2005年に青森市で復元された木造帆船「北前船」が8日、同市を出港し北海道函館市へ向かった。函館開港150周年と、青函連絡船などで関係の深い両市の「青函ツインシティ(双子都市)」提携20周年を記念したイベント。これまで陸奥湾で実験航海を行ってきたが、初めて津軽海峡を渡る。
全長32メートルの北前船「みちのく丸」には函館市への贈り物としてリンゴが積み込まれた。ねぶた囃子と観客の拍手の中、正午前に出港。快晴の青森湾に出た後、高さ28メートルの帆柱いっぱいに帆を広げた。
乗組員は船長の木村透さん(43)ら約30人。8日午後に青森県むつ市に寄港した後、9日に函館港入りし、同港で16日まで船内を一般公開する。
北前船は江戸時代から明治時代にかけて、日本海を大阪から北海道まで結んだ輸送船。青森市の「みちのく北方漁船博物館」が北前船の歴史を伝えようと建造した。NHK大河ドラマ「篤姫」のロケにも使われた。
実際 海に浮かんでいる北前船を見ると、実に優雅で、落ち着いた気分になるのはどうしてなのだろう。
和船、帆船に関して、かなりの資料を手に入れることができた。
写真も200枚近くとっているので、編集するのが忙しいぐらい。
つくづく思うのは、和船のネットワークが日本では、できていないことです。
実にもったいない。
・海の時空館
浪華丸
船の型 菱垣廻船
重さ90トン
全長30メートル
高さ27.5メートル
幅7.4メートル
・みちのく丸
船の型 北前船
重さ150トン 千石船 一石 180リットル 150㎏
1000×150=150トン
全長32メートル
高さ28メートル
幅8.5メートル
参考URL
青森県立郷土館ニュースみちのく北方漁船博物館
みちのく北方漁船博物館は大崎上島の櫂伝馬と密接な関係があります。
大崎上島町広報
・みちのくへ夢を載せて2003年10月
東野の櫂伝馬船を、みちのく北方漁船博物館(青森市)に寄贈しました。東野外表区では1998年以降、競漕に参加しておらず、その保存と継承については課題となっていましたが、このほど地元の意向と瀬戸内の木造船を所望する同博物館との合意が叶いました。櫂伝馬船を博物館等に寄贈するのは、高松市の瀬戸内海歴史民俗資料館、鳥羽市海の博物館に次いで3隻目。
島の文化の架け橋に、愛娘を嫁に出す気持ち
今の心境?愛娘を嫁に出す気持ち、誇らしさと寂しさと。
この船に私は19年乗りました。この間のレース一つ一つにドラマがあり、どれも忘れられません。東野に櫂伝馬の歴史は古いとはいえ、外表区に櫂伝馬はありませんでした。毎年夏になると、櫂伝馬の話でもちきり。練習がいかにきついか、手にマメができた等も誇らしそうに。海岸の集落にありながら船を持たない私たちは話にも入れず、寂しい悔しい思いをしました。なんとか櫂伝馬競漕に参加したいという願いが叶い、昭和49年に初参加。ただし船は他の地区が十何年も使用した古い船です。これがとにかく進まない。(笑)新造の櫂伝馬船とは比較になりません。船が欲しい、資金が必要です。寄付を募らねばなりません。区長に再三願い出ていましたら、昭和53年、外表沖の競漕でAクラス(4位以内)に入れたら船を作ってやろうということになりました。若いもんの道楽でなく区の誉れとなるよう認めてもらう必要があったのです。水夫(かこ)一同奮起しました。そうしたら3位に入れたのです。うれしかったですね。こうして、作られたのがこの船です。
かつては、1日8レース、海岸線には観戦する人々が鈴なりに連なっていました。
レースは口から心臓が飛び出るかと思うほどきつい上に、太鼓の音だけで心をひとつにしていく細やかさが要求されます。船頭にはさらに、その時の気象、潮の流れ、水夫の心身の状態を読み、瞬時に作戦の変更、即決していく力が求められる難しい競技です。しかし、そんなことが200年も続いてきたということに、この地域の昔の人の強いこだわりと思い入れ、ロマンを感じますね。私たちに櫂伝馬が教えてくれたものは計り知れず、船だけでなくその心も、みちのくへ、そして全国へ伝えられたらと願っています。
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