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人口減少とその後

最近は、ほとんど統計をとっていなかったが、大崎上島の人口は、既に8000人を割っている


区分人口15歳未満65歳以上世帯数
昭和60年14,1012,399(17.0%)2,787(19.7%)4,904
平成2年12,1901,605(13.2%)3,143(25.8%)4,658
平成7年10,8541,146(10.6%)3,454(31.8%)4,452
平成12年10,131945(9.3%)3,651(36.4%)4,385
平成17年9,236796(8.6%)3,666(39.7%)4,136
平成22年8,448674(8.0%)3,616(42.8%)3,870



10月現在で7988人となっている。
深刻な状態だ。
教育などの誘致に活路を見出そうと努力されている。
切実な状況だ。
労働人口の減少、ストロー現象による都会への人口流出は続いているのだろう。

成功ばかりじゃない、厳しい競争の中で生き抜くためには、新しいコミュニティの創造が前提だろう。


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このブログのアクセス実績について

このブログのアクセス実績です。

ここ数年は、まともな更新をしていませんが、映画のロケ地になったり、交流事業の本格化など、知名度はあがっていると思います。

30代中ぐらいから、ホームページをはじめネットと関わってすでに15年以上が経過しました。
プロバイダーもODN OCN JCOMと代り、回線もダイアルアップ、ISDN、ADSL、光ファイバーと変化してきました。

接続端末も、Windows98、98SE、ME、2000、XP、7、8
Palm、CE、LinuxZaurus、Linux、Andoroid、Chromebook、
おもちゃは増えたな〜と思います。

これまで無料のホームページサービスを使っていたため、ODNのホームページサービス廃止、Infoseekのホームページの廃止と、移転を余儀なくされことを考えると、現在の忍者ブログを使わせて頂いていますが、安定したサービスで感謝しています。

キーワード検索は、特別な固有名詞もあるからだと思いますが、海事関連が多く 時代の移り変わりがわかります。

このブログを参照して頂いている方の参考になればと思います。


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備忘録別館集計

bloggerにつくってあった、別館のアクセスの集計をみて驚いた。

ここ一年ばかり、放置しておいたので、なおさら驚いた。
多少は、重複はあるだろうけれど、かなりの人がみてくれていたんだなと思った。



島の資料は、中国新聞のホームページも設定がかわり、なかなかあつまらなくなったことと、合併以降の交付金のばらまき的方針の延長線上での取り組みに大きな成果を見いだせなかったこともあるだろう。

そんななかで、 体験型修学旅行は大きな成果をあげていると思う。
循環型社会の構築は、日本の社会構造を考える上でも、大切なことで、「心の交流」といっても、いったい何を意味する物かわからないだろう。

学生のうちにこうした体験をすると、この交流の意義がだんだん重くなっていくものだと思う。
関西圏の学生さんも増えているそうだから、身近なものになりつつある。

忘れた人のありがたさを新しく認識することは、いいことだ。

それが、貴重な宝物になるといい。

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ロック講談
youtubeにあがっていたので、何本かダウンロードして、タブレットにいれて聴いていた。
なかなか、面白い
時間がながいものもあるので、聴くのに何時間も費やしてしまったけれど、

ほぼ、リアルタイム世代なので、知らない話も結構でてきて、参考になった。

時々、きがつかなったものが、youtubeで発見することがあるので、テレビを見ることはないけれど、youtubeを見ることが多くなっている。


大阪商船航路案内にみるデザイン展「浪漫航路へのいざなひ」

今回、大阪商船航路案内にみるデザイン展の展示物の中に、大三島が登場していて驚きました。

かって、宮本常一さんが、本の中で「昭和の初期までは、大三島は宮島に匹敵する観光地だったが、いつの間にか、ひなびてしまった。」と説明されていました。

大阪商船(現在の商船三井)のパンフレットの中でそのことが確認できました。

私にとって歴史的発見の日でした。

今日撮影した画像を載せますので、活字を確認できると思います。
懐かしいけれど、新鮮です。











宮島のパンフレットにInland Seaと英語で書かれている。
安易に和訳に頼らず、イメージで概念を思い浮かべてみた。
内海、という訳もあるだろうけれど、豊かなるプールみたいなものと捉えてみた。
ちなみに、地中海は、the Mediterranean Seaと呼ばれ、「大地の真ん中」という意味の造語だそうだ。

ある中国人は、はじめて瀬戸内海を見たとき「日本にも大きな川があるじゃないか!」といったそうだ。
西洋人は、鎖国状態であった江戸時代に日本を訪れ、「Inland Sea」と他の諸外国の海と比べても素晴らしい景観だと絶賛した。

