すか、食事をとらず抗生物質、点滴で経過観察をして治癒するか2つの方法があったが、切開の場合だと入院に時間がかかるため仕事のことを考えると、速く終わらしたいと思い後者をお願いした。
退院しても経過を見ながらの通院だから、抗生物質を飲むことにより体が硬くなったり、下腹部に痛みがはしったりして体力がなくなるため、安眠できることが最大の喜びだった。
また、病気に関する感染症、ガンなどの不安もあり色々な知識・経験がもてた。

しかし、これが最後になるかもしれないと思いで帰省した正月に言われた言葉は、
「君を知っている人はもういないだろう?」ということだった。

正月に滞在した、3日間は、こんな静かで、厳粛な時間があるのだろうか?時間の流れが、自分の人生の中で一番ながく感じることができた。

また、その後、お盆にも帰省することができ、大串と東野の祭りを初めて堪能することができた。
本当に、故郷とは、豊かな場所だなと感謝すると伴に誇れる場所であると実感した。

やはり人と人とのリレーションシップ、地域の絆がなければ、魂は宿らない。

幼少期に島で暮らし転勤していった人、
今は家もなくなり関係もなくなった人、
島で暮らしたくても仕事がないため遠くに住んでいる人、

こんな人達は、たくさんいるだろう。
もっとオープンな場所になれば多くの人が恩恵を受けることができるのにと思う。

大崎上島 明日を考える♪♪にある753のメッセージを読むと、真剣な意見がたくさんあがっている。
こういった意見に無関心を装うのは、寂しいことだ。

八年前のメッセージはまだ生きている。

永続して欲しい島、斎島

実は、今日忍者ブログのデータが、サーバーが重くなり一時保存していた内容も、復旧した際に確認すると、全部吹っ飛んでいました。

関連があるので斎島のことを、取りあげます。

忘れて欲しくない島、斎島です。




6年間に一人きりの生徒は〝林家小福〟

シベリアからのアビが渡ってくる海面を、クラッシックな同栄丸は悠々として斎島に着く。

古くから心霊の宿る島として、海人の信仰を集めていた斎島は、四国愛媛と中国広島の中ほどの斎灘にポツンとあって、その重要さを偲ばせる。歴史ある斎島が、最近の時勢の動きにそのポツンがむしろ取り残されたような淋しささえ感じさせる。

それは、裏をかえせば、斎島こそ貴重な「まほろば」なのかも知れない。

四十七世帯七十一人、一集落に立派な蛭児神社と大願寺があるが、もうひとつの永く後の世までそのまま保存したい貴重なものがある。

しかし、それはこの本が出版される頃、(平成7年)、残念ながら取り壊されてしまう。
この学校の最後の卒業生となったのは、@@@さんで、またの名前を〝林家小福〟という。
最初の時は、(平成元年)は一年生が一人だけの学校とは知らずに訪れた。
小学校に立ち寄ったら、学校には校長先生が一人だけ。

たった一人の一年生はその日、集合指導のため、担任の女先生と一緒に大崎下島の大浜小学校に出かけていた。

あどけなく愛くるしい@@@ちゃん、一人だが充実した斎島小学校、アビのくる斎島の人々の生活。花いっぱいのきれいな、昔なつかしい校舎にメタセコイヤ、イチョウが一層、学校を引き立てていた。
卒業する前の晩秋(平成6年11月)私はその子と斎島小学校の教室で会った。

ずーっと一人でとおした@@@さんに敬意を表し、残念ながら卒業によってすべての幕がひかれる斎島小学校に、別れを告げることを充分意識しての島渡りだった。

校長先生はaaa先生、@@@さんの担任はLLL先生、養護教論のKKK先生、用務員のSSSさん、それは、@@@さんのお母さん。
6年生の@@@さんを含めてすべて女性の美しい学校だ。

aaa校長先生から、@@さんが6年間一人でがんばったこと、
学校が廃校になることが、確実になったことなど話を伺ったり、一年生の時お訪ねしたことのあることを話したら、特別なはからいで@@@さんの教室で@@@さんと私二人だけで話をする機会をつくってくれた。

