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生野島にいってきました!その10

白水から帰宅途中

大望月邸へ

学芸員さんと談笑



何度もここには来ているので、馴染みの学芸員さんが多い。

どの方でも言えることだが、

大望月邸の学芸員さんは、熱心な人ばかり

質問に対して、誠意をもって答えてくれる。

「以前、ここでやられていた、

足利浄圓師と生野島・そして迦洞無坪氏はどうでしたの?」

「あの資料はもう終わったので、今は置いていませんが、こちらにはまだあります。」


と資料館に案内して頂いた。

「実は、今日生野島に行ってきました。小学校時代の先生がおられたので」

との私の話に、

「福本先生ですね!」

と即答された。

しかも、資料の中から、先生の書かれた本を出して頂いた。



この場所でしかないであろう先生の本を女性の学芸員の方の好意により

確認することができた。

その本の名前は、

「図説 大崎島造船史」

木江地区造船海運振興協議会が、お願いして

福本先生に書いてもらった本だ。

昭和63年の発行となっている。

この本は、造船のみならず、

大崎島の歴史も詳しく書かれている。


和船の研究の第一人者 石井 謙治さんと親交があったことを初めてしった。

まさか、石井 謙治さんと接点があったとは、


「図説 大崎島造船史」は、石井さんの本に負けず劣らず、

素晴らしい本だ。

よくここまで、地方史を丁寧に調べ、まとめ上げたものだ。



和船、鋼船、のみならず、櫂伝馬もしかり、

おちょろ等、すべて海のネットワークに関することがこの本に網羅されている。


幸運にも学芸員さんの好意で、一冊 分けてもらうことができた。



竹原から呉線で三原に向かう電車の中で、

何度も、この本に目を通した。

言葉の端々に、先生が言いたかったこと

また、気の遠くなるような、史実の確認作業を想像すると、

執念を感じずにはおられない。

時間の経過と伴に、重くなる大変な本だ。

この島にとっても、歴史を確認するうえで、これ以上のものはない。





本当にこの本を有効活用し、

島の歴史を

インターネットを活用し、

多くの人に興味をもって頂いたり、

関心を持っていただけたら、どれだけ素晴らしいことだろうか。


できの悪い教え子が、

40年かけて、

先生の本を手にするのも、なんたる奇遇。

落第しないよう、成績をとらないといけない。


とりあえず、一日かけて書いた生野島のことだけれど、

これで終わりとします。


追記

生野島の体験を書かれているサイトがありました。
http://setouti0202.ocnk.net/diary
生野島の住民の方と話をされ歴史を詳しく書かれています。
併せて読んで頂けると、面白いと思います。

今回の画像は、
2010-08-07 - takabow - Picasa ウェブ アルバムですべて公開しております。
是非、ご覧頂ければと思います。
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生野島にいってきました!その9

月の浦から、福浦まで、案外道が近かった。

後からわかったことだけど、島の3分の2程度まわっていたことになる。

物音のしない人家の隣の道を今度は、降りていき

福浦港まで、次の船が来るまで たどり着いた。

店もないし、

喉が渇くので、福浦港のフェリーの待合所のトイレの蛇口で

タオルを濡らし、喉の乾きを潤す。

アブがでように出られない待合室の椅子に横たわり

船の来るのをまった。


暫くすると、車の音が聞こえた。

軽自動車にのって農作業を終えたという

おじさんおばさんとはじめた遭う。

「大長から、ミカンの作業に来たんよ。」


そうなんだ、

この島は大長から開拓にこらえた人も多かったはずなのだ。

こうして、現役で頑張っておられる人もいる。

私の両親とあまり歳も変わらないみたいだ。


高齢化の波は、農家の後継者不足も原因がある。

もう、後5年もしたら、放棄された農地が更に増えるだろう。

まさに限界だ。

処方箋はない


引用


 戦後の国・県の農業振興政策のもとに進められた生野島の開拓事業も将来を勘案した計画ではなく、場当たり的な柑橘類栽培の奨励であったため、全国的な生産過剰と重なり、価格の暴落で将来の生活に見通しが立たず離島者や荒廃園が続出した。

 秋には全島色づくミカンの収穫を夢見て、額に汗して開墾植栽した柑橘園地の大半が今では元の山野に戻っている。

 そして今も残る島の柑橘園は旧態依然とした段々畑であり、高齢化と後継者不足がさらに荒廃園化に拍車をかけているのが現状である。


引用終わり


生野島に来て、

何を探しに来たのか?

