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福島原発事故について

東北大震災の影響は1年を迎えようとした今でも大きな暗い影をあたえている。

特に収拾が収まらない状態にしているのが、福島原発の放射能拡散だ。

除染といっても、ほとりだけ取り除いただけで、それは除染ではなく、「隠す」作業に他ならない。

それに東北に向かって、「元気になろう!」、といったところで、元気になれるわけがない。


あれだけ、原発擁護派に邁進していた、メディアも最近は、1年たっても、帰ることのできない福島原発周辺の状況を放送するようになった。

スポンサー資金が枯渇し、電力会社側に配慮する心配がなくなったのか、それとも理性が働くようになったのか・・・。

理性的行動とは、いったいなんなんだろう。

巨大宗教も、巨大テレビ局も、政治屋さんたちも、福島の悲劇を引用することが多い。

しかし、根本を理解しないと、福島は戻ってこない。

いや、第二の福島だって生まれるに違いない。


つまり、原子力発電とは、消すことのできない人類にとって早すぎた炎だということだ。

冷却には、水を注入するなど、時代は変わってもやる事はお江戸の町火消と一緒だ。

単なるイベント、話のネタで福島を語るのは、如何なものだろう。

やはり自分の目で確かめ、感受性をたかめ、本当の正しい行動とはなにかを理解することが、第一歩だろう。

まっさきに被害を受けるのは、我々小市民であり、隠された利益は一部の人間にしか還元されないことを察するべきだろう。

諸環境を含め自律的な国民になることが、今 大切だろう。

「原発反対!」がなぜいえないのだろう。

放射能汚染された堆積物は今後どこに隠されるのだろう。

「自分は安全だからいいよ。」なんてレベルだと、いずれまた我々の生活環境に組み込まれるだろう。

自然災害よりも、人類の災いのほうが、被害が大きいのはなんたる皮肉なのだろうか。

福島原発事故問題とは、

労働問題、環境問題、健康問題、政治機構、エネルギー政策、教育問題、外交、国民性 等々、枚挙の暇がないほど、多くの問題が山積することとなった。

隠蔽された事実がどんどんでることにより、「やっぱりネットのほうが正確だったんだね。」と思います。

人間に間違いはつきものだけれど、正しい姿勢だけは忘れないでほしい。

姿勢が変われば、国命も変わる。

真摯な姿勢で向き合わないと、正しい評価も結果も生まれることはない。


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グーグルを使うのをやめました。


3月からグーグルのプライバシーポリシーがかわったため、情報収集されるのなら、使うのをやめることにしました。

外資のよくやることですが、無料で使わすポーズをして実は利益を搾取する得意のやり方です。


インターネット創世記は、結構、有名な知識人や専門分野のエキスパートの方も登場してくれて、それなりに新鮮味がありましたが、普及すればするほど、僕にとっては、あまりたいしたことないなと感じることが多くなってきました。

モバイルフォンはアンドロイドを使っていますが、バッテリーの持ちが悪く、とても使えるものではありません。

モバイルフォンができる前のPDAを長い間、愛用してきたので、経緯は、一般の人よりも把握しているつもりですが、良くなったのは、ハードの性能ばかりじゃないかと思います。


プライバシーがなくなったOSは、使う気になれない。

クロームは最初のころはレスポンスが良かったけれど、最近は情報をおくっているのでしょう、一呼吸おいて反応するなど、個人を判別するために回線なり、パソコンの認証を送っているのか、あまりいい気持ちではありません。

