祭りのイベントは櫂伝馬競争です。
これについて、色々と考察していこうと思います。
正直に言えば、長くなるテーマだと思います。
また、加筆することによってどんどん修正していくと思います。
櫂伝馬のルーツは、もともと、瀬戸内海の水軍が使っていた小回りのきく偵察用の船だと言われています。
水軍の全盛期は、安土桃山時代、織田信長の時代です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/石山戦争 から引用
木津川口海戦 [編集]
天正4年(1576年)春、顕如は毛利氏に庇護されていた将軍足利義昭と与して三たび挙兵した。
信長は4月14日、明智光秀らに命じて石山本願寺を三方から包囲した。
しかし、包囲後も本願寺は楼岸(現大阪市中央区)や木津(同浪速区)から海上を経由して弾薬・兵糧を補給しており、信長軍が木津を攻めると、本願寺軍は逆に一万を超える軍勢をもって木津の信長軍を蹴散らし、天王寺砦付近まで攻め入った。
この敗報を聞いた信長は、すぐさま諸国へ陣触れを発したが、突然のことであるために兵の集結が遅かった。
そのため信長は痺れを切らし、三千ばかりの兵を連れて天王寺を包囲している一万五千余の本願寺軍に攻めかかった。
また、包囲を突破して砦に入ると、すぐさま砦内の兵と合流して討って出た。そのため、篭城策を取るものと思い込んでいた本願寺軍は浮き足立って敗走し、石山本願寺に退却した(天王寺合戦)。その後、信長は石山本願寺の四方に付城を、住吉の浜手に要害を設けて本願寺を完全包囲下に置いた。
経済的に封鎖された本願寺は、毛利輝元に援助を要請した。
輝元は要請に応じ、7月15日に村上水軍など毛利水軍の船七、八百艘(実際は六百艘程度と言われる)が兵糧・弾薬を運ぶために大坂の海上に現れた。信長軍はすぐさま、配下の九鬼水軍など三百余艘で木津川河口を封じたが、毛利水軍は数の利を生かして火矢や焙烙玉(中に火がくすぶっており、目標に当たると中身が出て一気に燃え広がる武器)で信長軍の船を焼き払い、大勝して本願寺に兵糧・弾薬を届けた(第一次木津川口海戦)。信長は仕方なく、三方の監視のみを強化して一旦兵を引いた。
瀬戸内海の島々、沿岸部は熱烈な浄土真宗の信者でした。
安芸門徒も浄土真宗です。
この戦いで村上水軍の力が誇示されることになり、これを見ていた側近であった、豊臣秀吉は、信長亡き後、瀬戸内海の海賊封じを徹底します。
陸路はまだ整備されていない時代ですから、大量輸送に大陸や九州などの物流ルートとして瀬戸内海の海上ルート確保はもっとも政治的にも優先しなければいけない重要政策のひとつでした。
1588年豊臣秀吉は刀狩(かたながり)令と同日に3ヵ条からなる〈定〉で発令。以前に出していた海賊停止令の徹底を図るため,土地の領主に浦ごとの海民調査,海賊行為をしないとの誓約連判状の提出を命じました。
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海上賊船禁止令
一、諸国海上において賊船の儀、堅く停止の処、今度、備後伊予領国の間、伊津喜嶋にて、盗船仕の族、これあるの由、聞食され曲事に恩食事
一、国々船頭猟師、いづれも舟つかひ候もの、その所の地頭代官として、速に相改、向後、聊以て海賊仕るまじき由、誓紙申付、連判をさせ、其国主とりあつめ上げ申すべき事
一、自今以後、給人領主油断致し、海賊の輩これあるにおいては、御成敗を加えられ、曲事の在所、知行以下末代召上らるべき事、右条々堅く申付くべし、若違背の族これあるにおいては、忽厳科すべき者也
天正十六年七月八日 秀吉
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要約すると、
諸国の海上において速やかに海賊行為を辞めよ。備後・伊予両国の間の伊津喜嶋(斎島)にて盗船をした族がいることを秀吉は聞いた
国司は速やかに、国々浦々船頭猟師、いずれも船を使う者は今後は絶対に海賊をしないという旨の誓詞を書かせて、それを取り集めよ
これより、海賊の輩が出没したら成敗を加え、さらにその領主の在所・知行を末代まで没収する
斎島とは、現在は呉市になった斎島であり、秀吉の政略により、斎島の島民は皆殺しされたとあります。
ほとんどの歴史書はこの部分は触れていません。
また、この海上賊船禁止令は、瀬戸内海、特に村上水軍一族の長い差別の歴史の始まりともいえます。
瀬戸内海で島々でも現在でも櫂伝馬競争が残っているところがありますが、歴史的考察はせいぜい江戸時代ぐらいからであり、瀬戸内水軍との歴史的背景や因果関係には、触れていません。
参考サイト
この東京財団の動画 海賊 村上一族 盛衰記(約40分)は、瀬戸内海の村上水軍の歴史を考察する上で非常に貴重な映像ですので、是非ご覧ください。
海賊 村上一族 盛衰記
村上水軍博物館
http://www.1101.com/shinran/index.html
http://www.enjoy.ne.jp/~toyohama/bunka.htm
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