「@@@さん 一年生の時、この学校に来たんですが、」
「大浜小学校に集合指導で行った日でした。残念だったけど、廊下の絵や作文 見せてもらいました。」
「一人だけど、先生方がいい先生で、それに大浜小で集合指導や運動会で友達がいっぱいいたし・・・」
「@@@さんがこの3月に卒業すると、このいい学校も廃校になってしまうんですね。老人会の方々に上手な落語をやって慰問していましたね。「担任の女の先生が、この学校の一つの部屋で老人会がよくあるので島の先輩のおじいちゃんに何かして喜んばしてあげようかということになって。 〝林家小福〟の名もそのために先生がつくってくれたんです。
一年生から6年生まで一人という境遇は寂しいはずなのに、少しもそんなことを感じさせずに、反対にまわりを慰めてしまう@@@さんの温かいパワーには脱帽。

斎島小学校の校門に立ち、もう見られなくなる校舎、校庭、それに木々や美しい花を見る。
文化の歴史、文化灯台の光を与え続けてきた、明治13年から輝かしい学校に、別れを最敬礼した。
最後の校長先生や、先生方、@@さんのお母さん、そして6年間一人で立派に学校の主であった〝林家小福〟さんに栄光あれと会釈して門を出た。




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「小さい島の分校めぐり」から


花と緑に 囲まれた
私たちの 斎小
とても小さな 学校だけど
明るい声が こだまする


斎島の文化灯台の光が消えた。

斎小が「斎島」と題した廃校誌を世に残すと、すぐに豊浜町はあの校舎を取り壊して、文字通り廃校に。

平成8年6月1日 、4億数千万円をかけて「あびの里」斎が校舎跡地に建て替えられた。



インターネットを使って人と地域を結びつかそうと、挑戦されていのたが、豊浜町ホームページのKさんだった。

O高校の2上の先輩にあたる。
1999年からだと思うが、地域のポータルサイトとして、豊浜町の公式ページ以上の役割を果たし続けている。

Kさんには、先輩として今まで、色々な協力をして頂いてきた。
ボイスブログをしていた時に、 斎島の夏に行われるライブの演奏をファイルで送信して頂いたり、貴重な情報、落ち込んでいる時には励ましてくれたりもした。

どちらかといえば、個人サイトは、管理人の趣味、無意識のうちに宣伝になったり、公益性にたえうるポリシーを維持できないのが、必然であるが、豊浜町ホームページは首尾一貫して、公益性に徹しているのは凄いことだ。

絶対的人口をベースとしてアクセス至上主義、多勢に無勢ばかりが、ネットの利用法ではない。
小さなエリアでも人と人を結びつけることのできる大切なツールなんだということを教えてくれた。

斎のことに関しはリンク紹介させて頂いている島の図書館―離島文献情報サイトの管理人さんも、訪れていたり、学校関連では、大崎上島から何人か教員として赴任していた。

過去の動画にも、小学校時代の校長が映っていたり、もしかすると林家小福さんの担任の先生も知っている人である可能性が高い。

サンフレッチェ広島の社長の親友が、斎出身、高校の先輩でもあり今は亡き故人である先輩のNさんの親友だったりと、人と人との結びつきとは、不思議なものだ。


何度も書いてきたけれど。地域と人との関わり合いを考えると、
「豊かさとはなんなんだろうか?」
と疑問に思う。

橋や道路など過疎地域にも津々浦々でき、そのことが、便利になり豊になり人が増えることに結びつけばいいのだが、地域は逆に過疎となり、道路の通行量も減り、負債として維持費が借金にかわり後生に積み残しつづけるおかしな日本の風景が多い。


個性とはほど遠い世界
記号化された食べ物や、建物、ファッション、生き方、
画一化された日本は、楽しいとは思えない。

ジャンクフードが世の中に氾濫している、そんな人生はつまらない。

豊かな日本はどこにあるのだろうか。
できることなら、故郷はいつまでたっても変わらない故郷であって欲しい。

ヨーロッパなど、古い町並みは沢山残っているし、今も使い続けている。
日本では、建築基準法の影響で、耐震性が木造建築にないものと決めつけ、新しい鉄筋コンクリートの建物に浸食されていった。

