今年も、残暑が厳しい。
特に大阪は湿度が高くむしむしする暑さで不快指数はかなりのもの。
今年は、まともに花火を見ていなかったので、
先週は、猪名川花火大会に行ってきたが、人口の多いこちらでは、
一二万人もの人出で、会場近くの河川敷も歩くこともできないぐらいごったがえし。
満足とほど遠い花火大会となった。
パソコンから、2005年当時に撮影した、木江海上花火の写真をだしてみた。
下手ながらも、それなりに撮れているので、自分的には満足。
つい最近まであった元映画館。
建物も、人も、懐かしい。
都会の人にとって、
レトロと表現される建物も、
日常の生活の中に溶け込んで、
生活できたことは、今となっては貴重な経験となっている。
建築基準法では今では建てることのできない
木造建築物も、生活の中で、当然のものとして、触れ馴染んできた。
都会の文化は「大量消費文化」
規格の統一した面白みのない味気ない
言わば、ファーストフードのような文化
一見 目を惹くものは多いが、
中身は、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、田舎は、逆に規格外
人が手間暇かけてつくった、
大量消費社会と逆行した、「無駄」が氾濫している。
この無駄の良さが分かる人は、
今風で表現すれば、「感度の良い人間」
もっとお世辞を使えば、「贅沢な人間」
本来は、連続性の中で人は生きることが理想だと思うけれど、
大量消費社会は、数と銭の力(市場原理)で圧倒的に短期間で市場を制圧してしまう。
日本で昔、
当たり前であった和船も木造船も建物も、
姿を消し、
今、逆に
それが新しいものに思えてしまう。
結局は、分断されてしまった現代人の後遺症。
連続性がある社会なら、
そんな真空状態など生まれることはないからだ。
慌ててアップデートする目的はなんだったんだろうか。
合理性や非合理制の色分けなど、
本来の人の幸せとは無関係なものかもしれない。
少なくとも、
もしかすると、
大崎上島は現代の美味しいところ
古さと新しさが生活で両立できる希有な場所になっているのかもしれない。
たくさんの人が、
自分自身の価値を見いだせる憩いの場所になれば、
大量消費社会の中の穴場として、
素敵な場所になるかもしれない。
ここでは、無駄なものでも、
アンテナをはりめぐらせば、必要としている人は案外多いものだ。
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