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第三 芳栄丸の正体

大崎上島の造船の歴史を詳しく紹介してくれているサイトに、松浦造船 日記がある。

以前、木江ふれあい郷土資料館で、デジカメで撮影した画像(ぶれた状態の画像沢山あり)に和船の建造風景があったので紹介したことがある。

その中に、第三 芳栄丸が写っていたのだが、この船、松浦造船所が作った船であることがわかった。

言われてみれば、写真の中の人物(といっても面識はありません。)『宮司さんがこられ、建造の安全を祈願』の中に写っているのだろうか?よく似ている。

どちらにしても、木江ふれあい郷土資料館 の資料は見る人が見れば分かるけれど、貴重なものが実に多い。

木造船建造の技術がどんなものだったのか、今更探そうと思っても大変なことだけれど、当時の画像をみると「船の建造に賭ける意気込み」がどんなものだったのかわかってくる。


大きな地図で見る


また、先日 デジタル造船資料館の委員の方から「木江工業高校の資料を提供してもらいホームページに載せています。」とのメールを戴いた。

(資料が掲載していることは、事前に知っていましたが、自分自身の頭の整理ができていないので、ホームページのリンク紹介にとどめていました。)


もともと、瀬戸内海は、「瀬戸」の「内海」と言う意味からで、畿内と九州を結ぶ航路として重要視されてきた。

豊かな海が育んだ文化だと思う。

これだけ往来の盛んな場所が、今時の「離島」なんて言葉で表現できること自体おかしいし、そんな軽い場所ではない。(偏屈だね、私は、)


潮待ちの関係で大崎上島ので木江沖、大崎沖は、九州から畿内に向かう船の重要航路として位置づけられていた。

歴史の要衝だから瀬戸内海を全体として見ると、歴史的文化財が多い。
対馬に向かう船上の防人達の気持ちがどんなものだったのか、想像できないほどつらかっただろう。


時系列を無視して好き勝手に船や海の事を書いているけれど、日曜日は、大阪市立海洋博物館 なにわの海の時空館が無料開放してくれるようなので、見学に行きたいと思います。

年間で、5回ほどいっていると思います。

菱垣廻船「浪華丸」がどれだけ巨大で、当時の和船が如何に凄かったか、実際の映像をショートフィルムで公開しているので、みてもらえればと思います。
材木の安定した供給を図ろうとすると、山の維持・管理は各諸藩は、しっかりしていたに違いない。







新発見・「ゆったり宝島」の大崎上島


機帆船のできるまでの流れ
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