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手にして欲しい一冊 奇跡のリンゴ

今年上半期のベストセラーに奇跡のリンゴがあります。



無農薬でリンゴ栽培に挑戦した、実話です。
農家の方なら、実体験があると思いますが、農業の天敵は害虫、病気、天候、などです。

実際農家で生計をたてたことがある方ならご存知だと思いますが、農業は決して楽な仕事ではない。

命がけの仕事なのです。

時代のキーワードに今は「農業」という言葉が重宝されていますが、農業も知らない人が簡単にこの職業を語れるほど失礼な話はありません。

一生懸命働いても、最後にイノシシが食べてなにもなくなったなど、笑える話ではないのです。


が、この大崎上島でも非常に軽い発言や発想で、農業を考え軽く扱う人がおり、田舎に似つかわしくないスノッブが存在すること自体、この島の衰退をさす要因のひとつだと考えています。

あれだけの放棄された畑がたくさん存在するのか、想像することさえもできないのでしょう。



話は脱線しましたが、
奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
は、戦いの歴史であり家族も、自分も絶望の淵まで追い込んでしまった、木村さんの実体験です。

ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合う。

この境地に達するまでの体験は修験僧にちかいものがり、決して空想ではなく、センチイズムでもなく、まさに生きるか死ぬかの絶体絶命の状態まで追い込まれた人間の言える言葉だと思います。


さすがにベストセラーになるだけのことはあります。

図書館の在庫検索で貸し出し状況をみると、どれほど人気の本かわかります。


島が復活できることができるのなら、対象は違いますが、こういった真摯な人が必要なのだと考えます。


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ホームページ衣装替え

幸か不幸か、本人の意志に反してGoogleの検索エンジンに上位にヒットするようになってきた。

一日のアクセス、4名程度

それだけ、ウエッブでも、更新が少ない、注目されない場所になっているのかもしれない。

あまり力の入れていないホームページではあるが、使いやすいようにプラグインも選んでみた。

連休なのだから、暇な時にいじるのも嫌いではないので。

テキスト、画像、YouTubeの動画の貼り付け、程度になっているが、気が向いたらGoogleサイトのファイルなどもリンクするのもいいなと思っている。
ブクログという本専門のブログのサービスがあるので、これも利用できるよう登録し、プラグインも利用することにした。

少しは平面から立体的になってきたかな~という感じだ。

結果が出るのは、1ヶ月2ヶ月先だろうけれど、少しはアクセスがふえればと思います。


また、余談という項目で何度も自分の愚痴を書いてもしかたがないし、重なっている部分は削除しました。

2000年当時から、こうなるだろうと、数パターンは予測していたけれど、こんなに公共輸送である船舶の問題に消極的だとは予測できなかったですが。
何だかことあるごとに書いている私が悪人の様に思えてきた。
しかし、新聞紙上では、同じ様なことを取りあげるので、住民の意志と体制側のミゾは深いということがわかる。
ここでの公共心っていったいなんなんだと思う。

自分って疑心暗鬼になっているのがわかる。

適当な人間が多すぎる。

この当たりできっぱりと切るのもいいことだ。
「集団心理です!」なんて回答がかえっきたら大変だから。



検索ワードを調べると

1 [Google] 大崎上島 19.6%
2 [Google] ブログ 1.5%
3 [Google] 伊津喜嶋 1.5%
4 [Google] オチョロ船 1.5%
5 [Google] 家船 1.5%
6 [Yahoo!JAPAN] 差別 1.5%
7 [Google] 大崎上島町 1.5%
8 [Google] 機帆船とは 1%
9 [Google] 機帆船 1%
10 [Google] 広島 1%
11 [Google] 進水式 1%
12 [Yahoo!JAPAN] まきはだ 1%
13 [Yahoo!JAPAN] 紫雲丸 1%
14 [Yahoo!JAPAN] 大崎上島町 1%
15 [Yahoo!JAPAN] 家船 1%


などだ。

特に風俗史は世の男性は興味があるのだろう。
オチョロ船って、島に、一時の繁栄をもたらしのは事実だろうが、長い目でみれば、文化的には退廃したのか、それとも迎合主義で同化したのか?


