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まきはだの由来

紹介しなければいけないと、思い急遽、なんとかお盆休みの間に、
「まきはだの由来」をピックアップしました。

平成22年8月15日(日)
この本は、昭和63年発行となっており、当時と今では「違う」結果になっていることを勘案して頂いて読んで欲しいと思います。

過去、先人達の不断の努力で販路を拡大し全国シェアのほとんどを独占していた事実をしると、過疎地域として打開策を見いだせない現在の大崎上島にとって、いい励みになるのでないかと思う。

また、そうしたことも先生の書きたかったことのひとつであると思います。

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以下抜粋


 大崎島は各町村共古くから海運・造船業が発達し、特殊繊維産業である「マキハダ」の製造が盛んであった。

中でも、木江町明石が一番古く、今なお一部でつくられている。

このマキハダは桧の皮で作ったやわらかい縄で、木船の外板デッキ(甲判)等板と板のつなぎ目を補填して、海水の浸入や水漏れを防止する重要な役割を持つ物で、木船建造上なくてはならないものである。

 このマキハダ産業は、幕末から明治・大正・昭和の中期にかけて弁才船・大型帆船・被曳船・機帆船・各種漁船・伝馬船等木船建造の殷賑を極めた時代には造船所の多い大崎島だけでも、その需要を満たしきれない有様で、明石・沖浦だけでもその従業員が300人を越え、各町村でも造船所の近くのおばあさんたちが、何処で誰に教えてもらったのかの納屋の片隅で二,三人が集まり、マキハダないの副業を始めたものである。


 明石に行ってみると中央の道端に、昭和27年10月、時の大蔵大臣であった池田勇人先生の「槙肌元祖の碑」と書かれた大きな記念碑が建てられている。






和船史話によると、一六世紀の後期倭寇の船に当時づでに鉄釘も槙肌も使われていたようであるから、「元祖」とはいえないと思うが、とにかく明石の人々によって180余年の長い間今日まで槙肌作りに専念され、瀬戸内海沿岸は勿論のこと四国・九州・朝鮮にまで遠く販路を拡大し、船釘と共に木江町の独占業までに発展せしめた、マキハダ産地としての誇るべき記念碑ではある。




 では、この「マキハダ作り」は如何にして明石に導入され、如何なる歴史をたどり、今日に伝えられたものであろうか、


何しろ長い間の出来事で色々な資料も散逸し、作られた人々も多く亡くなられ、その正否もとやかく言われているが、残っている資料といえば、「大崎南村郷土史-正畑規矩監修-昭和26年発行」のものに頼るしかないので、これによりその昔を尋ねてみることにしたい。



 享和元年(1801)頃、明石方村に組頭水内屋彦右エ門という人がいた。
当時村内で紫根即ち紅花という紅の染料になる草花を盛んに栽培していたらしい。
これを水内屋の船が毎年大阪へ持って行き販売をしていたのである。
ところが、この年大阪の紫根問屋に行ったところ、その近くでたまたまマキハダを製造している人に出会ったのである。

めぐりあわせというものは不思議なもので、つに話こんでいる間にこれは良いと感じたのである。
心安くなったのでそれとなく仕事の来歴・資材の購入先・製法・販路・経済制等について聞いてみると、島嶼部の船に縁の深い造船地にとって、将来性のある恰好の仕事であることを確信した。

大崎の方の造船所でもマキハダを使っているのであろうか、使っていれば取り寄せるのにもさぞかし困っている事であろう。

これは、是非習って帰らなければならぬ。

「仕事の少ない島でマキハダをつくれば、造船所も助かるが、明石の人も金儲けができ一石二鳥である。」と思っているとじっとしておられなくなり、早速無理をお願いして、自分のつれていた船員の中でも地元の人間で、しっかりしていた西某なる者に命じ、この仕事を伝習させ、帰村後直に諸準備を整え製造させることにした。

原料の桧の皮は最初、兵庫県高砂辺りから購入し、小規模の家内工業として、身近な気心の合った人々に奨励したが、汚い仕事で海のものとも山のものとともわからず、最初は心配の連続であったが、年寄りは、「ぞうり」作りや、網ない仕事にもなれておるので、早速ならい覚えだんだん優秀な製品ができるようになった。

最寄りの船大工さんに事情を話して使用してもらうと、これは近くで良いものを作ってくれたと、次から次と評判となり明石・沖浦・木江・東野へと販路も次第に広がっていった。

こうして量が増えると、お役所にも聞こえ、運上銀としてマキハダ一駄(馬一頭に負わせた荷物で約42貫目―約168キログラム)に付、銀二匁を上納することになった(課税年次不明)。

 かくして、この新産業は御山方の支配となり、村内に小頭をおいて取締りをすると共に。50年余りを経過した安政3年(1856)には縦10センチメートル、横5,5センチメートルの木製の合鑑を作り、当時仕事をしていた42名の者に下付した。