「終わりもあれば始まりもある。」

その逆もしかり


開拓者達が夢見た理想郷

文化の華は咲いたはずだろう。

便利で、簡単な世の中になったはずだけれど、

実態は フェイクなものが散乱している世の中だ。

時代の波に動じることのない生野島であって欲しいと思う。



大長から来たおじさんおばさん以外にも、

地元の女性の方が、船乗り場に来られた。



「私は、初めてこの島に来ました。」

「高校時代のSさんと、福本先生なんですが、」

と尋ねると、


女性の方は、

「Sさんは、お父さんが亡くなられ、お母さんは息子さんのところに行きました。」

「福本先生は亡くなられていますが、奥様はおられますよ!」

「息子さんが面倒をみているはずです。」

と返事を頂いた。


すんでいる場所も、先ほどの月の浦


「あぁ、そうだったんだ。」

「音もなにもしないので、怖くなりましたよ。」


とわたし


「みんな暑いので、外にでないんじゃないでしょうか」

資料では25人程度はすまれているとのことだが、

実際はどうなんだろうか?


結局、この会話が最初で最後だったが、消息がわかってよかった。

やはり、福本さんのご子息はご健在だったんだ。

検索エンジンでの

固有名詞の意味が少しわかった気がした。

白水から船が来た。

初めて、

私、女性の方、そして、大長からのおじさん、おばさん

帰りは4人の乗船だった。


10分程度で、白水に着岸

大長からのおじさん、おばさんに別れの挨拶

そして、地元の女性の方に軽い会釈をして

ドリンクを真っ先に自動販売機で購入し、

車に向かった。

帰宅途中にある大望月邸によるために、


続く

生野島にいってきました!その8

服もそろそろ乾いたところなので、

弁当も済ませ、

素晴らしい生野島自然休養村の施設を後にした。


そして、また道を行進することに

しかし、日が照らない場所が多く

気持ちのいいものではない。

まるで、うっそうとした、ジャングルを歩く感じだ。





時々、横の合間から見える瀬戸内海

素晴らしい。

何キロもあるいているだろうけれど、人家も出会わない。

時々、畑に軽トラがあったり、

竹藪の中に廃棄された軽自動車が埋まっていたり

そもそも、GSもないのだから、島内で車を運転する必要も農作業以外にほとんどないはずだ。

車を廃車にするのに、生野島までもってくることはないだろうにね。


時計の針は、1時頃

道の脇の森の間から見える風景




絶景だ!


生まれて初めて人の手が入っていない入江を見ることができた。

しかし、湾の全景を木々が邪魔をして

見ることができない。


後で調べると

月の浦という有名な入江だそうだ。





三脚も持ってきていなかったので、

広角で撮影できないのが心残りだ。



入江の近くに人家があることがわかった。

この島をまわって初めて

福浦以外の集落と出会った。

畑にも作物を育てているみたいだ。

しかし、どうしても、この入江を撮るのに

人家の脇を通らなければいけない。

勇気をだして入江に降りていく。

絶景だが、収まりきらないので、2分の一づつの写真となってしまった。



ここまで来たかいがあった。



しかし、人家には人のすんでいる気配がしない。

寂しいものだ。

結局、今のところ、人と話をすることはできなかった。



この場所より少し奥にいくと、

契島の産業廃棄物埋め立て地と出会う。


絶景の月の瀬の隣が、産業廃棄物の山とは。


なんたる皮肉

もう、この先の道を進む時間も体力もない



暑さですっかり喉がカラカラだ。

自動販売機もないし、水道がどこにあるのかわからない。

1時55分には、船が来るはずだ。

早く港に戻らないと、遅れてしまう!