俗にいうクラウドはいいけれど、アメリカ産はやはり国家戦略が入っています。

一度は便利がいいなと思ったけれど、「やっぱり」と落胆している自分がいます。

嘘でもいいから、プライバシーポリシーを撤回してほしいな・・・。

アンドロイドは、グーグルのサービスと密接に連携しているので、ちょっと痛いな・・・。


なんだか書いている自分が情けなくなってきた・・・・・

検索エンジンもフィルターがかかっているな・・・・

依存してきた自分がアホだ。


こうなるのは、わかっていたけれど、ここまでシェアを握られて後だしじゃんけんはないだろうに

グーグルさん

紀州南部ロイヤルホテル


この前の日曜日、大型バス10台、370人をつれて、和歌山県日高郡みなべ町にあるダイワハウスが経営する、紀州南部ロイヤルホテルにいってきた。



和歌山は久しぶりだ。

さすがに、紀州半島の先端に近づけば、視界を妨げるものがなく太平洋が一望できる。

本当は梅の産地なので、梅林が有名なのだが、寒波の影響でまだ開花はさきとのことだ。



足湯も入れるはずだったが、これも寒波の影響でお預け。

高速道路では玉突き衝突があり、2時間も遅れて大阪についた。



休みもなく働き続けたお陰で、風邪が治らず、とうとう腰まで響いてきた。

そこで、本日は代休をとり安静にしている。

なにごとも用心だ。

無理ができない年齢になってきたのか、
やれやれだ。

瀬戸内舞台のアニメ相次ぐ


広島県の島や沿岸部を舞台やモチーフにしたアニメの制作が相次いでいる。「崖の上のポニョ」「たまゆら」に続き今春、呉市の大崎下島をイメージして舞台づくりをした映画「ももへの手紙」が公開予定だ。穏やかな風景、ゆったりと流れる時間。瀬戸内海はアニメ制作者を引きつける。

 山肌に広がるミカン畑、灯台や高台から望む多島美。「ももへの手紙」には江戸時代に栄えた潮待ちの港がある大崎下島にそっくりな風景が映し出される。

 「ももへ」とだけ記した手紙を残し、天国へ旅立った父への思いを胸に島に移り住んだ少女が主人公。沖浦啓之監督(45)は「大きすぎず、小さすぎない。多島美を望め、かんきつ類の産地でもある。瀬戸内の魅力が凝縮され、映像として散漫にならない」と大崎下島にこだわった理由を説明する。

 福山市鞆町にゆかりがあり、瀬戸内の島々を巡った時期がある。1999年に大崎下島を初めて訪れ、2004年から通った。作品化に際し「架橋などの現状も描くことで美化しないよう心掛けた」という。映画は国際映画祭に出品された。

 「ももへの手紙」は4月21日公開。大崎下島では至るところにポスターを掲示、広島県も映画を絡めた観光PRに乗り出している。

【写真説明】「ももへの手紙」の舞台のモデルになった大崎下島。手前の港は大長港



民俗学者の沖浦和光さんはおじにあたるそうだ。 縁の場所となる。

自分の想像する東京家族


東京家族は、山田監督と平松恵美子さんが新たに書き直した脚本ということだ。

2人の間でどんな映画の構想を練っているのか?

ニュースによるとぎりぎりまで、練りに練って、熟成させた状態で撮影に移るそうだ。

木江と東京というセッテングだが、なぜこの場所で撮影しなければいけなかったのか?