海の概念、島の概念のとらえ方にふくらみがある。
瀬戸内海の歴史を考えると、否定的概念にとらわれる傾向が残念ながら日本人には多い。
陸から見た日本を語ることは多いが、海からみた風景・日本を語る人は少ない。

海と対話できる日本人が多くなれば、メンタル面でも改善されるだろうに。

人間は俗な生き物だから、我欲に執着する傾向が多い。

執着して行き着く先・物質社会がすべてではない。

瀬戸内海の神様は、長い歴史の中で、人々が生活の場で繁栄した時代、そして数々の自然破壊、今や過疎の時代、人がひいた状態であり、自然が蘇生できるチャンスだと思っているだろう。

遠浅の海、干潟、浅瀬の豊かな自然体系をことごとく干拓したりコンクリートの護岸にしたりして、傷つけてきたので、嫌気がさし、ちょうどいい気分転換になっていることだろう。

所詮、人間は風見鶏。

今は過疎だけれど、歴史の中の一こまと思えば、いずれ人がその価値に気がつき、振り向く時代がやってくる。

島の価値を知り時間のずれを楽しむことができるのは、心の余裕がなければできない。

生活に間を持つことができない規格にはまった人間が増えたのだろうか?
日本人ほど働いて、心をいやせる場所がない民族はいないのではないか。



Inland Seaが本当に自分の中で、確固たる価値をもったときに、いろいろなことを瀬戸内海は語ってくれるようになるだろう。

ということで、小西和さんと『瀬戸内海論』の中で出会うことにしよう。



ウイッキペディアから

「瀬戸内海」の誕生

瀬戸内海という概念が誕生したのは、江戸時代後期とされる。それまでは和泉灘や播磨灘、豊後灘、安芸灘など、より狭い海域の概念が連なっているのみで、現在の瀬戸内海全域を一体のものとして捉える視点は存在していなかった。

とはいうものの、江戸時代の「瀬戸内」は現在でいう「瀬戸内海」とは必ずしも重なっていない。1813年に書かれた佐渡の廻船商人の旅行記『海陸道順達日記』では尾道と下関の間を「瀬戸内」と呼んでいる。

「瀬戸内海」概念が今日のようなものとして確立される契機となったのは、明治期に欧米人がこの海域をThe Inland Seaと呼んだことによる。欧米人がこのように呼んだ海域を日本人の地理学者たちが1872年頃から「瀬戸内海」と訳して呼び、これが明治時代の後半には人口に膾炙していったのである(ただしこの時期の「瀬戸内海」は明石海峡から関門海峡までの海域を指していることが多く、現在のようなより広い海域に「瀬戸内海」の概念が拡張されるには、さらに時間を要した)。

日本人による最初のまとまった論考は小西和の『瀬戸内海論』(1911年)である。この中で小西は瀬戸内海を一つの大きなテーマとして捉えることの必要性を指摘するとともに、瀬戸内海の多島美を積極的に評価した。小西は「国立公園」を日本に作ることの必要性も併せて指摘し、帝国議会に国立公園の設置を建議した。この建議を容れて国立公園法が制定されたのは1931年で、1934年3月16日の第1回指定で瀬戸内海は雲仙、霧島とともに日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」となった。





広島県の人口移動

広島県における高齢化率及び後期高齢化率について

資料があがっています。

以下抜粋

総務省から平成22年7月31日付けで公表された住民基本台帳(平成22年3月31日現在)に基づいて,広島県における高齢化率及び後期高齢化率を算出しましたので,お知らせします。

    広島県の総人口……………2,856,308人
    65歳以上の高齢者人口………669,049人
    高齢化率…………23.4%
    75歳以上の後期高齢者人口…329,713人
    後期高齢化率……11.5%    


高齢化率(65歳以上)  











後期高齢化率(75歳以上)









大崎上島は県内で、高齢化率は、43.5%とトップになりました。
私は、専門ではありませんが、高齢化=老人の定義が、昔とくらべ平均寿命が医療の進歩により飛躍的に伸びており、当初の定義とずれていること、また、そのことが、ややもすると 年金資金、社会保険等の負担増を招くなど、マイナスイメージになる傾向が少なからず社会の風潮としてあると思います。

日本社会が定年の定義を見直し、生涯現役で引退しない社会に再構築すべきだと思います。
年金制度のゆがみが社会にマイナスに働いています。
今時の政治家は、リスクをとってまで改革しようとしませんが、のんびり構えた状態でいられるほど、時代の波は遅くはありません。