月の浦の入江には、

和船の残骸、

興味をそそるものがあったが、

写真を撮るのは控えた。

もし、できるなら、次は

この場所で、海面に浮かぶお月様を撮ってみたい。


誰も手つかずの場所だろう。


私のようなにわか坊主には、まだまだ

ハードルが高い

身心を入れかえて出直しを図りたい。


もしかすると、月の浦の素晴らしい風景が待ってくれているかもしれない。


続く

生野島にいってきました!その7

生野島自然休養村のロッジの道を下って見ることにしました。

いつもフェリーで見ている、

海水浴場がこの先にあるはずです。



いや~

視界が急に広くなります。

今までの、苦闘が嘘のようです。

白い浜が続きます!




しかも、私以外誰もいません。



水質も無茶苦茶いいです。

透明度がまったく違います!



ゴミも殆ど見当たりません。



なんという贅沢!

大崎上島にあるどの海水浴場よりも、

ここの海水浴場は、すべて それより上です。

バブルです。

交通の便を除けば。



まさか、この場所で、

こんなところに来るとは思わなかった。



日陰で、汗抱くの服を、シャワー室の水を使わせてもらい洗濯

乾くまで、一服!

携帯電話で、このビーチから大阪に電話!

『一人で、こんな信じられない場所に来てすまん!』

なぜか子供詫びる。

AUだけれど、電波の受信状況もばっちり!

お昼の弁当を持参していたので、

椅子に座り、ほおばる。

なんという贅沢!

さっきまでの苦労が、すべて吹っ飛んだ!

シーカヤックをされている人達にとっては、

ここはよく利用されるとのこと。

改めてこの場所に来て実感した!


しかし、炎天下の中、

海からの浜風を日陰で涼みながら、

生野島の光と影を考えてみる。

開拓時代の夢と

バブルの夢


同じ人間がすることだが、

大きな隔たりがある。


物を作って生活しよう、

生活を豊かにしようとした理想郷を夢見た生野島

そして、お金を利用して、観光に活路を見いだそうしたバブル期の生野島


その落差は激しい。


ミカン百姓のせがれがいうのもなんなんだけど、

時代の波に翻弄される

時代の波乗りに要領よく乗ろうしても、

簡単に足元をすくわれる時代だ。


生野島自然休養村の海は確かに素晴らしいけれど、

ちょっと、私には、塩辛かった。



続く

生野島にいってきました!その6

元来た道には、このうような看板があります。



水道タンクでしょうか?

小さな管理室がありました。



その横を更に進むと、

やっと光が見えてきました。



地理もわからず、無鉄砲にまわっていることにこのとき

はじめて気がつきました。



やっと、生野島自然休養村の管理センターに到着しました。

当然、無人です。



立派な設備ですね。

多くの人が、夏に利用していたのかも知れません。



キャンプ村のロッジですが、

エアコンが備わっていますが、

蜂が巣を作っていたり、近寄りがたいです。



近い将来、ボロボロになって朽ち果てる運命なんでしょうか?

しかし、この施設

凄い投資のもと

開発されたものだと思います。

いつ頃オープンしたのは、知りませんが、

バブルの臭いがします。


生野島に来た趣旨がどんどんずれていきます。

こんなはずじゃなかったのに。


続く

生野島にいってきました!その5

所々で、電波塔など、

施設が道ばたにあります。

誰かが管理しているんですね。



時々、ジャングルの中から見える、対岸の大崎上島

ちょっと、勇気づけられます。

なんだか、東南アジアのジャングルに入った気分です。



絶景であることは、間違いないです。



太陽が拝める道路に出るとホットします。

アブ、蝉など、道ばたを歩くと、飛び交います。



とりあえず、舗装された海に向かう道があるので降りることにしました。



もしかすると、海岸線沿いにいい道があるのかもしれません。



期待しつつ降りますと、

小屋と船がありました。



海岸線の道はありません。

生野島自然休養村ではありませんでした。

元来た道を登り歩いていくことにします。

続く

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