監督の映画に、裕福な主人公は登場しない。

中産階級というよりは、労働者階級に焦点を合している。

また故郷を捨てて、新天地をもとめ移住するケースが多い。

それは、慣れ親しんだ場所を離れるということ

一度、もった財産 知人、友人を捨ててリセットすることは、人にとって実にヘビーなことだ。

しかし、「生きるため」の取捨選択は避けてとおれない



かってこの町の造船所が盛んだった頃は、転入者もたくさんいたが、度重なる不況により、どんどん縮小していった。

そして、二度と人口は元の状態に戻ることはなかった。

人生に別れはつきものだけれど、小さな町だから、近視眼的になり しんどさはなおさらだ。

こうなってくると、捨てるというより収奪行為に近いなと思う。



土地、建物、財産を所有することは確かに豊かにする手段だ。

しかし、それが、更に進んで剥奪するなり、そういった非日常的行為が起きるとどうなどうだろう。

人間世界でよくある憎しみ、妬み、僻み、など生み出す原因となり あまりいいものは引き出すことはできない。



木江は箱庭のような場所だ。

絵を撮影するのは、非常に手早く作業ができるのではないか。

撮影現場の木江は、いわば、時代の波に残され放棄されたような場所だ。

しかも島であることで、都会のように、投機に基づいたスクラップ・アンド・ビルドの被害がすくない。

木造の家は主をなくし、管理する人がいなくなると、自らの運命を察してから、勝手に倒壊していく。

狭い道路は、人が歩くための道路だ。

この町が好きな人だけが、住めばいいのだ。

人も町も生き物なのだ。



日本人のメンタリティーは、高度成長期以降、精神主義から物質至上主義に変わってしまった

新しいものが、正しいという風潮に染まってしまった

老いも若きも高いものはありがたい、安いものは下品で精神まで貧しいような風潮になってしまった

便利が当たり前、不便は敵

貧乏を楽しめる生活の工夫もなくしてしまった

人と人が会話をするのも難しくなった

自殺者3万人が年中行事になってしまった

自分を疑い正そうとする勇気もなくなってしまった


震災後の日本

東京と木江の対比

どういったテーマを問題提起していくのか?

個人的にここの場所は是非 撮影から外してほしくないポイントが数カ所ありますが、是非楽しみにしています。




ちなみに、下の写真は数年前の正月のものです。
退院後、最後になるかと思い撮影したものです。







無手勝流


時間

一年は、365日

一日は、24時間

都会は、時間に支配された交通体系、機械仕掛けの理詰めの空間

田舎に帰ると、なぜか一日が長く感じる

見えない支配がここには及ばないのだろう。

故郷に十数年ぶりに 帰省し滞在した人のブログの記事を読んで全く同感

ここでマクドナルドのハンバーグを食べる必要はない

無手勝流が正しい流儀だ。

都会でついたアカは田舎で落とせばいい


いのししの話

いのししが島の農業にどれだけ悪害か、都会の学識豊かな諸兄者に理解してもらおうと話をしても理解してもらえない。

空想の域を超えることはできない

人間は知識を獲得する手段として

学習と経験があるけれど、密接にこの二つを結びつける作業まで至らないケースが殆どだからだ。

そうなってくると、感受性が前提となってくる。

しかし、若い内にトレーニングを積んでいないと対応に苦慮する。


グローバル化

白人のつくった嘘っぱちの金融工学のもと、ツケが回ってくるのは、まさにグローバル化

瞬時に動く株価は世界がオンラインで結んだお陰だけれど、

恩恵はだれにあるのだろうか?

マルクスはそんなことまで予言を的中していた。

富は富を生むために新たな生け贄を必要とする

日本で換言すれば、

年金の受給の正当性を確保するためには、若い世代に更なる貧窮を要求する。

就職できな世代は、このままだと当分続くだろう。

人身売買といっていい人材派遣業など根拠となる法律を廃止し、新たな労使環境を作らないといけない

そこで、果たして日本人の心的情緒がこれに耐えうるべき忍耐が備わっているか問題になってくる。

環境が原因なのに、自己に責任があるかのような振る舞いは、ただされなければいけない。

つまり、労働者派遣法を制定するにあたり、どういった環境下・目的でこういったことが施行されたかということを根源から理解しておかなければいけない。

法が施行されることは、2次弊害・副作用・犠牲がつきものだ。


就職できない学生をもつ父兄さんは、派遣労働者が4割に近づいているこの労働環境をどう理解しているのだろうか。


世の中が閉塞感であふれ、息苦しさを実感することが多い昨今だ。

金融工学にしても、「人を幸福にする」要素があればどれだけの人が助かっただろうか?

売れない物は廃棄する 文明社会が、余剰生産物を、広く第三社会に行き渡すことができれば、文明はどれだけの恩恵を人類に与えることができるだろうか。

実体のない仮想空間(投機)で経済を動かしてきたツケは今後どういった形で波及するのだろうか?

いつまでたっても石油中心のエネルギー戦略は、第二次世界大戦から変わっていない欧米諸国の戦略の基本だ。

民主化の名の下に、イスラム社会を侵略するのは、止めるべきだ。


今後、世界は2転3転するだろうけれど、正しい感性で、人間の幸福を考えて欲しいと思います。


とまあ、たまには本音を書くのも精神衛生の維持には必要だ。


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