書くだけなら簡単なことですが、その前に、政治改革を国民の手でしなければいけないでしょう。むしろこのことのほうが重大かもしれません。


ウイッキペディアから

高齢化社会という用語は、1956年(昭和31年)の国際連合の報告書において、当時の欧米先進国の水準を基に、7%以上を「高齢化した (aged)」人口と呼んでいたことに由来するのではないかとされているが、必ずしも定かではない。一般的には、高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)によって以下のように分類される。
高齢化社会 高齢化率7% - 14%
高齢社会 同14% - 21%
超高齢社会 同21% -

日本は1970年(昭和45年)に高齢化社会に、1994年(平成6年)に高齢社会になり、2007年(平成19年)には超高齢社会となった。




人生とは、長生きして楽しむものだと解釈すれば、喜ばしいことだし、長寿国になれるのは、それだけ社会整備が健康面まで行きとどいている証明だと思います。

70になっても現役の社長さんたちは、老人ではありません。
なぜなら、従業員ではありませんので、労災もない。
法律も、ころころ変わる、無駄な税金はどんどん増える。
報酬も得る代わりに借金もしなければいけない。
社会情勢の変化についていかないといけないから、気が抜けない
緊張感が人間の歳をとることを許さないのでしょう。

これは極端な例かもしれませんが、価値観を変えるぐらいのインパクトのある世直しをしないと、今の制度では、既に行き詰まっています。



御手洗関連の映画

ずっと昔に見た

つたない記憶を思い出しながら、調べています。

御手洗関連の映画です。

私の知っているストーリーと途中までは同じです。

ただ、記憶では白黒だったはずなので、

もしかして、学生時代の白黒テレビの影響でそう思ったのかもしれません。




大地の子守歌



1976(昭和51年)/6/12公開 111分    
配給:松竹(受託配給) 製作:行動社 / 木村プロ

13歳にして売春宿に売られた少女が、苛酷な運命に耐え生き続ける姿を描いたストーリー。脚本は白坂依志夫、監督は増村保造、撮影を中川芳久がそれぞれ担当している。

原作:
素九鬼子

監督:
増村保造

脚本:
白坂依志夫

音楽:
竹村次郎

撮影:
中川芳久

照明:
福富精治

美術:
間野重雄

録音:
太田六敏

編集:
中静達治

キャスト
原田美枝子 / 佐藤佑介 / 岡田英次
木村元

ストーリー

秋の四国路の野山に、美しい鈴の音がこだまする。

山道を踏みしめていく幼いお遍路の瞳はつぶらだが盲目であった。

少女の名はりんという。彼女は四国の山奥で、ばばと二人で野性の子として暮していたが、ばばの死後、瀬戸内海のみたらい島に売られた。りんが13歳の時だった。

島でりんを待っていたのは売春という地獄だった。近い将来、りんも春を売る女にされてしまう。

彼女は反抗し続け、苦しい時はばばがよく歌った子守唄を歌った。

この島では陸地での売春と別に「おちょろ舟」を漕ぎ出して沖に停泊する船での売春があった。

りんはおちょろ舟の漕ぎ手を志願した。

舟さえ漕げれば、いつの日か島を脱出できると考えたからだ。が、やがて初潮を迎えたりんは、客をとらされた。

島で知り合った少年との淡い恋も散った。

りんは狂ったように働きつづけた。

その結果、視神経を犯されてしまった。

それでも、生きる、という望みを捨てなかった。負けるものか、という闘魂がりんの心を支えていた。そんなりんに同情した伝導師が、りんを島から逃がそうと舟に乗せた。

四国へ逃げのびてお遍路になれ、という男に向かって、りんは帯をといた。

生まれたままの姿で、りんは、男にとも天にも海にとも分らぬまま、汗と涙でよごれた手を合わせた。

「うちはただでお金をもらうことはできまへん。どうぞ、うちを好きにしておくれまへ。この恩は、一生、忘れはせんけんな!盲のおりんのこの気持ちを、うけとっておくれまへ」……。



映画のできは素晴らしかったと思います。

というのも、VHSのビデオで販売されており、DVD化されていません。

探すのは大変かもしれません。

ただ、一言

映画はあくまで映画であり、

一部、史実は入っていますが、

あまりの作品の素晴らしさに、

地域を限定して見て欲しくないと思います。


が、二十年前以上の作品を

私が覚えているぐらいだから、

素晴らしい映画だと思います。


調べるとプレミアがつくぐらいの値段になっています。

何とか、もう一度 探してみたい映画です。


※なんとgyaoで年初まで無料で放映したいたんですね。
 もう見れない!残念

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