どうしても、頭の中から山頭火が抜けられなくなってしまった。
偶然にも、家内が山下清作品の展示会だろう
その際に本を購入していたので、彼の半生と作品を読みながら、
YouTubeで彼の動画をさがして、それも見ていた。
種田山頭火と同じく、山下清も、物乞なんだなと思った。
物乞とは「乞食」という意味であるが、彼等は、世捨て人、市井から飛び出した人ということだ。
種田山頭火の本の最後にこうしるされている。
---山頭火の境遇は捨てて捨てて、どこまでも捨てられるか、試すかの生き方であった。
時に、今までも捨てようとしたが、どうしても捨てきれないで、最後に残ったのが、
俳句でなかったか。
彼のみずからの念頭は二つ
一つは、本当の自分の句を作りあげること
もう一つは、ころり往生だと書いている。
これは、正直な気持ちだったに違いない。
ところで、ほんとうの自分の句とは、どんなものだったのか。
彼が拠ったのは、自由律俳句で、
いわゆる有季定型の伝統的なものではなかった。
うたうものの、第一義は うたうことこそ でなければならない。
私は詩として私自身を表現しなければならない。
それこそが、私のつとめであり、同時に私の願いである。
自由律俳句
素材を表現するのは、
言葉であり、その言葉を生かすのは、リズムである。
或る詩人の或る時の、或る場所に於ける
情緒(にほい、いろあひ、ひびき)を伝えるのはリズム
その詩のリズム、彼のリズムのみが、
能くするころである。
日本の詩に於けるリズムについて、考えるべく。----
墨跡の効果でもリズムの整えることが可能だ。
こうして考えると、山頭火の句は、
パソコンで文字で味わうよりも、(文字で追いかけても、魅力は十分ありますが、)
やはり、本などで、筆跡を見ながら味わうほうが、正しことがわかりました。
大崎上島の生野島、木江には、
推定で、昭和10年または11年に訪れているようだが、一体どんな句をその際に残したのか、知りたいものだ。
今では彼の句碑は、あちこちで作られているけれど、
生前の山頭火は、世捨て人に近かった。
彼の句は、句として生きている。
往生際の悪い人、私利私欲にはしる人、粉飾麗句を語る人
人が死ねば無になることを認めたくない人
所詮、人は、身勝手な生き物だ
人間として山頭火はそこにいる
私も、山頭火の句が頭から離れられない状態になったということは、
人間の弱さを弱さと認めることができる歳になってきたのだろう。
しかし、大崎上島と山頭火というテーマ
実に奥が深い
東野地区の文化活動は、うなずけるものが多い。
この場所で魂を必要とするものがあることは、実に有難いことだ。
それこそ、山頭火が求めていたものじゃないだろうか。