愚かなことだ。

そういったことは、建築の専門である八濱漂泊傳さんが書いてくると思うので期待して待とうと思います。

芸予諸島巡り自転車で100周

芸予諸島巡り自転車で100周 '10/12/25


呉市安浦町内海北の佐藤和幸さん(69)が24日、3月から挑戦していた自転車での「芸予諸島海道島巡り」の100周目を達成した。フェリー航路存続と自身の健康への思いを込めた「お百度参り」を「こつこつやって良かった」と振り返った。


安浦町から安芸灘大橋、とびしま海道を通り、豊町からフェリーも乗り継いで大崎上島町、東広島市安芸津町へと渡って安浦町に戻るコース。総走行距離は約70キロで、1周に約6時間かける。



 100周目のこの日は豊町御手洗で、明治時代に自転車で世界一周した、同町出身の冒険家中村春吉の記念碑に立ち寄った。自転車乗りの大先輩に100周達成の報告をし、自転車競技の普及や島の発展を祈った。ゴールの安浦市民センターでは、横断幕を掲げるなどした友人たち約15人の出迎えを受けた。

島巡り100周は3月、存廃問題が浮上したフェリー存続の一助にとの思いで開始。とびしま海道で5日あった「オレンジライド」では先頭グループの一人としてゴールした。

【写真説明】中村春吉の記念碑に100周達成の報告をする佐藤さん Tn20101225000902.jpg


先日書かせてもらった案の一つです。動けば色々な発見があるのだなと思います。冒険家中村春吉さんの話は初めてしりました。
地域の関連性を見直し、もう少し一体感のある行動・事業があれば、地域と人が更に結びつくきっかけになると思います。

人間ってやはり前にでることにより可能性が生まれるんだなと感じます。なかなか、書くだけでは駄目なんだなと思います。

フェリーの影響に配慮を

「フェリーの影響に配慮を」 '10/12/23


岡山県の石井正弘、香川県の浜田恵造両知事は21日に岡山市中区で知事会議を開き、フェリーへの影響に配慮した瀬戸大橋の料金設定を国に求める共同アピールを発表した。

共同アピールでは、高速道路の来年度以降の新料金の設定に向けフェリー、鉄道などへの影響や地域経済への波及効果を十分検討するよう注文。
新料金で各交通機関に損失が出た場合は、財政支援をするよう要請した。

両知事は、国が休日千円の割引制度を継続する方向性を示したことに関し「本州四国連絡高速道路への出資自治体に、2012年度以降の追加出資を求めないことを前提にすること」と強調した。

目指すべき広域自治体像も議論。
石井知事は「道州制が分権の究極の姿」と訴え、浜田知事は「大都市圏と地方の州の経済格差拡大や税財源が課題」と述べた。





瀬戸大橋をはさんだ、岡山県知事と香川県知事が、共同でアピールすることは、大変なインパクトがある。

まさに、時の利を考えた適切なタイムリーな行動ではないか。

これはいわば血判状といえるもので、海洋文化圏である両県がこうした明確な態度をお上にだしたことは、正直に驚いた。

地方主権が叫ばれているけれど、こうした行動はこれからの時代は当たり前になったくるのだろう。


今回の情報は普通で考えると、広島県知事にも事前に情報は伝わっていたと思うので、今後の政治的アクションに期待したい。

瀬戸内・海の道構想の会議が20日に終わり未だに資料が出ていないのは、こういったことに対する事前準備対応を含めての発表なのだろうか?
そこまで考える人は、あまりいないだろう。

共同アピールを出すまでの段階で、事業者団体、住民、行政を含め、関係者が場をもち、難しい両県で調整を図り結果を発表したという事実をどうお考えになるのでしょうか?

議場において討論した内容に関連して多くの副産物を両県の関係者も得たことだろうから、今後の文化交流もスムーズにいくことが予想されます。

フェリーも考慮せよ!との発言は、岡山や香川だけの問題ではなく、広島~愛媛の問題でもあります。
これは、よその問題ではないことを肝に銘じるべきです。

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