大崎上島は櫂伝馬と同じぐらい神峰山(しんぽうざん)通称神ノ峰は住民にとって心の支えです。
不思議なことですが、島=神ノ峰といっていいぐらいな存在です。
標高452.6メートルの島で一番高い山ですが、115の島々が眺望できるといわれています。
霊山に近い存在で、一人での登るのは結構怖い
それは、標高からくる気温の違い、登山口、遊歩道にある石仏など、湿度の関係もあるのかもしれません。
またパンフレットなどで、360度パノラマとうたわれていますが、実際は、地形の関係で360度はみれないはずです。
第一駐車場のある展望台からだと、パノラマ写真を撮影すると、竹原~愛媛大三島側の一部しか、さらに頂上にある石鎚神社分社の山が邪魔になり見れません。
グーグルマップで見ていると、この神ノ峰
かなりの標高ですから、伊予側がみれる、石鎚神社分社方面と、この第一駐車場からみれる展望台をあわせると、ほぼ360度みれることになります。
村上水軍がこの地域を勢力を保っていたときは、この山は、瀬戸内海を航海する舟を監視する最適な場所であり、見張塔なり城なりがあって狼煙をあげていたのではないかと、想像してしまいます。
そういった資料とであったことはありませんが、普通で考えたら利用しないわけはないでしょう。
それに石鎚神社分社があるんですね。ここに
今頃になって、気がついたのですが、伊予の神様が祭られています。
大崎上島の面白いところは、海上交通が健全であった当時は、木江側は大三島、今治と交流が盛んであり、南では豊、豊島と、東野は、三原、竹原、大崎では忠海、呉、広島、と多角的に交流していました。
木江側にとっては、寒い冬など起きると雪化粧された石鎚山が、自宅の窓から見えたりとその存在は身近なものです。
ここだけに石鎚神社分社ああるのは、どうしてなのでしょうか?
疑問に思ったので、調べてみることにします。
生野島の前にある契島です。
通称軍艦島
軍艦島関連で、長崎の人たちと交流をうむきっかけになった島です。
今は定かではありませんが、近くを通ると異臭がしたり好きな島ではありません。
この島と生野島に間に、8人礁(ぞわ)があるそうです。
グーグルマップで確認すると確かにそれにあたる礁が確認できました。
この礁で、取り残された女性が8人命を失ったとあります。
大望月邸の資料で初めて知りました。
しかし、渡海船時代の悲劇と記されていますが、いつの時代をさすのか?
また、生野島に入植したのは、昭和初期だったはずであり、それまで人はすんでいなかったのでは?、また漁業権など入植者はなかったため、この遭難した8人の女性は、この島の人なのか、それとも竹原からなのか?
疑問、謎解き、
しっかり文章をその場所で読んで把握して書いたらいいのですが、短時間で見なければいけないため、デジタルカメラで撮影して後から自宅で調べる方法になっています。
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