墓参りということで、岡山に行ってきた。
実に、20数年ぶり
正式には、今回が初めて
過疎地になっているが、平成の大合併の原因で、郡から、市に変更していた。
話題の中で、合併することにより、ますます中心が限定され、過疎地は過疎になるということがあがった。
ただ、大崎上島と比べればこちらは、本土だから万一の場合の医療体制などセーフティネットは安心できるだろうとは、思った。
しかし、高齢化すると、
「体の自由がなくなり大変だ」、
「独居老人のことを考える怖い」
「結婚していない独身の男性が多い」「女性も多いよ」
「田舎に離婚して戻ってくる女性は子連れで生活保護で満足できる生活ができる」
などなど、どこも、似たようなことが多いのだと思った次第である。
近くの小学校もいつの間には、廃校となり、今は自然学習施設として使われていた。
「いつ廃校になったんですか?」との問いに、
「1999年」との答えがかえってきた。
いつの時代から結婚し同じ屋根の下で子供と生活する小さな家族社会が希薄になり、人と人との関連がなくなり、「孤独」を味わい、「孤独」におびえる時代になったのだろうか。
日本はかっては経済大国といわれたが、ゆとりとはほど遠い現状に、いったい我々が求めてきたものはなんだったのかと思います。
それは、きっと公共心の欠落だろうと思う。
捨てるのは簡単だけれど、一度捨てると二度とかえってこないだろう。
子供のいない地域は、老人ばかり
子供の声の聞こえない地域は、死んだような場所になる。
きっと、大崎上島も全地域の方もこのことを痛感されているだろうと思う。
まあ、話が抽象的で何を書いているのかわからないだろうから、この記事はまたリメークしますね。
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