■□□私の店 世界をつなぐ
「お待たせしました」。大崎上島のカフェ「antenna(アンテナ)」で、ドイツ人のサイクス・アダムさん(25)がエプロン姿で声をかけた。
「クロワッサンちょうだい。あら通じない? フランス語だったかしら」。近くに住む沖原ミスカさん(69)が、英語交じりの日本語を楽しむように話す。
アダムさんは山口大の留学生。春休みを利用し、日本文化を学ぶために来た。「瀬戸内海は波がなくて、太陽と月のライトが映ってきれい。いろんな国に行ったけど初めて見た」
開店は昨年4月。初日から通う沖原さんは高校以来初めて、英語の勉強を始めた。亡くなった夫は米国人。でも、日本語が堪能だったので学ぼうと思わなかった。
「母国語と英語が話せるのに、日本語を一生懸命学ぶ姿を見たら、私も何か始めなくちゃと思って」。中学1年の参考書を買い、「ディス・イズ・ア・ブック」から始めた。スタッフと英語で話すのが目標だ。
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店主の森ルイさん(34)は東京都出身。警視庁の白バイ隊員だった。
短大を卒業して約10年たった2009年、新しいことを始めたくなった。同じころ、離婚を決めた。「東京にいる理由もないな」。そう思った時、思い浮かんだのは、大崎上島に移り住んだ短大時代の友人、中尾円さん(34)だった。
中尾さんも東京都出身。神戸市のパン屋に勤めている時、過労で倒れ、田舎暮らしに興味を持ち始めた。パン屋で使うブルーベリーが大崎上島産だと知り、04年から神戸と島を行き来して果樹作りを手伝った。
ちょうど島では、障害者の働く場としてパン工房を作ることになり、中尾さんに白羽の矢が立った。06年に移り住み、工房の店長に。そんな中尾さんの元へ、森さんは休みを利用して毎年訪れていた。
「島だったら、安い家があるんじゃないか」。インターネットで検索すると、退職金300万円で買える古民家があった。東京のマンションを3年間借りる金で家が買えた。10年8月には空き店舗を見つけ、東京と往復しながら準備を始めた。10月から住み込んだ。
店の名前には、「島と外の世界をつなぐ拠点になってほしい」という思いを込めた。外国人の雇用は「WWOOF(ウーフ)」という制度を利用している。受け入れ側は、食事と宿泊場所を与え、訪問者は代わりに労働力を提供する民間の仕組み。「WWOOFジャパン」(札幌市)に、登録料を支払って申し込む。
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森ルイ」は本名ではないが、島の人は親しみを込め「ルイさん」と呼ぶ。
高校事務員の滝口恵子さん(58)もその一人。毎日使うフェリーについて「乗ると時間の流れが変わる」と森さんが言うのを聞き、はっとした。「私が島を見る目と、都会の人が見る目は違うんじゃないか」。気になってカフェを訪れる。
森さんはネットのブログで、日々の暮らしぶりを発信し続けている。島の人に太刀魚をもらったこと、夕焼けの写真。「どこかに移住したいと思った時、大崎上島が選択肢にあがればうれしい」
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過疎化が進む島に今、移り住む人が増え始めている。島の外で生まれ育ったからこそ、島の人が気づかなかった魅力を発信できる。外の視点を採り入れた、島の新たな取り組みを3回にわたって紹介します。(山下奈緒子)
【大崎上島】 人口約8250人。38平方キロ。竹原港からフェリー32便(約30分)、安芸津港から同16便(約35分)。
以前、朝日新聞の海星高校に関する記事は、本題とかけ離れたひっかけ内容があったけれど、今度の山下記者の報道は、本当にすばらしいと思います。
やはりこれは、森さんの啓発のお陰なのかもしれません。
着色なしで、普段着のままの記事だと思います。
島にいると都会の喧騒を離れ独自の時間を刻んでいることに気がつくことがあります。
これってホンとは、我々人間の権利だと思います。
でも奪われているんですよね。
知らない間に
心の余裕がなくなっている
外部から来た人だから気がつくことが多いと思うんです。
こういった体験をすると贅沢だなと思うと同時に心の豊かさを自然に感じることができます。
島に住んでいるとなかなか実感できない経験です。
色分けするわけじゃないけれど、島の魅力を語る場合、カラーとして自然に違いが出てくるわけです。
外部の情報力に頼った島のプレゼンと、内部の魅力を引き出す島のプレゼンといってもいいかもしれません。
やはり、交流人口が自然と増えて自然な人間関係が一番似合う場所だと思います。
こういった憩いの場所、田舎のオアシスのような場所で世代を超えて会話が成立する空間を創造できるのは、森さんの薫陶のお陰でしょう。
昨年、スカイプでお話した、大和撫子 沖原さんも登場されていて、なかなかいい味だしているなと、
ふっと笑いがでました・・・・・
いや、まじで いい記事です。