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東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう


Twitterで内山節さんからの呼びかけがありました。
時間的に余裕がありませんが、是非 拡散したいと思います。

私も東北方面にむかって冥福を祈ります。


東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
最初の呼びかけ人・内山 節

日時 2011年(平成23年)4月24日日曜日
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。
また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。
方法 ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。

被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、・・・・方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。


東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。
皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。
私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。

その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。

古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。

この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。
しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。
そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。
そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。
お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。ここからはじめませんか。



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スカイプ談義


スカイプを使われている人ならお知らせが届いていると思いますが、
先着10万名の方にSkypeの「世界中どこでもプラン」のクーポンが提供されています。

電話もスカイプを使うことがおおくなったので、一ヶ月無料かけ放題は、ありがたいサービスです。

知り合いのフィリピンの友人(広島市出身)の方と田舎話を2時間。
話の中で以前、住んでいた場所がお互い八木と偶然 近かったので、「あそこに店があった」、「以前はあそこに店をかまえて商売をしていた」、「広島市って街が狭い」、「物価が高い」、「住みにくい」など本音の部分や、懐かしい話などいろいろと出てきました。

友人は、2度目の人生をフイリピンで、私は何故か東京、広島、大阪、茨木、京都、大阪と短い時間に転勤を繰り返し、大阪に落ち着きました。


でも、やっぱりここは、ふるさとではありません。

海の見える風景が心の原風景です。
悩み、苦しみ、とりとめのないことも、海を見れば癒されます。

大都市には、大型ショッピングモール、名物の商店街、ディスプレイ型の都市空間はデザイされています・・・・・が、私には、興味がわきません。

大阪で好きな場所は、中之島周辺ですが、ここ以外は、落ち着く場所はありません。

人ごみは、疲れます。

都会は欲望が多い場所ですが、競争社会から外れた私のような人間には、あいません。


でも、人と人との出会いがあるので、不思議だと思います。

結局、人間なんてアリみたいなものなんです。



山は越えられるか?


政治の世界では、民主党の体たらくぶりは、国内国外にも及んでいます。
自民党がだめだから、マニュフェストを掲げ公約実現を約束に当選した民主党でしたが、いざ開けてみると、国家意識のない学生運動の延長線のような政治では、国民の不安を増大させています。

こんな政治では、今後の難題が山積している日本・地方経済の行方は定まりそうにありません。

たしかなことは、日本の赤字国債がGDPの2倍となり、財政問題を解決する道が遠ざかるばかりです。

しかし、そんなときこそ、島の地域社会の思いやりが、恩恵として活きてくると思います。

島の造船など多くの雇用を支えている地場産業は苦しい状態が続いていますが、我々の先輩が築いてきた文化の土壌は永続していかなければいけません。


私自身の「山は越えられるか?」はこれからですが、超えたらやりたい事、夢をおいかけていこうと思います。




今年の夢・目標


大崎上島のことをいろいろと書いてきた、このブログですが、私事をかきます。


もし、自分自身の山を乗り超えたら、今年は、今までの後方支援的役割のホームページづくりはやめ、協力者、同士の方とちゃんとした組織をつくり、口だけでなくちゃんと実効性があがるよう連携をとり、ひとつの形にしたい。

実際の組織の形態は考えていませんが、同好会的なことからスタートするかもしれません。

大都市や、メディアにメッセージ性、問題提起できるよう社会性も具備できればと思います。


当然、今まで匿名性で作ってきましたが、私の素性も公開いたします。(たいしたものではありませんが。)


とにかくオープンな形で、夢、悩み、話が共有できる場所が必要だと思います。





大崎上島の文化

交通弱者であるから、ある面、島の文化が 保存されてきた。

島の文化は、造船、みかん、櫂伝馬、太鼓、

それ以外に相互扶助の精神がある。

逆に都会で失われたものが、実はこの精神である。

大量消費社会が、生活の中で侵食し、元来の人間的空間もすべて失ってしまった。

住宅ローンに追われ、自給自足できた時代に程遠い、お金がなければなにもできない時代になってしまった。(これは、脅迫概念、錯覚なんだけど)

大量消費社会の弊害、消費社会にもっとも効率的な、核家族、単身化が、どれだけ社会と絆が希薄になり苦しめているか、考えてみれば、ぞっとする。

自殺者数年間3万の時代(われわれは消費社会のブロイラーではないのだ!)