簡単に「差別」だけで片付けれるテーマじゃないだろう。

面白いと思うのは、かっての豊田郡であった豊島、下島とくらべ大崎上島の気質はかなり違うということだ。

割り切りのいい豊島、中庸の下島、人の目優先の上島というところか。

かなりレアな単語を入れて検索してくるケースが多々見れる。
パソコンならではの検索機能だろう。
かなり古い資料ものせているので知らない間に固有名詞を打ち込んでいるからだろう。
パソコンには、こういった役割にはうってつけだろう。
全国で何らかの関係をもった人が、こういった固有名詞をある目的で打ち込んで検索する。
検索エンジンに功罪はあるのは確かだけれど、この大崎上島備忘録が、糸口になりヒントとなるものを探してもらえれば、ある程度の時間は作成に費やしてきた自分としても、少なからず社会貢献しているのだなと思える。




話はもどして、以前アリストテレスさんのホームページでも取りあげられていた、南々社の瀬戸内海事典を紹介させて頂きます。

私はこれで2回目になりますが、図書館でまた借りてきました。





アリストテレスさんの意見と重複してしまいますが、まさに瀬戸内海の文化を一冊にまとめたバイブル辞書です。


黄金期のカープのように、広島で全国に「広島にもこんな凄い出版社があるんだよ!」と自慢できる出版社です。


敬意を称してサイドバーにリンク紹介させていただくことにしました。

風土、歴史、文化、産業、すべて網羅しています。
ここまで体系化したものは、みたことがありません。

借りるより購入して家に置いていてもいいかなと思える内容です。

限界集落の自治体にとってITとはパンドラの箱なのか?

先日LinuxZaurusにウイッキペディアのEPWING形式のファイル1.5GBぐらいの容量だけれど、インストールしてみた。

おかけで、辞書にないレアな単語、記事など、殆どヒットする。
しかも、関連ファイルとリンクしているので、永遠と調べることができる。

今書いている「限界集落」もさっそく調べることができた。

限界集落の提唱者は大野晃大学教授だそうだけれど、2000年現在で彼がこれは本当の限界集落だと認定された場所が、高知県大豊町だそうだ。

さっそく町のホームページを探し、広報を読み、場所はどんなところだろうだと思い、グーグルアースで場所を衛星写真で確認した。

話は脱線するけど、ストリートビューなんて、東京都心の家々の軒先まで撮影しているので、20数年前の下宿先の様子まで調べることができる。
改札は個人情報の関係でぼやけさせているけれど、

「いやー、●●さん、今家の増改築をされているんですか?」

なんて、会話も500キロも離れた場所にいながら平気で会話できることも可能だろう。


ただ、知りたくもない情報も知らせたくない情報もあるわけで、これが便利かというとちょっと違うだろうと思う。

自分にとっては、「いらんお節介はいいですよ。」ということになる。



大崎上島が合併する前の時代を振り返る

2000年ぐらいは、森総理の時代だけれど、官民あげて情報化促進、IT革命を謳いインターネット博覧会インパクなど、それはそれは凄かったことを思い出す。

目に見えない高価なCDに大金をはたき、猫も杓子もIT(イット)だった。

大豊町の広報を読むと、当時を思い出すことば、

「電子化」、

「情報化」、

「ブロードバンド化」、

など、議員さんも町長さんも仕組みもわからなくても、情報化することによって地域が活性化するというような懐かしい議論が熱く行われている。


今では合併して町の名前もなくなった、瀬戸の島々、特に愛媛県の島嶼部の町は、今更ネットで調べてもログものこっていないものがほとんどで、調べることは難しいが、地域で命がけで真剣にIT化を推進し取り組んでいた。

逆説的ですけど、

最近、「限界集落の自治体にとってITとはパンドラの箱なのか?」と思うことが多いのも事実。

その根拠を考えると、

一つ目は、「過疎は情報化する前から過疎であること」

情報化を促進したところで、総合力--つまり企画、立案、分析能力は最低限必要であり、これに収支計算が入ると、とても無理。時代の波に逆行して需要を喚起する力など期待することは最初から無理な話なのです。

