また、マンションなどに集合の納骨堂なるものがあるそうだ。
少子高齢化、地域と人のつながりが希薄になっている現代は、
葬儀代もお金をかけなくてもすむ時代になったのだろう。
高齢者の方が、亡くなられるのは、どこも同じぐらいの割合なのだろうか。
都会は分母の関係で、活気や、人口が減少するのが、見えづらい。
逆に、田舎は目立って減少するのがわかりやすくなるのだろう。
田舎と都会の違いは、都会は建物の建て替えなど、活発に新陳代謝を繰り返すが、田舎では、住人がいなくなると、ほとんど廃墟となってします。
普通はここで、有効活用を考える
が、借家と家主の権利関係もあり、難しいのかもしれない。
中国地方の山間部や山陰地方など工業化、自前の産業を持たない所は、若年労働者をどんどん都会にはき出していった。
所謂、集団就職、昭和30年代から始まった高度成長期の幕開けだ。
過疎の村など、その当時からたくさん日本中にあったのだ。
モータリゼーションを向かえる前だから、高速道路など完備してしないところが多かった。
田舎では、都会で錦をあげて帰省するのが、心意気といった風潮もあったのだろう。
やがて、洗練されてきて
不便は嫌い
人間関係は煩わしい
合理的に生きてみたい
都会と田舎の所得も差が開くと、
バランスが崩れる。
心と、懐のバランスを失った人間の行きゆく先は、エゴとなるケースがほとんどだろう。
日本経済が上り調子の時は、そういった矛盾点があったとしても、成長率がカバーをしてしまう。
逆に、低成長時代、物はあっても、消費する人のいない少子化社会では、矛盾点が露出してしまう。
物流の効率化がすすでいるので、グローバリゼーションの世の中では、その地域だけを優遇してくれるような猶予を与えてくれない。
あっというまである。
大崎上島という、今では広島県でも孤島となった場所でも、光ファイバーが引かれると、ネット通販を利用し、本、食物、電化製品など、簡単にショッピングができ、また合理的なものとして生活の中で取り入れられているはずだろう。
物流において地域格差はなくなったといえる。
そうなってくると、地産地消とはいえ、情報発信の弱い過疎地の生産者などは、消費のはけ口がなくなりますます苦しい選択しかなくなるだろう。
私は、合併当初、ネットが引かれていた島でまず最初に、農業生産者が一番恩恵を受ける人がでるのではないかと期待していた。
しかし、ヤフーオークションなどダイアルアップ時代から、既に挑戦されていた人がが存在したが、ネットの活用方法を上手く扱えないこともあり四苦八苦されていた。
本来は、ここに、アドバイザー的人が緩衝役となって、お助けをしなければいけない。
おそらく、専門業者等が、有料ということで、敷居を高くしてのかもしれない。
商工会など若手が、ネット活用を前向きに考えていけば、既存のポータルサイトで課金されなくても、独自のコアな情報を発信できたのになと思う。
これは、すべてに当てはまることだろう。
競争原理が働かないので、隅々までサービスが行き届かないこともある。
葬式ばかり多くて、葬儀屋やお寺さんばかりが、大忙しなんて、正常な地域社会じゃないだろう。
しかし、政権の変わり目
行政改革なくして日本の明日はあり得ない
マスコミなどは、おもしろおかしく、政治を取りあげるが、
着実に、変化を国民は必要としている。
これだけ緊縮財政の世の中、大崎上島に交付金は降りそそがれるのだろうか。
合併しても、権益がなくなり地域のうまみがなくなる。
サービスが良くなるとは思えない。
しかし、新しい視点をもった外部の人達との関わり合いが生まれるため、もしかすると、希望が見えるかもしれないし、やっぱり駄目だと切られるかもしれない。
本当に時代は混沌としている。
やはり信念をもって事に当たる人が強い時代だ。
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