島が輝きをもてるのは、

思いやり、相互扶助の人間が本来もっていなければいけない、

消費社会で失われたマナーが現存しているからだ。

便利な時代は、いつの世でも、必ず反転し、人を裏切り、最後に人に反省を促す

お金をもっていても、天国にいけるとは限らない

幸せとは、なんなんだろうか。

個人責任とはいっても、人間は所詮 スーパーマンではない

いや、むしろアホである。

息抜き、相談、会話、

共有のスペースは必要なのだ。


大崎上島の輝きは、きっと次の時代の宝として、見直されるだろうことを祈っている。



できれば、相互扶助の精神を発揮し、島は高齢化だけれど、
安心して暮らせる場所、工夫さえすれば、最低限の生活は維持できる場所にしなければいけない。

また、しっかりといきいきできる場所として、具体的目標を掲げ、地域社会が連携、アピールできればと思う。


今年は、瀬戸内海中部地方が、映画、アニメと注目される年になるだろうけれど、そういった空気が、山田洋次監督のフィルムに入ることを期待しています。


大量消費社会の否定こそ、次の時代のキーワードなのだ。

島が輝く時代がやってくる。

2011年1月1日

このブログは、2011年1月1日0時にあがるように設定しました。
忍者ブログは、最近障害が多々起きているので、ちょっと心配です。


2011年は、大崎上島にとって櫂伝馬をはじめとして、前進する年になるのでしょう。
年始の朝日新聞にも特集が組まれるそうですので、期待しています。

最近、政治でも、団体でも若返りが盛んにさけばれています。
古い世代は若者の発想や行動力に障害・制限をかけてしまうことが多いと思います。
時代の流れですが、日本は世代間格差が開きすぎていて、立場の違いははっきりとしてくるでしょう。

八濱漂泊傳のブログで書かれていたように、
「右肩が下がる時代」を前提に行動・考えていかなければいけないのでしょう。

縮小を前提とした町作りをしていかなければいけないのでしょう。
寂しいことですが、失った風景は二度と戻ってきません。

月並みな方針ですが、十年間いい続けた主張ですが、

・交流人口を増やす仕組み・細工をする。(今までの分断した状態で個々が勝手に動いても、集中効果は生まれない。大崎上島共同体として一体性をもって広報・周知をする。村意識の壁が低くなればと思います。)
・少しでも、地元の商店街・生産者が元気がでるような流通ルート挑戦して欲しい。(オンリーワン商品はたくさんある。商工会にがんばって欲しい。)
・デジタルディバイドの解消(年代別の情報の世代間格差は、開くばかり。Twitterでもブログでも島の商店街で活用すれば、面白いと思うけれど、実際はしないのは残念。)

交通問題、政治問題、色々と、いや散々と書いてきたけれど、地元と島外に出られた多くの出身者の人達が、もっと関心と理解、会話を増やしコミュニケーションが確立できれば、消費、文化面の維持を含め新陳代謝も上手くいくだろう。

やっていないこと、努力していないことが多いことを指摘しておきます。

実は「右肩が下がる時代」を覚悟することを私はできていない。
それだけ頭が悪いのだろう。

田舎が無くなることは、個人的に、しんどいことで、都会の整備された環境、欲しい物がお金があれば手に入る環境は飽きてきた。
車の運転も疲れた。
マクドナルドが快適とは思えない。
コンビニが便利とは思えない。
高層マンションをみて、素敵だとは思えない。
環状線は、確かに人が多いけれど、人の活気を感じることはできない。
iPhoneをみても、素敵だとは思えない。

綺麗な海が見える風景
お金でかえることのできないものが、頭から離れられない。

これは、自分が守る以外方法がない。
人生は山有り谷ありで、決して平坦ではない。
生きるということは大変なことだ。

2011年を情報の部分で、少しでもいい方向に導くことができればと思います。


※むかしのファイル-大崎上島明日を考える♪♪-をアップロードしました。


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