情報化と、アクセスの悪化、地域の雇用の悪化、など混同して考えてはいけない。

あくまで別世界のもの。

二つ目は、田舎の議員さん、町長さんレベルのIT素人が情報化を目指しても時間の無駄
習得する前に町が潰れる。

ITは、やはり馴染んだ若い世代に任せて、賢明な選択ならば、議員さん、町長さんは、しっかりと現実世界の町作りに集中するべきだろう。

過疎地域は、人口減少がめまぐるしいので、手続き業務はどんどん減ってくるはず。

町役場に電子端末が導入したからといって余剰人員をリストラするなんて民間企業では、あたり前のこともできないでしょう。

さて大崎上島町はどうなんでしょうか?

公式ページに

2009年10月19日ホームページについてのアンケートにご協力ください。NEW!!
大崎上島町では、広島商船高等専門学校と共同で、町のホームページのリニューアルを行っています。
皆さんのご意見をお聞かせください。

とありました。

共同でホームページのリニューアルだそうです。
MSに表彰してもらった大金をはたいて作ってもらった自慢のホームページもスタイルシートガジガジで、管理者が怖くて触れない状態だったんですけれど、今度は、共同開発だそうです。

投資に見合った効率的な情報化は最初からここでは、失敗していたこと。

また、ホームページを作り替えたかたといって本質的な問題はなにもかわりません。

コンテンツが大切であり、情報化は、積み重ねの世界です。

地道な努力・忍耐と、現実世界がドッキングして初めて成果が徐々にでるものなのです。

つまり、話をするほど楽で簡単な世界ではなくむしろ、厳しい世界なのです。

教育の場と混同するのはどうかと思います。

冷たい言い方かも知れませんが、時間とお金の浪費だと思います。

行政は、行政の仕事をしっかりとすることが先決であります。

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内容の充実が一番大切
ホームページを活用するにも、個人のブログ程度では、案内程度のさわりの文面ばかりで、活用とはほど遠いものが多いのです。

医療、福祉の内容も、ちゃんとした資料をPDFファイルなどホームページのせ、頒布・拡大・推進を図るべきもので、数行の案内で理解できる頭のいい人はいるのでしょうか?

限られたエリアでの情報網の構築なのですから、そんなに難しいことではないと思います。
定型作業のマニュアルの解説、セィフティーネットの構築、連絡網、確認方法など、しっかりとしたものができればそれを積み重ねていけばいいだけです。

行政側はローカルネットでこうしたものは、構築していると推測できますが、あくまで住民レベルでの一般開放されたレベルでの話です。

インターネットを活用する前に、ネット万能説はこの際棄て、現実に何が可能か、討議することが大切です。

大崎上島に関する資料について

2週間ぶりにの更新となります。
休みがやっととれましたので、久方振りの更新となります。


よもやま話として「島に関する資料を探すのはかなり苦労する」という話題です。


大崎上島に関して、資料に言える傾向は次の2点があげられます。

>昭和50年代ぐらいまでの資料は、データーが豊富で参考になるところが多い。

>逆に、それ以降の資料は、人口減少などから、サンプルデータも少なくなり、結論に結びつくまでの説得力に乏しく魅力がない。

また、書籍にしても、郷土史にしても、行政及び、住民レベルで体系化するように組織化されていない。

魅力的な箱物(図書館)を地域の文化のシンボル(文化灯台)として再構築できればと思います。

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参考にさせて頂いていると伴にリンクを張ってくださっている、島の図書館―離島文献情報サイトには大変感謝しています。

管理人さんは、図書館に足を運ばれ、地道に調査されたのでしょう。
このサイトでしかわからない資料がたくさんあります。



このサイトで紹介されている、
福本清ほか 『大崎島のうつりかわり 上島と下島の歴史年表』

の著者は、おそらく小学校時代に教えてくださった、「先生」だと思います。

しかし、なかなか、手に入らない本です。

福本先生の思い出は、生野島から古墳の発掘をされていて、石器時代のヤリや、斧を何度かみせてくださったことがあります。

生野島は、大崎上島よりもさらに小さな島ですが、昔は陸続きだったことがこの古墳の出土でわかります。

[PDF] 考 古 学 班 調 査 報 告


当時は非常勤講師という肩書きでしたが、郷土史を研究されていることは、知っていました。

30数年が経過して、かっての教え子が、先生の資料を探し回るのもおかしなものです。


あと島の歴史とは関係ありませんが、病院の先生が書かれた本があります。

波多野 克己 著

俳句と医師と人生 (1975年)
ラバウル洞窟病院 (1971年)

