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宮本常一写真集をみて

記憶には、忘れさらされる記憶と、忘れたくない記憶がある。

時間の経過するごとに人間の記憶も風情も幾歳月の移り変わりとともに風化していくのは自然の摂理なのだろう。

記憶は風化すると、曖昧になり、そこから執着、妄想となることもあり、その繰り返しで行き着く先は最後に消滅してしまう。

人間の歴史そのものが、意図的であり、正確性の意味において甚だ疑問がある。

宮本常一の膨大な量の写真を過去から遡って調べていると、写真の中の人たちは今どうしているのだろうか?
古い写真の中の登場人物達が語りかけてくる。

昭和三十年代、四十年代、日本は高度成長期の真っ直中にあり、古い木造のみすぼらしい家も、土がむき出しで舗装もされていない道路も、今では、見栄えのよい、和風洋風問わず、まっさらな鉄筋コンクリートの家――現代建築の粋を集め基礎工事さえすめば、すぐにできる便利な家――が連なり、冬は隙間だらけで寒かった家も、コンクリートで密閉され、夏には、お金で冷房も買える時代になった。
社会整備が行き届いたのだろう、アスファルトで舗装されていない道路など田舎でも出会うこともほとんどなくなった。

人力で運んでいた荷物も、都会ではガソリン車、電気自動車にとってかわった。

外見は確かに豊になったけれど、日本の現状をみると、「本当に、豊かになったのだろうか?」と疑問が起きる。

社会が合理化・規格統一の前提で価格優先、便利優先になったお陰で、職人さんの仕事も消えていったものが多い。
昔は、もっと、日常生活の中に個性が氾濫していた。

護岸工事する前の港町には、雁木があり、その場所には集う人がおりコミュニティが存在した。


一日のはじめは、瀬戸内海の島々の間から昇ってくる日の出、フィナーレとして、躍動的で感動的な夕日の風景で締めくくる。
満月の明かりが海面に反射して光る夜の海も素敵だろう。

そういった自然の恩恵の中、人々は、生活の辛いこと、楽しいことを上手く中和させていた。

そこには、人間と自然の対話、今ではないだろう癒やしの空間が存在した。

貧しさもあったが、今の社会のように個人を追い込むような絶望的な貧しさではなかったと思う。

気持ちの余裕、生活の余裕とは何なんだろう。

時代の波に流されていった、人、物、そして記憶、感情も、宮本常一の写真をみていると、時間を越えて各々に尋ねてくる。

大衆文化、民俗という言葉は、お上のつくった言葉だから、随分蔑んだ意味に感じるけれど、実は庶民の知恵と工夫にあふれ心意気を感じることができて素晴らい体験が含まれている。

埋没させるのではなく、掘り起こし見直すことがなにより大切だと思う。
無駄なことはなにもない。



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