これは、一種の免許制度で、この鑑札を持たずに勝手にマキハダを製造した場合は、誰でもその製品全部を役人に没収されるおきてであったようである。

その後、文久元年(1861)6月24日のこと 当時の藩主浅野長公(竹若丸)が領内巡視のため来村された。

例によって明石方村床屋坂本泰三郎(新屋)宅に休憩され、泰三郎ともう一人の庄屋水内屋前司(善二-後水野家)を召されて、村民の生活状態について御質問があった。

農・漁・海運の情況を話すと共に、副業として、「マキハダ作り」をしている事をお話すると、それは珍しい是非見たいとの上意があり、大騒ぎになった。

殿様をせまい納屋の桧の皮をたたいて茶色のほこりだらけの作業場の中へ案内するわけにもゆかず、ばあさんでは趣がないということで、早速床屋の庭にムシロを敷き、大串屋嘉平の娘ハルと、森沢屋忠左エ門の娘オトワの明石方美人が2名選ばれ、御前に於いて上覧に供した処「ああ、よくない慣れたものよ、尚精進励めよ」と直々おほめの言葉を戴いたのである。

こんなこともあって、世は間もなく明治維新となった。

「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする。チョンマゲ頭をたたいてみれば、因循姑息の音がする。」と当時世間で唄ったそうであるが、いよいよ何もかも文明開化の時代となり、明治4年廃藩置県が施行され、幕藩体制の崩壊と共に、マキハダ合鑑の制も廃止された。

これから四民平等で誰でも自由に製造できるようになったが、課税として一人年間二十銭を納入することになった。

しかし、これも明治12年県会が開始された年免税となり、農業の副業として取り扱われることになった。
(以上大崎南村郷土史による)

その後、明治になって瀬戸内海にも石灰船がふえ、御手洗・木江・鮴崎港がにぎやかになり、造船所や燥場に寄港する船舶も多くなった。

大正になって第一次欧州大戦が勃発すると、造船ブームで大崎島は一時黄金時代となったが、関連産業であるマキハダもさぞかし発展したことであろう。




筆者は或る日生涯をこの道一筋に生きてこられた明石の森田清人氏(89才)をお訪ねし、長年にわたる苦労話の一端をお聞きした(昭和59年5.17)。


氏は、この特殊繊維業のかたわら長年町会にも出られ、議長の要職につき昭和49年には、勲五等端宝章を賜ったような人である。

原材料は今奈良の桜井からきているが、木曽・熊野など何十年も何百年も育った御料材の桧の皮が良質なので、この交渉にあたられたり、販路拡張のためには国内は勿論、遠く朝鮮の各港を訪ね国境の新義州方面にまで足を進められたそうである。

また明石は古くから海運業が盛んで小船が沢山いたが、槙肌船専用船(機帆船)もいて、マキハダの外沖浦や鞆の船釘、錨等を積んで、近辺から四国・九州・阪神・朝鮮にまで廻船され、長崎からの帰り等にはイリコを積んで尾道に行くとか往復をかけ、とにかく小さい船で玄界や太平洋の荒波を越え、命をかけて商売を続けられたわけである。

また、この道の練達者平岡壮氏にも、その昔南小時代長崎の井筒造船所へ御案内してもらったことがあるが、商売は厳しいもので買ってもらうためには、常に取引先と緊密な連絡を取られよ、よい品物を確実に納品する信用を獲得されることが大切のようである。

かくの如く、木江町の作る人、売る人、運ぶ人が長年にわたり真面目に、正確に良品を需用者にお届けしたから、今日まで180年の歴史を保持することができ、戦前に於ける全国市場では、100%を占めていたそうであるが、将に日本一となったのである。


しかし、戦時中一時原材料の購入・運搬がむつかしくなり、産地である奈良・三重・岐阜県の方へ、当町から従業者が一部移転したことがあり、戦後70~80%に落ちたが、当町は常に独占的地位を確保した。


更に昭和30年以降年々木船が減少し、鋼船に移行する傾向が強くなってきたので、マキハダの流通対策の課題解決のため、当時32の業者が結束し、出資金(32万円)を出して同35年11月広島県マキハダ協同組合を設立し、対県対国交渉の結果、国の輸出対象物に取り上げてもらうことになった。




海国日本、造船日本として船と縁を切るわけにはいかない我が国ではあるが、鋼船やプラスチック船の時代となった今後のマキハダ産業は、販路を国内から国外に広げ、木船漁船の多い後進諸国に輸出したり原材料並びに製品の共同斡旋を頼むとか、生産から販売に至る有機的機構の樹立こそが、斜陽産業に残された課題のようである(木江町新町建設計画書による)。


以上抜粋終わり


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関連資料

明石のまきはだ、船釘について


明石のマキハダについて
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