どちらも絶版ですが、一冊は、持っています。

波多野 先生は、軍医でしたが、子供心に病院の前を通るのが怖かった思い出があります。

それは、注射が痛いこと、そして、病院前の消毒液の匂いです。

今となってはいい思い出です。

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もし、このブログを読んで記憶のある方は再確認されてはいかがでしょうか。

まだまだ、違うものもたくさんありそうな予感がしますね。

歴史書、本 もろもろ

家船の本など、数冊、また和船に関する内容の本も、さらに

家船に関しては、諸説もあるが、対馬列島までの広大な範囲に及ぶことや、日本書紀などにも、海人の記述があり、

阿波(徳島)の長邑(那智郡)の海人(あま)男狭磯(おさし)が腰に縄を結び海に潜る

と書かれていることなどから、生活範囲が海中心で、漁業、航海にたけた技能集団は早い時期から存在していたのだろう。


八木荘司さんの「古代からの伝言」

これも面白い

驚いたことに、子供にこの本の内容を音読しながら読んでいたら、三国史に関する時代の流れをほとんど知っていて、その都度、解釈をしてくれた。

しかも、難しい読み方がわからない人名も、教えてもらった。

いや~ 恐るべし、小学五年生

中学では歴史の先生は、おそらく逆襲に遭うと思うね・・・。



本題に戻って、欠史八代の解釈の相違によって日本の天皇家の歴史も大きくかわるため、否定派と肯定派にわかれて学会は論争しているが、

参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/欠史八代
http://ja.wikipedia.org/wiki/広開土王碑

百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民

〈そもそも新羅・百残(百済)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。〉

などを考えると、当時の倭の国は、強大な国家権力をすでにもっており、志賀島の金印などの事実を考慮すると早い時期から、強大な権力者が日本に存在していたことを裏付ける。

韓国人などは、歴史を歪曲する習性があり彼等の歪んだ歴史観など、お付き合いする気持ちはさらさらないが、ここで一番大事なことは、どういった航海技術をもってして、はるばる日本から韓国に渡ったかということだ。

これより後の遣唐使船の頃の航海の実績を考えると「どうして?」と疑問がわいてくる。

どうしても、やはり海人の存在が気になってくる。
当然海人といっても、細分化されて航海にたけた者、漁にたけた者、戦闘にたけた者などに分岐していくだろうけれど。






歴史のよもやま話

たまたま、偶然に、古代、中世の歴史の宝庫 関西地方に住んでいるので、歴史の話題にはことかかない。

畿内の歴史的遺跡や寺社仏閣を、歩いて回られている歴史のプロフェッショナルな人と話をする機会がありもりあがった。

プロフェッショナルというのは、単に歴史の本を熟読しているだけでなく、現場もしっかりと押さえている人のことです。

話題は多岐にわたったけれど、

・古代宗教と仏教の関わり
・神社とお寺の違い
・廃仏毀釈で残ったお寺とは
・古代日本人と王族の関係 隼人、土蜘蛛、蝦夷、アイヌ、沖縄など
・三輪大社と出雲大社の位置関係
・古事記にみる神話の時代の検証
・消えた天皇家の歴史と、宮内庁の関係など

特に出雲大社と三輪神社の方角の関係など、初めて知ることが多く驚いたし、大変収穫のある時間を過ごせた。

検索すれば、凄いページにも出会えた。

暗号「山上憶良」
大山祗神社も出てきますよ!

ボリュームもあり考察したいが、一朝一夕ではできない。

※余談が、2日も続くと遊んでいる傾向になる。しっかりと、内容のあるブログにしないといけないと反省する。アルコールが抜けないといけない。

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